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思い出「頑固な親子」

【仕事始め】

8歳の時。

母親が、働き始めた。

働きに行った場所は、近くに出来た「イエローハット」の事務。

イエローハットとは、カー用品店のお店。

当時、時給500円の仕事だった。

ちなみに、今の東京の最低時給は「1016円」

経営者が悲鳴を上げる最低時給だ。

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【鍵】

母親が働きに出たせいで、学校から帰ると、家に誰もいない。

でも何故か母親は、俺に鍵を持たせてくれなかった。

その理由は、持たせて無くすと困るから。

確かに当時の俺は、猿並みの行動しかとれず、無くしても不思議ではない。

俺は、母親に何度も鍵を持たせてくれと頼んだが、いつも断られた。

でも遊びに行くには、一度家に帰って、ランドセルを置かないとならない。

学校で、そういう決まりになっていた。

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【ドアにランドセル】

でも俺は、学校から戻り、遊びに行きたくて、なんとか家に入りたかった。

なので母親に、ランドセルと置かないと遊びに行けない事を、伝えてみた。

返事は「鍵を預けると無くしそうでダメ!お母さんが戻るまで待ちなさい」

その返事だった。

しかし、母親が戻ってくるのは、夕方5時。

当然俺は、そんなバカげた理不尽な事を、受け入れられなかった。

俺は仕方ないので、ランドセルを玄関の取っ手に引っ掛けて遊びに行った。

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【潜入作戦】

ある日「ランドセルをドアに置くと、誰かに取られる」と叱られてしまう。

しかし、学校が終わる時間は、3時頃。

当然、母親が戻る5時まで「2時間も待っていられるか!」となる。

そこで叱られたこの日、何とか、家に入れないか考えてみた。

思いついた事は、団地の裏の窓から入る。

俺の家は3階だから、空気の入れ替えの為、いつも窓を開けている。

そこから入れないだろうかと思い、団地の裏に回ってみた。

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【作戦成功!】

そして、団地の構造を見ると、何だか登れる足場が要所要所にあった。

俺は、3階までの上り方を、頭の中で趣味レーションしてみた。

結果「各階のベランダの柵と、わきにある配管を使えば登れる!」

そう確信した!

そして、実際に上ってみたら、余裕で3階の俺の家の窓にたどり着けた。

でも当然、この日、どうやって家の中に入ったのか問い詰められた。

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【大人の心配】

俺は正直に「窓から登った」と報告したら、母親はビックリしていた。

そして母親に「そんな危険の事う絶対ダメ!」と叱られてしまった。

この頃の俺は、大人の理不尽な事なんて、ガン無視する性格だった。

鍵を持たせてくれず、2に時間待ってろなんて、絶対受け入れられない。

当然、学校から帰ってきて家に鍵が閉まっていたら、ベランダから入る。

そんな事を、毎日続けていた。

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【無知な子供の考え】

母親も、上ったは良いが、鍵が閉まっていたら降りないとならなくなる。

そうなると、危険な事を知っていたので、鍵を閉めないでいてくれた。

ベランダから登る姿は、通行人から丸見えだったが、そんなのお構いなし。

近所の人も、俺のその姿よく見ていたので、いつも母親にチクっていた。

その度に、叱られていたが、それでもお構いなく、登り続けていた。

しかし、それを見ていた子供達が、真似し始めてしまった。

そんなある日、事件が起きてしまう。

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【新発見】

学校の帰り、誰かがベランダから家に入ろうとよじ登っていた。

それに気がついた俺は、しばらくどんな感じで登るのか見ていた。

でも、その子は、3階位まで登り、手を滑らせて落下した!

俺は「あ!」と声を出して、急いでその子の所に駆け寄ってみた。

そしたらその子は、芝生に落下していて、全く怪我をしてない。

俺は、この時、凄く良い情報を手に入れた。

「なるほど、あの高さからの落下でも、下が芝生なら平気なんだ」と。

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【母親の深い心境】

落下した子は、再び登り始め、今度は無事、家にたどり着いた。

これを見た俺は、当然今後も、団地裏のベランダから部屋に入り続けた。

ある日、ベランダをよじ登って落下したこの情報が、母親の耳に入った。

これを聞いた母親は「お願いだからもうやめて!」と言ってくる。

俺は「なら、鍵を頂戴」と、母親に言ってみた。

更に「お母さんが戻るまで2時間も待ってられないよ!」と言った。

そうしたら、ようやく渋々俺に合いカギをくれる事になった。

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【満足】

母親は、俺に合いカギを渡す時、非常に心配な顔をしていた。

そして「絶対に無くしちゃだめだからね!」と念を押された。

この時俺は、心の中で「お母さんだって、無くすじゃん!」と叫んでいた。

でも、これを言って逆切れされるのが面倒だから、何も言わない。

とりあえず、鍵をもらえたので良しとした。

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【母親の作戦】

この後、玄関から入り、ランドセルを置いて、遊びに行ける日々が続いた。

しかし、母親の俺が鍵を無くす心配は、ずっと続いていた。

そしてある日、学童保育に入れられることになってしまった。

そこは、学校の校庭に隅にある「どんぐり学童保育」

共働き家族の、子供預り所だった。

ここは、宿題の面倒まで見て、夜6時まで子供を預かってくれる。

当時月額「500円」で、おやつまで付いてきた。

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【失われた自由】

でも、この学童保育に通うと、今まで遊んでいた友達と遊べなくなる。

俺は、それが嫌で仕方なかった。

しかし、強制的に行く事になってしまい、仕方なく通う事にした。

こうして俺の、自由な、かぎっ子人生が幕を閉じた。

そして学童保育内で、新生活が始まった。

新しい友達が出来て、新しい時間の作り方になる。

でも、やっぱり監視されるのが窮屈で、嫌だった。

かぎっ子の時の様に、自由に動き回りたいと、感じていた。

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