アナログ・レコードが、教育に必要なものを教えてくれた
今日は、ひさびさのお休みだったので、自宅にあったLP(アナログ・レコード)を聴いてみました。
レコード・プレイヤーの「ターンテーブル」に、針をのせるときの緊張感。「パチパチ」という微かなノイズ。
こんな「儀式」の後に、ようやく聴こえてくる音楽。
思わず、正座している自分に気づきました(笑)ああ、音楽って、こうやって聴くと、とっても有り難いものなんだなあ、って思います。
この感覚。CDやYoutubeでは味わえないもの。
音楽を、心を正して、感謝しながら聴く。こういうの、何年ぶりだろう?
そして、聴こえてくる音も、心を正したくなる、質の高いものです。
たしかに、サーフェス・ノイズ(盤面から拾う雑音)は、微かにあるかもしれません。ホコリや傷によって、パチパチいうこともあります。
それでも、音が良い。その「音」っていうのは、ただの周波数ではないんです。
「行間」
を含んでいるんですね。
デジタル化するCDでは、音を「0」「1」という信号に変換します。そうすると、信号と信号の間にある微妙な「行間」が、カットされることになるんです。
実は、音楽っていうのは、音と音の間の行間。楽譜で言えば、音符と音符の間の、空白部分が、一番「美味しいところ」なんです。そこに、なんていうか、演奏者の「心」が、込められているんです。
私は作曲家なので、よくわかるんですが、音符で表現できるのは、表現したい音楽の10%くらい。残りは、音符に書けないので、奏者に「イメージ」してもらうしか、方法がないんです。
アナログ・レコードは、そんな「イメージ」を、再現してくれているようです。
さて、「教える」っていう行為も、まったく同じではないでしょうか?
教科書に書かれていること、カリキュラムの内容だけを、ただ棒読みするだけでは、全体の10%くらいしか伝わらない。そう、思うんです。
教える先生が、いかにして「行間」を伝えられるか?に、かかっていると思うんですよ。
ピアノレッスンで言えば、生徒さんが「音符」以外のことを、いかにして感じ取れるように、持っていくか?
そこが、先生のウデの見せ所だと思います。
そのときに、まず、相手の心の周波数に「同期」することが、一番大切です。
CDは、音と音の間の周波数をカットします。同じように、現代の教育は、効率重視のあまり、人と人との触れ合いを、カットしてしまいます。
そこをカットしない、アナログ・レコード的感覚が、今の教育には、求められているんです。
もし「この子、めんどくさいなあ」と思ったら、その、めんどくさい部分が、その子のアイデンティティ(個性)。カットしては、いけない部分なんですね。
オンライン音楽教室を運営する会社を経営しています。他に、ピアノの先生の学校学長、作曲家・ピアニスト、オーケストラ指揮者。最近、スポーツジムにハマってます!http://himawari.ishikawa.jp