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【ヒデコ日記⑤】 ヒデコ式の作文

facebookで、ヒデコ(母、でぶ)のことを「ヒデコ日記」というタイトルでたまに書いている。ヒデコにまつわるコラムも電子書籍で書いたことがある。その原稿を時系列もバラバラながら、ここに少しずつアップて残していこうと思う。ヒデコがこの世を去った時、思い出すために。

今思うとヒデコ(母、でぶ)の教えは変だ。基本、子供の宿題には無頓着。
口を出さないし、やれとも言わない親だった。ただ、ヒデコが興味あるジャンルだと首を突っ込んでくる。例えば、絵の宿題だったり、作文だったり。

小学生の頃、僕は作文が苦手だった。でもある時、作文コンクールで賞を獲ってから好きになった。恥ずかしながら、最初に賞を獲った作文は、ほとんどヒデコが直した作文だったので、自分ではすごく後ろめたさがあった。

だが、人間というのは不思議なもんで、一度賞なんて獲ると、周りから「あいつは作文が得意、と思われてるんじゃないか」という衝動にかられ、次の作文のとき、必死に頑張る。

周りの見る目や期待に応えなければと思う。期待なんてされてないのに。
ちなみに、ヒデコ式の作文の教えは2パターンあった。
まず1つは、「読書感想文は、本を読まずに書ける」というものすごい考え方だった。僕が一生懸命、課題図書を読んで、必死で書いた感想文を、「うん、これはこれで置いといて」と、全否定した。「あらすじ書いても、賞は取れんでね~」と。ショックだったし、何を言ってるんだ、この親は、と思った。ヒデコは、過去10年分ぐらいの、読書感想文コンクールの歴代受賞作品集をどこかから手に入れ、赤ペンを引いて既に傾向をつかんであった。
「賞を獲ってるのは、この3つの本に絞られてるでね~」と。その現実に震えた。

ヒデコは、その本も買わず、過去に受賞した感想文からあらすじをつかみ、何をどう書けばいいか、キーワードをつらつら書き始めた。このキーワードをうまくつないで、作文にするといい、と。読んでもない本の感想文なのに、ヒデコ式で書いていくと、結果、まるで読んだ感が生まれてしまう。そんな感想文の書き方は、狂ってるし、教育として間違ってる。と、子供ながらに思った。

でも、ヒデコ式による作文や感想文は、のちに面白いほど賞を獲った。賞を獲ると、作文が好きになり、なんだか書けるような気になってくる。ヒデコは、いま思うと親として狂ってるけど、なんだか頼もしいデブな母親だった。

かと思うと別パターンのヒデコ式の作文方法があった。
「体験すりゃ、書けるだに」。
中2の夏、「少年の主張」という大会の予選に、クラス代表として出るよう、クラス担任に言われた。自分では、「主張テーマ」がまるで浮かばず、うんうん唸っていたら、ヒデコが一言、
「学園に、お手伝いに行ってくりゃいいら。お母さん、電話してあるで……」
学園とは、地元にある障害者や孤児たちが暮らす磐田学園という施設。ヒデコは僕に何も言わず、勝手に話を進めてあって、夏休みの間の数日、僕はその施設スタッフのお手伝いをするボランティアへ行くことになった。
最初は戸惑ったが、普段見ない光景に、衝撃を受け、胸打たれ、涙し、「主張」したいことが、次から次へと出てきた。施設に我が子を預けっぱなしにしている、親の非情さだった。それをまとめて文にしたら、学校代表で出ることになった。その時も、ヒデコは変わってる親だなと思った。

あとで知ったのだが、ヒデコは日頃、人知れず、そういった施設や学園のイベントに通っていた。なぜかヒデコはそういう子たちと心が通じるところがあるようで、すぐに仲良くなったり会話したり、そういう子たちが作った出来の悪い編み物などをバザーでよく買ってくるのが僕にとって不思議だったが、「ああいう子たちは、天使だに。心がピュアだら? みんな純粋でいい子だに」とよく言っていた。日頃から付き合いがあるため、学園の園長も、息子(僕)の突然の申し入れを電話1本で、すんなり受け入れてくれたのだった。

そんな頼もしいヒデコだが弱いところもあり、歯医者へ行って、やけに早く帰って来たなと思って聞いたら、待合室で歯医者のドリルのキーンという音が聞こえて怖くなって帰って来たという。いい大人が。せっかく予約して歯医者まで行ったのに。子供かよと思う。何かに異常に執着したり、レインマンみたいなところがある。体型はスノーマンみたいなのだが。
(2013年の電子書籍「離婚は遺伝だでね」より)
※写真はイメージ

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