見出し画像

【ターニングポイント18】2011年のお話①DHF(大助花子ファミリー劇場)とのご縁

私にとっての大きなターニングポイントのひとつに
やはり、今となっては、大の親友、Sちゃんの出逢いは欠かせないものになっています。

このSちゃんが大助花子師匠とのご縁を結んでくれたと言っても良いのではないかと思っています。

と言いますのも、実際、大助花子師匠との出逢いは2008年の【赤毛のアン】
このことについてはDAY27にも書いたように
笹部博司先生のお計らい?もあり
貴重な経験をたくさんさせてもらった時期でした。

ただ、私は、汀夏子さんが演じる
【リンド夫人】のアンダースタディだったため
この期間に直接大助花子師匠とお話しする機会はほとんどなく。

偶然にもこの当時、住まいが2駅隣同士に住んでいたSちゃんと
お稽古帰りに意気投合したことから、行き帰りを共にすることになりました。

そんなこんなもあり当時は
大助花子師匠の中では私は赤毛のアンの共演者と言うよりは
【Sちゃんの友だち】という感覚で
私のことを認識してみてくれていたような気がしています。

意外かもしれませんが
私はそこまで【プレイヤー】としての経歴に
執着しないところがあり。

(どちらかというと与えられた役割を果たしたり、指導したり育てたりする方が性分に合っていると自分では思っている)

うまく説明できませんが。。。

大花師匠もきっと皆さんとのいろんな交流もお忙しいと思うし
私はただの一共演者なので、、、と言う感覚で
本当にご挨拶程度の関わりで控えてこの時期を過ごさせていただきました。

そんなこんなもあり
正直、大助花子師匠が自分の存在を覚えていてくださるなどとも考えもしておらず。

実際には、その時の赤毛のアンの共演者の中で
そのあとすぐに大助花子師匠の舞台にスカウトされて出演している仲間もいましたので
「おお!すごいなぁ☺️」と応援に伺う程度でした。

ですがある日突然、このSちゃんから
「大助師匠がみるくちゃん(私のことです)に舞台に出てほしいと言っている」
と連絡が入りました。

でもその時、私はまだ実は出産直後。
息子も1歳足らずの時期だったのもあり。

また教室も立ち上げて色々困難ばかり。

正直キチンとお稽古に参加するスケジュールを作ることも難しく
流石にわたしには無理だと思っていました。

ただ、せっかくお声掛け頂いていることを
無下にお断りするのも、このご縁に不義理する気持ちになることもあり。

正直に現状をお話し
自分に出来ることはここまで
これ以上のことは難しくて出来ないかもしれない。

と言うお話を真摯にさせて頂きました。

私は「それならまたいつかね」
と断られるとばかり思っていましたが。。。

驚いたことに「それでも大丈夫だから」と言うお返事を頂き。

あれよあれよと出演が決まり
あっという間にお稽古に参加する流れになりました。

息子が小学生に入るくらいまでは本当に色んな段取りが難しく
皆さんに何度となくご迷惑をおかけしていたと思います。

その度に本当に申し訳なさすぎて肩身の狭い想いをしていましたが
それをSちゃんも花子師匠氏も、そして、なによりも
一番挫けそうになった時に大助師匠が心からの温かい言葉を掛けてくださり。
そのメッセージを読みながら大号泣したこともありました。

また、いつもお稽古場では特に
舞台の大先輩そして実は
出身高校でもちょっと先輩の
中西喜美恵お姉さんが
後輩の私の出番や立ち位置を
代わりに覚え控えて助けてくださいました。

もちろん!
Sちゃんとは今でも
とても仲の良い親友として過ごさせてもらっています。

このように、本当に温かいカンパニーに囲まれていつのまにかもう10年は経とうとしています。

DAY3にも書いたように息子との共演もさせて頂きました。

今は、花子師匠がリハビリ中と言うこともあり
このコロナ禍ではDHFの活動は難しくおやすみ期間です。

でも花子師匠のリハビリの励む様子をいつも拝見しており
そのパワーや頑張りは本当に素晴らしいと思っています。

いつの日か必ず、また、DHFの活動を再開出来ると信じています。
花子師匠、お大事になさってください。
お支えしている大助師匠もご自愛を。。。

そしてご縁を結んでくれたSちゃん
本当にいつもありがとう。

人生という舞台で輝ける人を育てる 自分の幸せは自分で生み出す こどもたちにその大切さを伝えるため また 未来を作る若者たちのための サードプレイスを作ります。 そのサードプレイス作りに必要な形で 有効活用させていただきます。