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ふぃるふぃ〜る

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【ふぃるふぃ〜る】のお話を集めました♪
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【ターニングポイント21】2013年ふぃるふぃ〜るCAST(出演部)始動

DAY39でもご紹介したように ふぃるふぃ〜るにはCASTというチームがあります。 この時期あたりから ふぃるふぃ〜るへの小さなイベント出演の依頼が増えてきて 毎回違ったメンバーやプログラムで計画するのは困難を極めてきました。 そこで、半年に1度くらい内容を変更しつつ いろんなところから依頼を受け ミュージカルショーを上演するチーム出演部→後のCASTを 立ち上げることになったのはこの時期でした。 実際にこのCASTでの経験は ふぃるふぃ〜るだけでなく 「外部」での様々

ふぃるふぃ〜る【新生ふぃるふぃ〜るCASTの2021年度】

ふぃるふぃ〜るCASTには毎年、夏に大きな役目があります。 昨年も開催しました<老人クラブ夏の公演>です。 昨年の様子はこちら   ↑↑↑ 今年もご依頼がありました。 また、このコロナ禍での開催。 人数をなるべく少なくして開催してほしいとのこと。 これまで約10人前後に加え、大人が4・5名関った計15名前後で伺う 従来の状態では公演は実施できないのです。 しかし、本当に流れは、ふぃるふぃ〜るCASTの味方です。 今年はCAST志望者は4名。 そして、SELDISメ

【ふぃるふぃ〜るについて11】これからのふぃるふぃ〜ると鈴木あゆこ

さて、2021年度よりふぃるふぃ〜るはどう動いていくのか。 今、講師スタッフは「鬼の私」「情のない私」から無理難題を押し付けられ 連日話し合いを重ねている様です。 私はその話し合いに全く関与していません。 これはふぃるふぃ〜るが始まって10年間の中で初めてのことです。 結論が出るまで途中経過も報告も聞かず、そしておそらく決断もしません。 私に決断権はないと考えて今はじっと待つ、ということをしています。 私自身がこれまで、最終決断し、総指揮を取ってきていたのですが いよ

【ふぃるふぃ〜るについて⑩】講師やスタッフについて(今の私の反省も含めて)

ふぃるふぃ〜るは2010のスタート当初は講師スタッフ3名。 2016年にはアシスタントも合わせ約10名ほど そして現在2020年11月ではメインで動いているのは6名(+補助的に3名)です。 いいのか悪いのかはわかりませんが 基本的に外部から講師募集で来た講師は一人もおらず。 ふぃるふぃ〜る出身や、あゆこ門下、その周囲の関係性で紹介で来た方など 基本はどこかしら共通のつながりなどがある関係性で成り立っています。 もちろん入れ替わりもたくさんあり、中には一回離れて出戻った方

【ふぃるふぃ〜るについて⑨】外部との関わりについて②

DAY41では「出演」においてのいろんなご縁のお話をしました。 今日は「レッスン」についてのいろんなご縁についてお話ししたいと思います。 今現在、ふぃるふぃ〜るでは2ヶ所お世話になっています。 ひとつは国際交流にも関わる The Broadway Experience<TBE>というブロードウェイワークショップです。 9年前に大阪でスタート、大阪で3年・東京で2年・山梨で2年 そして昨年度にせっかく大阪に戻ってきてくれましたが コロナ騒動が激しくなり講師たちの来日が叶わ

【ふぃるふぃ〜るについて⑧】外部との関わりについて①

さて、DAY39にも書いていましたが ふぃるふぃ〜るCASTでは、ふぃるふぃ〜ると繋がりの深い いろんな方々と関わらせて頂き、いろんな恩恵を頂戴しています。 その中で、まずは、DHFは欠かせない団体としてあげられます。 DHF=大助・花子 ファミリー劇場 これまでに子どもたちは約4回 子役としてお世話になり出演させて頂いて参りました。 より本格的にミュージカルを学びたいCASTの子たちにとって 実際の舞台での経験も実は大切。 その中で「大助師匠」からお声かけ頂き 子

【ふぃるふぃ〜るについて⑦】CASTについて

ふぃるふぃ〜るの前身の「Air」の時は 私の実家がある大東市にて主に活動していました。 その時に大東市「人財問屋」というところに登録していた名残から ふぃるふぃ〜るになって拠点を吹田に移しても、大東市からのご依頼が続き 当初はその度に「参加希望者」募って企画を立て公演に向かっていました。 3年目に入るときに「これではあまりにも準備期間がなさすぎて生産性がない」と感じ 依頼も3年目となると少し先の展開も見えてきますので 今後も依頼が続くと感じました。 そして、それならば、教

【ふぃるふぃ〜るについて⑥】社会貢献

さて、ふぃるふぃ〜るは基本的に「発表会」というのを行いません。 行うとしても小規模のものだったり。 これまでに実際に大きなホールを借りて 発表会をしたのはなんと この10年間でたったの2回です。 1回目は ふぃるふぃ〜るコンサートを行おうと押さえていたホールがあり 諸事情によりふぃるふぃ〜るコンサートを断念したため ホールを手放す状態になった時。 手放してしまうくらいなら ちょうどなかなか押さえられないホールなので 発表会でもしようか、と想い立ち。 立ち上げ2年目あたり

【私の生き方⑥/ふぃるふぃ〜るについて⑤】コンセプト

昨日のDAY36でも少しリンクを貼りましたように ふぃるふぃ〜るには基本ベースとなる指針のようなものがありました。 そのブログはこちら そしてこの頃から明確にしていた想いが 「人生という舞台で輝ける人を育てたい」 という教育理念でした。 とても曖昧ではありますが、これは私が、ふぃるふぃ〜る内外問わず 常に心がけていることでもあります。 きっとこの「輝く」ということの捉え方の違いで 色々それぞれ好きなように捉える幅が出てくるとは思いますが 私の価値観でお話しすると「輝く

【ふぃるふぃ〜るについて④】子役の世界

まずは、誤解のないように、先にお話しします。 10年前の私、そして、今の私、では 「子役の世界」に関する捉え方は全く違っています。 ふぃるふぃ〜る開講当初は「応援派」でした。 なので「合格するための分析」もたくさんしましたし 対策レッスンのようなこともしていました。 ですが、志みたいなものに関しては 下記のように公表していました。 その時のブログがこちら でも、私が熱心に、それをやればやるほど 自分の中に疑問が生まれてきて そして、それにまつわるトラブルも増え。

【ふぃるふぃ〜るについて③】クラス開講

DAY34でも、お話ししていたように 当初の予定では「月1回のワークショップを1年間」で継続 これが1番のミッションでした。 それで、様子を見ながら、必要なクラスを開講したり 生徒さんを継続的に指導していく。 そう思っていたのですが。 その時代は(意外と今でもかな?) ミュージカル教室というものはとっても少なく。 ブログをあげ、状況を写真や動画で公開し。 また、DAY33でもお話しした子役さんたちのオーディション結果などもあり クチコミや、検索で、当初はとにかく 「子

【ふぃるふぃ〜るについて②】初めてのワークショップ

ふぃるふぃ〜るとして、一番最初に取り組んだのは ワークショップの開講でした。 もう一つ、ふぃるふぃ〜るを立ち上げるきっかけになった大きな理由。 それは「私、小さい頃から、子供にミュージカルを教えたかったんです」 という仲間からの、一言でした。 実は、某音楽教室のミュージカルコースをクローズした理由に。 そのコースは「その音楽教室の講師であること」が大前提にあり。 しかもその資格を持つためにはミュージカルだけでなく 「通常クラス」←鍵盤やリトミックのようなクラスを担当しな

【ふぃるふぃ〜るについて①】始めたきっかけ

2005年にすべてを捨てて、東京へ。 ただ、いろんなタイミングも悪く1年余りで大阪へ戻った2006年。 そのあとは、祖母の看病・葬式・そして大阪での新しい再出発。 その時に、某音楽教室ミュージカル教室卒業生の数人が 私に引き続き「ミュージカルを習いたい」ということで ふぃるふぃ~るの前身「Air~Performing arts Community」を立ち上げ 歌・ダンス・演技3つを基本すべて私が一人で指導しました。 ダンスに関しては時折ダンサーの友人に指導に来てもらった