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【ふぃるふぃ〜るについて③】クラス開講

DAY34でも、お話ししていたように
当初の予定では「月1回のワークショップを1年間」で継続
これが1番のミッションでした。

それで、様子を見ながら、必要なクラスを開講したり
生徒さんを継続的に指導していく。

そう思っていたのですが。

その時代は(意外と今でもかな?)
ミュージカル教室というものはとっても少なく。

ブログをあげ、状況を写真や動画で公開し。
また、DAY33でもお話しした子役さんたちのオーディション結果などもあり
クチコミや、検索で、当初はとにかく
「子役オーディションに合格したい人たち」を中心に
受講希望者が増え、その中でも特に熱心な親子から
「月2回レッスンないですか?」
「平日もレッスンしてくれませんか?」
という要望なども出てきて。

それなら、はい、やりましょう。
そうなんですね、はい、やりましょう。

と、気がつけば
2010年の10月には月2回のクラス開講。
2011年入ってすぐには平日クラスも開講。
その後、春頃には日曜日クラスは3クラス
平日クラスも2クラスにまでクラス数が増えていました。

最後の方には「バレエも必要」ということで
バレエクラスも開講して
その合間に私が歌唱を指導するというスタイルになりました。

今の形状に至るまでの、前身の形ですね。

自分が思っている3倍くらいのスピードで
目標が実現していくことへの驚きもありましたし
何よりもついていくのに必死でした。

ただ、求められたら「応える」習性があり
(もちろん、この先、それで自分の身を苦しめることもあるのですが)
とにかく、通う子どもたちのために。
そして、そこで働く講師スタッフのために。

私一人では出来ないことを一緒にやってくれているのだから。
私がやりたいことを求めてきてくれる
生徒さんたちがいるのだからと。

初めての「本格的な主宰者」としての修行が始まりました。

綺麗事を並べているように見えるのですが
お金のためではなく、本当に、志一つでここまできたのです。

お金は後からついてくるものだと。

分不相応のお金を求めることはせず。
これは自分の修行なんだと思って。

もちろん、この時は、乳幼児を抱えた身。
家族の理解も実はそんなに大手を振ってくれているわけでもなく。

主人はこの時は正直、反対はしていなかったですが
応援はしてくれていない状況でした。

理解がないわけではなく、主人は初婚でもちろん普通の家の方なので
「母親というもの」の普通を私に求めたのだと思います。

初婚では「普通の妻」を求められ、馴染めなかったのですが
再婚では「普通ではない妻」は理解してくれましたが。

「普通ではない母親」
というよりは主人は三男ということもあり
比較的、母親が家にいない子ども生活を送っていたので
その時の想いのようなものがあったのでしょうか。

「普通の母親は家にいて子育てするもの」
という思い込みが抜けないままだったので
「普通ではない母親」の私を受け入れ難かったようでした。

(それから何年も、何年も経ち、色々あり、今はそうではないのですが
それは、また、別のタイミングでお話しします)

私自身もどこかで「息子を置き去りにして出かける母」としての
後ろめたさみたいなものを感じることもありながら。

ただ、それを、本当に応援して支えてくれたのは、母だったと。

母も子どもが好きで、子育てが好きな人で。
いつも、母を「母のように」慕って通う生徒が母にもいたことを
私も知っていたので。

私も、その背中を無意識に追いかけていたのでしょう。

そして、私のその志のようなものを
同業者として理解してくれていたのでしょう。

そんな母の手助けも(もちろんそれ以外の家族も渋々ではあったかもしれませんが)あり
とにかく、急展開していく流れに必死に食らいついて
必要なこと、やれること、なんだってやりました。

その中で、最初に力を入れたのは子役オーディションへの対策でした。

これについてはまた、明日に少しずつ
紐解いて行こうと思います。

人生という舞台で輝ける人を育てる 自分の幸せは自分で生み出す こどもたちにその大切さを伝えるため また 未来を作る若者たちのための サードプレイスを作ります。 そのサードプレイス作りに必要な形で 有効活用させていただきます。