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怒り=驕り?【雑感】

こんばんは!月曜日お疲れ様ですね。今日みたいに天気悪い日は通勤だけでも地獄ですが、やはりテレワークはサラリーマンの味方と実感。


早速ですが、本日のnoteです。怒りと驕り、語感がなんとなく似たこの2つの言葉について。

私はあまり感情の起伏が激しいタイプでは無い(と思っている)のですが、仕事中などたまにイラっとすることがあります。本日もわずかにそんな瞬間があり、イラっとした数秒後に「いかんいかん」と自制するに至るのですが、同時に湧き上がってくるのが「なぜこんなことで怒る必要があるのか」という感情。これは「驕っている」のではないか?と。

これ恐らく皆さんも同じだと思うのですが、新入社員時代、右も左もわからないような状態のとき、多少理不尽なことがあっても怒りという感情が湧いてくることはほぼ無いと思うと思うんですよね。少なくとも自分は完全にそんな感じでした。まさに初心の気持ちというやつで、どんどん新しいことを覚えることに必死。上司が怖かったり、辛いと思う場面とかは勿論ありましたが、振り返ってみたときに他人への怒りの感情を持つことはほぼなかったような気がします。

特にこれは新人や若手社員について当てはまると思いますが、怒ってる新人見ることってほぼないような気がします。こういった怒りの感情を露わにし出すのは、ある程度自分に自信がついてきてからなのかなと。

自分に自信を持つことは勿論大事ですし、自信の無い人に着いていきたい部下もいないので、上にいくにつれてこの自信というものは大事になってくると思います。一方でここで注意しないといけないのが、「自信」と「驕り」はほぼ紙一重のようなものであり、自らが驕っていないか?と省みる必要があること。

日常の中で自らの驕りを自覚する機会というのは頻繁にあるものではないと思いますが、こういうふと「イラっ」としたときなど、「今自分は驕っていないか?初心を忘れていないか?」と自問自答する癖付けをすることは非常に効果的だなと思います(今日思いました)。初心や学ぶ気持ちを思い出すことは勿論、感情のコントロールにも有用だなと。個人的に、怒りの感情がプラスの結果を生み出すことってあまり無いと思うんですよね。周りにもいい気はしないですし、何より自らの精神衛生上の悪影響が大きい。その意味では感情コントロールできた方がbetterに決まってます。


たまにはこんな気づきを、ということで本日のnoteでした。非常に短いですがこんなところで。

それでは!

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