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【♯2 悔しいは、信用できる】


ここ数日、強い感情が沸きあがる瞬間がある。
胸の奥だけど、背中よりも内側。そんな場所が疼く。

誰かと熱い話をしたり、いい曲と出会ったりした時に出会うこいつ。
所謂、感性の扉みたいなのが開いてる。これ開くとしんどいから普段は閉じてるのに。
最近何度も開いて閉じてをするから、ムカついてきて、キーボードに手を伸ばしてみた。

活動経歴をあげたけれど、僕の活動は、
俳優が主と言っても過言ではない時期があった。
お芝居・芸術というのは、普段じゃ出逢わないような悩みとマッチングする機会がある。
未だに明確な答えが出てない悩みが幾つかある。

『自分の感情に自信がない』

どんなジャンルでも、作品を見たり聞いた時に、感想が言えないのだ。
思ったことはちゃんと言う。でもどこか、理屈くさいというか、
事実の複合体みたいな言葉しか出てこないんだ。

このシーンがあることによって、前半の展開やこの役が引き立っていて、
いい緩急になっていた。とか
あたかも、作品を理解した上で、印象に残ったかのような言い方をするけれど、心に刺さったとかじゃなくて、見てる最中に、付箋を貼っている感覚。

観劇に行って、印象に残る役者がいることもあるし、
そのシーンごとに、役と役者の両方を見ている。
役は、作品においての役割は何か。
役者は、台詞や身体のアウトプットがどう表に現れるか。
よく重心とか見てる。変だよねー。

言語化する能力を褒められたことがあって、それは自分でも理解していた。
僕は経験も浅く若い主宰だったから、あらゆるものを駆使して見栄をはるしかなかったからだ。
思ってないわけじゃないけど、ある程度欲しいだろうなって言葉をかけることはできる。
これに関しては、悪気がないし、強くはないかもしれないけど、ちゃんと思ってはいるんだ。
僕の中に、少しでも引っかかっていれば、それを主として伝えることはできる。
人のいいところを見つけるのも得意だし、伝えるのも大好きだ。
でもどこかで、そう感じ取れるように自分を持っていってるんじゃないかって、不安になる。

音楽を聴いて感動したとしよう。
ある人は、聞いてたら何だか泣けてきた。切なくて苦しくて感動したよ。
対して僕は、このストリングスの音が、痛みを表現しているかのよう、
音の転調の仕方が、ラスサビ前の休符が、etc…
音楽のことなんて、詳しくないくせに、印象に残るところが違う。

あと、歌詞を聞くのが本当に苦手。
歌詞に共感できて好き!みたいなことがあまりなくて、メロディ重視なのだ。

舞台を観ていて感動したとしても、何故感動したか?のロジックを解読しようとしてしまう。これって感想というか、
評価しようとしてるみたいじゃないだろうか?
そう疑問に感じてしまってから、僕は自分の感想・感情が怖くなった。

俳優としてお芝居をしてる時も、心が動いてないんじゃないか?
役はしんどいはずなのに、僕本人は、しんどさに包まれて安心している。
演出をしている時も、出力先の音の理想ばかり伝えてしまって、
役者を困らせてしまったこともある。
別に音だけ真似してほしかったんじゃなくて、
何故その出力になるかの、ルート選択をしてほしかったんだ。
ただ高い音を自分の力で出してほしいんじゃない。相手を受けた時の呼吸感だったり、身体の緊張、目線といった身体全てを用いてほしい。少しずつだけど、伝え方を変えることができてはきた。

難題に仕立てあげたり、複雑に考えたがってるだけなのかもしれないけど、
まだ明確な答えがわかっていない。それもあって、俳優の活動を離れてもいる。

そんな僕でも、ノータイムで信用できる感情がある。
それが『悔しい』だ。
利己的に考えたり、人の助けを借りた方が楽なのに、
絶対に自分でやりきらないと嫌な時がある。
どんなに下手くそで馬鹿にされようが、人に頼み続けるよりよっぽどマシだ。
成長の可能性が潰える方がよっぽど嫌だ。と頑固で頑なになったことが何度もある。

どんなジャンルだとしても、いい作品に出合った時。
素敵な人に出会い価値観に触れた時。
隣に立てない自分に悔しくなったり、現状の自分を許せなくなったりする。
なのに、立ち止まることや挫けることにも少し慣れてきてしまって、
歩みを進めることに、かなり臆病にもなってしまった。

それでも、自分には創りたい世界がある。
届けたい想いがあるし、救いたい自分がいる。

この悔しさだけは、無くしちゃいけない気持ちだ。
今の僕はすぐに表現に昇華できる状況ではない。
だからせめてものの抵抗で、こうして一気に言葉を叩きだした。

多分上手くは書けてない。
文中あんなに、感想が言えないなんて書いたくせに、
魅せ方なんて意識してない、勢いだけの散文だ。

願わくば、この散文が作品へと昇華し、誰かの心に届くことを信じている。
そうして求めていた誰かの元に届く未来があるのだとしたら、
僕はいくらだって自分を利用することができるのかもしれない。

全然考えてなかったけれど、こういうnoteの使い方が出来て僕は嬉しい。
早速矛盾するけれど、この嬉しさは混じり気のない本心だ。
最後に本心をもう一つだけ。

ここまで読んでくれた貴方へ、ありがとう。

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