だいじょばない!って言わないでね。
今年の私は
何回「大丈夫」と言っただろう。
連れ合いと会えず
何をするにつけ不安がる人の横で、
私は呪文のように
「大丈夫だよ、大丈夫だから!」
と唱え続けた。
あまりにも何度も繰り返したので、
次に大丈夫と言ったら
「だいじょばない!」
(大丈夫に反抗する言葉として
それが正しいのかは謎だ)
と叫ばれるかもしれないと
内心恐れてもいた。
それでも私は朝から晩まで何十回も
大丈夫。と、安心させるように
厳かに語りかけるしかなかったのだ。
だがそうしているうちに、
たしかにその人の心が凪いでゆくのが
分かった。
その人はきっと
誰かにそう言ってほしかったのだろう。
それはいつしか私自身への暗示にもなり、
私は自分の言葉を聞きながら、
そうだよね大丈夫だよね、と
小さく頷いていたのだった。
「大丈夫」は、やはり魔法の言葉なのだ。
2022年はとにかくシビアで、
目に見える私の形と
からだの内側にいる私の形とで、
だいぶ違っていたのではないかと思う。
四つの重たい別れもあった。
仕事をしたり音楽を聴いたり、
ご飯を食べたり散歩したりする私は、
いつも通りの私にしか見えなかったことだろう。
けれどもその中身は
ゼリーのように軟弱にふるふると揺れたり、
あるいは灰色の竜巻よろしく渦を巻いたり、
かと思えば
鋼の扉を頑ななまでにぴったりと閉ざし、
何も受け入れられなくなったりもしていたのだ。
見かけには現れない荒波を
心のうちに隠し持っていた。
今まで経験したことのない暗がりの中を
手探りで進んだ日々だったのだから。
今年の1月に
のほほんとおせち料理をつついていた自分が
遠くに霞んで見えて、哀しいほど懐かしかった。
あの時はその後の自分の立ち位置など
想像もしていなかったのだ。
がらりと変わってしまった身の回りの世界の中で、それまで意識することのなかった
剥き出しの自分と遭遇したのだった。
あれは誰だ?
見たことのある顔だな。
私に似ているけれど私じゃないみたい。
いや、認めたくはないだろうが
あれは私自身なのだよ。
そう心が告げた。
仕方なく私は、
目を合わせるのが難しいくらいの生々しい自分と
正面から向き合った。
私はこういことで腹を立てるのか、とか、
過剰な忖度をし過ぎてきたけれど
それは無駄な時間だったのだ、とか。
嵐の中にいても周りに翻弄されずに、
大切なものを守り通す強さを
私は持っているのだと知ったりもした。
それまでの自分からは
浮かび上がってこなかった真実を、
目の当たりにすることになったのだった。
おかげで
自分の中に無理がなくなったように思う。
無理をしなくても
自分を誤魔化さなくてもいい。
離れてしまっていたからだの形と中身の形が、
再び少しずつ重なるようになった。
どんな出来事も
意味のないことなど何ひとつないのだと
今になって思う。
今こうして穏やかな年の瀬を過ごせている奇跡に
私は感謝したい。
困った時には
必ず灯りをともしてくれる人がいた。
力を貸してくれたすべての人へ
愛と尊敬と感謝を捧げる。
その人達のためにも
別れを越えて
現実を跨いで
その先へ進んで行こうと思う。
大丈夫。
あなたも私も
ちゃんと歩いて行けるから。
私は何度でも繰り返し言う。
あなたが
「だいじょばない!」
と言い出しても
「いや、大丈夫だよ」
と真顔で諭すつもりだから。
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読みに来てくださった方々、
ありがとうございました。
『わたしの空』も300回を越えました。
みなさんの文章やお写真、創作したものを
拝見するのも楽しみでした。
人の感性や感覚や日常を知ることで
私の世界も広がりました。
ありがとうございます。
みなさま良いお年をお迎えください。
あなたの新年もきっと大丈夫だから。
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