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後悔先に立たず、または、後悔あとを絶たず。

これで最後だとわかっていたから、
とにかくずっと笑ってばかりいた。
懐かしいタイプのモンブランを食べながら、
私たちは夢のある楽しい話ばかりしていた。

「次に会う時までに編み物上手になって
毛糸の帽子をプレゼントするね」

「今年は金柑はあまりならなかったね。
1年おきに豊作になるから
来年はきっとたくさん実るよ。
金柑のジャムを作って近所におすそ分けしよう」

「庭の草取り頑張るから
次にどんな花を植えるか考えておいて」


これが最後の会話になっても悔いのないように、
希望と未来と感謝を
めいいっぱい言葉に詰め込んで。
この笑顔をこれから何度も思い出せるように、
私はみんなの表情のひとつひとつを
心に刻みながら見つめていた。

入院する前のあの人に
会いに行った時のことを書く。
心が震えているのは
悲しいからなのか、
恐れているからなのか、
後悔するような気がしているからなのか。
自分でもよくわからない。
けれどもこの震えを忘れずに胸に留めておくことは、私にとってとても大切なことだと思っている。だからここに記しておこうと思う。

入院が決まったあの人に
今のうちに会っておこうと思った。
それで実際、会って話をしたのだった。
昨日、あれだけ覚悟を決めて話したのだし、
握手もしたし、もう大丈夫。
そう思っていたのに、
翌日、私は朝から落ち着かなくて
そんな自分に呆れてもいた。
気がつくと私は
職場の壁にかかる時計を
ちらちらと見てばかりいた。
どうしようもなく落ち着きを失っていた。
昼過ぎには出発か。
私はこのままでいいのだろうか。
いやいや、今すぐ死ぬわけじゃないのだから
また会いに行けばいいじゃない。
コロナが収まれば
いつでも面会に行けるのだから。

でも私は、
自分の気持ちを誤魔化すことはできなかった。
この胸の痛みを抱えたまま
毎日を生きていくなんてできない。
あの時もう一度会いに行けばよかったと、
後悔しながら生きる覚悟などなかった。
収束するようでしないコロナ禍など、
この先どうなるかわからない。
本当に身軽に会いに行ける日が来るのだろうか。
そして、
あの人が生きて再び帰ってくることを、
完璧には信じられない自分がいることも
私は知っている。


そうだよ、認めよう。
私は今、あの人に
もう一度会いに行きたくてたまらないんだ。
私は自分の気持ちを正面から見つめた。
結局私は仕事を中抜けして、
去ってゆくあの人を見送りに行くことにした。
もらったのは1時間。
1時間以内に行って帰ってくること!


電車の乗り換えという乗り換えをすべて走って、
最寄駅を降りてからも走って走って。
苦しい呼吸に喘ぎながら、
あの人がまだ家にいてくれますようにと
祈っていた。
あの人の家の前に着いて、
コートの下で少し汗をかいていたけれど、
呼吸を整えて私はドアをノックした。
いつも通りのさりげなさで

「来たよー」

と言った。
するとあの人は
21センチサイズの小さな足で
床を擦りながら、
ゆっくりした足取りで玄関まで来て

「ああ、いらっしゃい」

と、いつもの笑顔で出迎えてくれた。
あの人が玄関先まで出てきた時に
笑顔じゃなかったことなど一度もない。



途中の駅地下の古くさいケーキ屋で
慌てて買ったモンブランを、
その場にいたみんなで食べることにした。
甘いもの好きなあの人は
頬を染めて嬉しそうに食べた。
囲んだテーブルには
嘘じゃないかと思うような
あの頃のままの
カップとお皿とフォークが並んで、
昔に戻ったのかと錯覚するほどだった。
一瞬、私の体は
このフォークを握っていた
小学生の夏休みに戻り、
それからまた現実の自分に還った。

「おいしいわね、これなんて言うの」

「モンブラン」

「モンプラン?」

「モンブラン、だよ。また食べたい?」

「うん。また買ってきてね、モンプラン」

「いいよ、今度会う時また買ってくるね。
モンプラン」


スローモーションで流れる時間と
慌ただしく限られた時間とが、
見えない所でせめぎ合う。
ふたつの相反する流れの中にいて、
ケーキを頬張る私たちは
ひとくち食べるごとに
過去と今とを行ったり来たりしていたのだろう。


こんなに美味しそうにケーキを食べるのに、
食べることは生きることに繋がっているのに、
いずれは人は死んでゆく。
どうして人は死ぬのだろう。
死んでゆくのに
なぜ生まれてこなきゃいけなかったのか。
死んでゆくと分かっていて、
なぜ出会うのだろう。
分かりきっているようで
ぜんぜん分かってなくて、
割り切れない。
能動的に生きているようでいて、
命のサイクルの中で
ただ単に生かされているだけなのだろうか。
そういうふうに決まっていると言われたら、
なぜ、と理由を問うことも
考えることも意味をなさなくなる。
『そういうふうに決まっている』
完。
それはあまりにもさみしいことだ。
出会いも別れもただの出来事だと
片付けてしまいたくはない。


そろそろ時間だ。
迎えのタクシーが来て、
あの人が荷物と共に乗り込むのを見守った。
枯れ枝みたいな腕を伸ばして手すりを掴み、
腰を曲げてシートに座る。
痛むところはないかと聞くと、
特にない、とあの人は答えた。
付き添いの人もタクシーに乗ってしまうと、
ひとり道路に取り残された私は
心許なかった。

「じゃあ、行ってくる」

「きっと会いに行くからね!」

車が小さく小さくなってゆくのを
視力の許す限り見つめ続けた。
やがてはそれも小さな点になり、
ブレーキランプの赤がぽっと灯ると、
午後の風景の中に溶け込んで消えた。
それを見届けると、
私は職場に戻るためにダッシュで駅を目指した。
悲しみもやるせなさも振り切るように、
猛烈な勢いで嵐のように走った。


感情も結局は言葉になる。
さみしい時には

「さみしいよ」

と、心の中で言葉に置き換えている。
それが頭の中で反響するものだから、
さみしさがどんどん膨らんでしまい、
私は今さみしいんだ、と
自分の心が聞いてしまって、
ずっしりと重くなる。
けれどもこのさみしさのなかには
本当はもっとたくさんの感情が入り込んでいる。
それを心で呟くための言葉を知らないことは、
幸か不幸か、
私を宙ぶらりんにして
これ以上奈落の底へ堕ちるのを
かろうじて繋ぎ止めている。

さみしさにも不在にも、
いつかは慣れるのだろうか。
あの人の家の
がらんとした部屋を見て、
息が止まるほどのさみしさに
急に襲われたら私は、
庭中の草を滅多やたらに
刈りまくってやると決めている。




文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。