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夜のお出かけ帰り。

子どもの頃は夜に外を歩くことなんて
ほぼなかったのだった。

夕焼けの色がさめて、
空が群青に変わる頃にはもう、
子どもたちは家のなかで
夕ごはんを食べたりお風呂に入ったり、
だらだらとテレビを見たり、
絵本を読んだりしているのが常だった。
夜というのは、
居間を出てトイレに行くまでの
暗い廊下の窓の向こうで
大きな庭木を揺するもの。
あるいは、
布団に入って天井から下がる常夜灯を
黙って見つめる私のまわりでじっとしている、
大人しくも少しこわいもの、だった。


めったにないことだったけれど、
家族での遠出の帰りが遅くなって、
夜の駅のホームで電車を待っている時。
あの不思議な高揚感は
私にしかわからなかったと思う。
父も母もきょうだいたちも、
ただ疲れた顔をして電車の到着を待っていた。
私だけが違う夜を見ていた。


しんとしたホームから見える
シャッターの閉まったお菓子屋。
昼間、ガラス越しに見る
ケーキやキャンディやクッキーは
あんなにキラキラ輝いていたのに、
それらは影もかたちもなく消え失せ、
甘い匂いすらなく、
首振りペコちゃんだけが店先に佇んでいた。
でもそれは決して怖いとか寂しいとか
いうものではなく、寧ろ、
いつもとは違うペコちゃんのアンニュイさに
私の目はどうしようもなく惹かれていた。
街灯に照らされた大人びたペコちゃんは、
実は真夜中に
大人たちだけが入店を許される
大人のお菓子屋を営んでいるのではないか、
などと想像を巡らせて、
自分なりの物語を頭のなかでこしらえていた。


駅の屋根の隙間から見える夜空。
妙に明るい電灯に遠慮していたのか、
わずかな星しか見えなかったけれど、
家の窓から眺めるものとは
違う色合いの夜であることに私は気づいていた。
その時の私は
ぼおっと電車を待っているように見えても、
心と頭のなかでは
日常ではない夜を感じ取ることに
全振りしていたのだった。
匂いも違う。
色も違う。
風の温度も、静けさの質も違う。
何もかもが珍しい。
夜のお出かけ帰りが私は好きだった。


今、夜遅くの駅のホームに立っても、
はやく帰りたい気持ちにしかならない。
家に帰って、
熱くもなくぬるくもないお風呂に浸かって、
ほてった体をクーラーで冷やして、
布団に転がってゆっくりしたいと思うだけだ。


それでも時々
子どもの頃の夜のお出かけ帰りのことが
頭を掠めて、
ホームに立ったままあの頃のように
隙間の夜空を見上げてみたりする。
相変わらず星は見えないけれど、
夜空の色は昔に近い。
懐かしい夜の匂いがどこからか運ばれてきて、
あのペコちゃん、今はどうしているだろう、
などと考える。
お菓子屋自体、そこにはないのかもしれない。
一緒に電車を待っていた
家族も今はここにはいない。


今よりもっと暗かったはずだけれど、
お出かけ帰りの夜が少しも怖くなかったのは、
何も知らない子どもの私を守る家族と、
冷たくも優しい
田舎の夜の時間の手ざわりがあったから
だったのだ。
そして今も心のどこかで、
夜の魅力を教えてくれた、
艶のある目をしたアンニュイペコちゃんを
探しているのかもしれない。







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