あなたの人生がfeelin'goodであるように。
誰かに寄り添う方法は
人によってさまざまである。
優しく手に触れたりハグをしたり、
温かい言葉をかけたり、
ただただそっと隣にいたり、
あなたのことをちゃんと見てるよと
メッセージを伝えようと試みたり。
あの人にとって寄り添うことは、
どこにいても必ず歌を届ける、
ということなのだろう。
ステージが見えない『参加席』の人たちに向けた
巨大モニターが用意されていたことに、
私はひどく心を揺さぶられたのだった。
まだ暑さがたっぷりと残る八月の下旬、
2日間だけの藤井風さんのライブが開かれた。
今回のライブは
初日のみyoutubeで生配信もされた。
例えば最新曲1曲だけを配信するとか、
そういったことを予想していた私は、
この事実に衝撃を受けた。
さらに会場での撮影もokだという。
それが決して不利益をもたらさなかったことは、
ライブ後の今、証明されている。
それまで藤井風さんの音楽に触れなかった人たちが、ライブの凄さを伝え聞き、
アーカイブを観て、
藤井風さんの虜になっているのだから。
ライブが終わって1週間が経とうとする今も、
いかに素晴らしい時間と空間だったのかを
SNSで発信する人が後を絶たず、
皆、ライブ前の日常にはまだ戻れないでいる。
個々の歌や演奏、演出、
アレンジやダンスのかっこよさは、
他の多くの人がリポートしているので、
今さら私が書くまでもないようだ。
なので私は全体を観た上で感じたことを
少々書いてみようと思う。
*
コロナ禍の季節、
だだっ広い日産スタジアムの会場で
無観客ライブをするしかなかったことを思うと、
今回は超満員の人が待っているのだという事実に胸がいっぱいになった。
しかし再びこの場所で歌う藤井風さんには、
リベンジという言葉は当てはまらない。
もっともっとやわらかいもの。
あの時も、今回も、
すべては必然なのだと感じた。
このライブのタイトル"feelin'good"な雰囲気は、
登場の仕方にも表れていた。
藤井風さんは生成色に近いベージュのシャツに
薄いブルーデニムというナチュラルな衣装で、
すたすた歩いて登場した。
2日目などは一般の客席の中に突然現れたのだ。
この時、藤井風さんは
すべての人の心の隣にたしかに座っていた。
警備する人もいない危うさがあったけれど、
観客は殺到することもなく
温かく彼を迎え入れた。
後に明かされた話によると、
ノーガードでの登場は心配ではないのかと問われた藤井風さんは、
自分はみんなのことを信じているから、
と答えたのだという。
彼からのこの信頼を、
決して裏切ることがないようにしたいと、
皆が心に誓った夏だった。
始まりから、
藤井風さんの圧倒的な美しさに
しばしぼうぜんとなってしまった。
不思議なほどひかり輝いていたのだ。
もちろんライトが当たっていることは
知っている。
でも決してそれだけではない。
これまでの藤井風さんの成り立ちが
さらなる高みへと押し上げてきた自信。
彼が放つ癒しのプラスのエネルギー。
あれをオーラと呼ぶのだろう。
今まで以上に清らかで、
混じり気のない祈りのようなものが
彼の姿に立ち現れていた。
ライブは歌う側が一方的に供するものではないのだと、今回のライブでしみじみと思った。
バラード曲になると、
自然発生的に観客のスマホライトが灯り、
藤井風さんは
7万の星が煌めくなかで歌っていた。
まさにライブはlive、
その場にいたみんなで創り上げた空間は
生きていた。
なんと美しい光景だろう。
藤井風さん自身も、
永遠にこの夜のことを
忘れないでいてくれるといい。
この先何か迷うことや悩むことがあった時、
藤井風さんを包みこんだみんなの光を
思い出してくれるといい。
すべては背景の映像の美しい空が物語る。
日が昇り、
夕焼けに染まり、
やがては星空と月がいる夜を迎える。
青春は去り、思い出となり、
人生の時は止まってはくれない。
いつかは誰もがお墓に入ることになる。
その日までを精一杯生きることで
私たちの心は満ち足りてゆく。
では満ち足りた人生を送るためには
何が必要なのか。
それは自分と自分以外の人間を
大切に思う心なのではないだろうか。
それが心地よい暮らしに
繋がっていくのだと思う。
人は人のなかで生きてゆくのだから。
このライブを観て、
人生のあり方にまで思いを馳せることになるとは、藤井風さんはやっぱりすごい人なのだ。
これからさらに
世界中で彼の音楽が聴かれることを思うと
楽しみで仕方がない。
彼の波動と音楽が世界を優しく包み込む日を
私は心待ちにしているのだ。
***
画像は藤井風youtubeより
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