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彼女は胸に鳩を飼う。【ショートショート】

彼女はブラウスの中に二羽の鳩を飼っていた。
ベージュ色の柔らかいブラウス越しの
ふたつの膨らみ。
上から二番目のボタンまで外している胸元が
少しはだけて、
鳩の白い羽根の先が窺いていた。
彼女の体温に抱かれ、
鳩は体を丸めて眠っているようだ。
時折喉の奥で
ぽるるぅ、とくぐもった声で鳴いている。

彼女が長い脚を組みかえながら
そうよねえ、と相槌を打つ時。
つるつるしたカフェテーブルの上の
アイスティーのストローを咥える時。
鳩はほんの少し体をもぞつかせて
僕を慌てさせる。
いつもこうだ。
彼女と知り合ってから、
僕は常にこの鳩たちに翻弄されてきたのだ。
彼女が悪いわけではない。
鳩たちは真面目な僕をからかっているのだ
きっと。

僕に無関心な彼女が少しだけ唇を開いて
窓の外を行き交う人達をぼんやり眺めている間、
鳩は黒めがちな艶のある瞳を開けて
まっすぐに僕を見つめてきた。
絶対的な聖域にいる二羽の鳩は
僕のことを不躾なまでに観察してくる。
彼女が何か言葉を発するたびに、
きみはどう思ってる?
と言わんばかりに僕をじっと見る。
だから僕も鳩の黒い目を見据える。
僕は鳩を見ているのだ。
彼女の豊かな乳房を見ているわけではない。
僕は昔から真面目な人間なのだ。

「本当に愛がある人は、
そんなに簡単には愛だ愛だと
言わないものじゃない?」 

「確かに愛を連発する人間は胡散臭いな」

「愛を陳腐に取り扱わないでほしいのよ」

琥珀色のアイスティーが
ストローの中を昇ってゆく。

「ねえ。言葉にしないで愛を測る方法は、
何か知ってる?」

彼女の榛色の瞳と
鳩の黒い瞳が
同時に僕を見つめた。
腕組みをして見上げたカフェの天井には
無論、答えなど書かれていなかった。

「僕にはちょっと思いつかないな」

彼女は艶のある唇を横に引いて
ふんわりと微笑んだ。
鳩はブラウスの中で
もそりと動いて体の向きを変えた。
白い羽根がふるると震えた。
目のやり場に困った僕は、
汗をかいたアイスティーのグラスの肌を
雫が滑ってゆくのを、
ひたすらに目で追いかけることにした。

「来週ね、仲間内でやるセミナーがあるの。
もしよかったら私と一緒に行かない?
みんないい人達ばかりよ。
いつもお食事を奢ってもらってるお礼に
あなたを紹介したいの。
まだ他の誰にもこのことは話していないから、
二人だけの秘密にしてね。お願い」

彼女は両手を胸の前で合わせて
眉を下げた。

「すごくためになるお話がたくさん聞けるわ。
あなたに一番最初に知らせたいなと思ったの。
もうびっくりすることばかりよ。
人生観が変わっちゃうくらい」

彼女は僕が誕生日に買ってあげた
クロコのバッグの中から
パンフレットを取り出して、
僕の方に差し出した。
そしてぴかぴかしたネイルの指先で
時々僕の手の甲に触れながら、
どれほど実りあるセミナーなのかを
淀みなく話した。

「悪いんだけれど、セミナー料金がかかるの。
ああ、そんなに高くはないわ。大丈夫。
私と一緒ならメンバー料金で参加できるのよ」

鳩たちは息を殺して静かにしている。
僕はゆっくり目を瞑り、
今月支払われる筈の給与の額を
頭の中で算段した。

「さっきの話だけれど」

僕は鳩に焦点を合わせて言った。
彼女も鳩たちも
豆鉄砲を喰らったようにきょとんとして
僕を見た。

「愛を測ろうと思うこと自体が
野暮じゃないだろうか。
人の気持ちを試したいという魂胆が見えるし、
そこには愛というより何かの作為の匂いがする」

鳩は小首を傾げる。
彼女も小首を傾げる。


突然、鳩はブラウスを抜け出して
テーブルの上に降り立った。
白い羽毛をまとった体と
薄紅色の脚があらわになった。
鳩たちはカツカツと小さな音を立てて
テーブルの上を歩き回り、
彼女がこぼしたアップルパイのかけらを
ついばんだ。
それから僕に向かって威嚇するように嘴を開け、
んがぁ!
と聞いたこともない声を出した。
彼女はちらりと鳩たちを見やると、
あとはもう鳩など存在しないかのように
振る舞った。
鳩たちはしばらく周りの様子を伺っていたけれど、誰かが店を出るために開けたドアの隙間から、
不意にばさばさと外へ飛び去っていった。
鳩は審判を下した。
もう戻ることは無さそうだ。


「なんだか暑くなってきたわね。
もう出ましょう」

ブラウスの胸元をつまんで
ぱふぱふと風を取り入れながら、
彼女は先に立って出口へと向かった。
ヒールの音は
鳩の足音よりずっと硬くてひんやりとしていた。
カフェ代は僕が払った。


僕は昔から真面目な人間なのだ。
堅物だとか杓子定規だとか
融通が利かないとか、散々言われてきた。
そして少しばかり愛が足りないらしい。
遠ざかってゆく彼女のベージュ色のブラウスが
夏の終わりの風に翻った。
鳩の姿はどこにもない。
知らない街の上空を飛んでいるのだろう。


******

ボディパーツショートショート。
今回のパーツは「乳房」

いつのまにか当初考えていた
ファンタジックな路線とは
違うストーリーになっていて、
自分自身、戸惑いました。笑
おかしいな。
こんな筈じゃなかったのだけれどな。
ボディパーツを題材にすると、
どうしても体の匂いのする文章に
傾いてしまうようでした。
けれども指先の導くままに綴るのも、
またひとつの楽しみ方ではありました。

#ショートショート
#ショートストーリー
#ボディパーツショートショート

文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。