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ちょっと味見させてくれませんか?

近ごろ、異国の屋台で作られる料理の動画を
見ることにハマっているのであった。
Instagramというのは恐ろしいもので、
ひとつそういう動画を見ると

「これ、見たね。
じゃあこういうのも好きでしょ?
ね?見たいでしょ?」

と、似たような動画を際限なく勧めてくるのだ。

「わかったよ、仕方ないなあ」

などという気持ちで見始めると、
意外なほどのめり込んで次々見てしまい、
気づくと掛け時計が冷ややかに
こちらを見下ろしていたりする。
もう夕方の4時ではないか。
してやられた。
書きかけのノートを後ろめたい気持ちで閉じて
ため息をつく。
時間泥棒だ。
だがものすごく興味深い動画なのも事実だ。

私が延々と見続けていた
屋台の料理動画に出てくるものは、
(主に中東やヨーロッパ)
料理といっても
もっと手軽な青空ランチ
もしくは、
ちょっとひと息つきたい時のおやつ
のようなものがほとんどだ。
しかしそこは異国。
見たこともない食べ物のオンパレードなのだ。

細い麺をひとまとめにして
油で揚げたもの。
クリスマスにかぶる三角帽子形のパイの中に
スープが入っているもの。
(どこから齧ればいいのだろう)
熱々の湯気を立てる
ぶよぶよした巨大な茶色のもの。
それらに大抵はトッピングとして
荒みじんにした何かや砂糖を、
ぱらりと素手でかけるのだ。
薄くて丸い生地を焼きそれで何かを挟む、
というものも多いのだが、
中身が何なのかは
見た目からは計り知れない。


総じて屋台の彼らの料理の仕方は、
ひとことで言うと、ザツである。
テキトーに練った生地を
巨大な銀色のテーブルのごとき鉄板に
バンっ!と叩きつける。
それから銀盤を回して生地を広げてゆくのだが、
気づくと均一な厚さの
薄いクレープのようなものが
すでに焼きあがっている。
その真ん中に
これまた見たこともない真緑色の魔法の粉を
ざっくばらんに撒き、
その上にさらに
砂糖(と思われるもの)
ナッツ(だと思うたぶん)
スパイス(じゃないとしたら何だ)
を散らし、
焼いた生地を器用に端から折り畳み、
ナタのように大きな包丁でダンダンと
高らかに切り分けるのだ。
それらを紙包や
プラスチックのパックに詰めてゆくのだが、
もうこれ以上ないくらい
容れ物にピッタリサイズにカットされていて、
手慣れた動きの無駄のなさに
感心するのだった。
彼らは皆、恐ろしく手際がいい。
毎日大量に作り、人々のお腹を満たして
生きる力を配っているのだから。


かと思えば、
赤、黄色、真緑(またしても真緑色である)、
青、白、オレンジ色などの
水飴のようなお菓子も出てくる。
粘り気のある色の中に棒を突っ込みもちあげる。
そこにまとわりついて垂れてきたそれを
別の棒で絡め取り、
くるくる巻きつけてゆく。
何色か好みのものを巻いたら
最後にレモンをきゅっとザツに絞って、
満面の笑顔で客に手渡す。
彩りが美しい。

動画には説明書きもあるのだが、
いかんせん何語かもわからない。
甘いのか辛いのかも謎のまま。
でもなぜか無性に心惹かれ、
食べてみたくなるのである。
それはきっと、
私が暮らす場所で食べるべきものでは
ないのだろう。
喧騒と埃っぽい空気と、
熱い風吹く街角で。
威勢のいい掛け声に負けじと
こちらも声を張り上げて

「これとこれとこれを頂戴!」

と怒鳴りながら手に入れて
その場でパクつくからこそ、
美味しさがわかるのだと思う。
彼らの料理をザツだなどと
失礼なことを言ったけれど、
いい意味でラフではあるけれど、
年季の入ったやり方に
その人なりの料理の知恵が見え隠れする。
本当にびっくりするようなやり方があるのだ。
粉を水で溶いたゆるめの生地を、
ジョウロ的な容器から糸の如く細い束で
鉄板に幾重にも輪を描き広げてゆく。
熱々の鉄板の上で
それはすぐに1枚の薄い生地になるのだが、
鉄板にべた塗りした方が早いのに
などと思うのは、
私が何も知らないからなのだろう。
そこにはきっと、そうする理由があるのだ。
伝統的にこの作り方で
彼らはずっとやってきたのだから。


その土地でしか味わうことのできない
空気もスパイスとなって、
彼らは食べ、働き、遊び、歌い、恋をする。
私とは違う世界の中にいて
知らない食べ物を口にする彼らも、
皆、同じように
そこから活力を得て体を作ってゆく。
食べることは生きること。
おいしく食べるための
その場所ならではの工夫。
それはつまり、
明日も生きてゆくための工夫でもあるのだなと、
彼らの瞳と手つきをみながら
思いを馳せるのだった。


今までに見た動画のなかで、
気になっているものがある。
太陽みたいに大きくて丸くてつややかに輝く、
焦茶色のパイ。
サクサクのパイ生地の間には
とろりとしたチーズが挟んである。
焼き上がりの表面はぱりっとして
見た目も華やかだ。
それをナイフで格子状に切ってゆくのだが、
切るたびにパイの層がはがれ、
かなりめちゃめちゃに崩れてしまうのである。
あんなに美しい出来上がりだったのに
この有様か、と、
私は少し絶望する。
料理人はそれを別の皿に移すのだが、
そのあとパイはどのような形で
供されることになるのだろう??
ぐずぐずになったパイ生地の山。
そこに何かをさらにまぶしたり乗せたりして
隠してしまうから、
ノープロブレム、なのだろうか。
いや、
崩れていてはいけないという、
私の思い込みが間違っているのかもしれない。
世界の見方はひとつではない。
そのこともこれらの屋台動画は
さりげなく教えてくれるのだ。


さあ、パイをひとくち、
私にも味見させてくれませんか。


#元気をもらったあの食事

文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。