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着られなかったTシャツのブルース。

深い紺青の空を、一枚のTシャツが飛んでいる。
袖や裾をはたはた翻しながら。
夜の色におされて、
目を凝らさないとよく見えないけれど、
白い姿はたしかにぼんやりと浮かんでいる。
Tシャツの前面には、モノクロの花。
淋しいところを
たったひとりで飛んでいるTシャツに
話しかけたかったけれど、
私の声は聞こえないようだった。
ごめんね。

Tシャツが、夜の夢の中を飛んでいたのだ。

よくある店で買った、ありきたりな服だった。
それでも私はそのTシャツを
かなり気に入っていて、
夏の間、繰り返し袖を通した。
さらさらのロングスカートでも、
ドットのワイドパンツでも、
ラフなデニムでも。
何とでも相性が良くて出番は多かった。

どんなに丈夫なTシャツでも、
度重なる洗濯でくたくたになるのは
避けられないことだった。
まだいけるはずだと思い込んで
着倒していたけれど、
夏の太陽が少し角度を変えたことで、
Tシャツを見る私の目も変わった。
くたびれ切ったTシャツ、ご苦労様。
来年はもう会えないね。
夏じゅう頑張ってくれて、ありがとう。
大好きだったよ。
暑かった夏も、
その日、ぱたり。
と、終わりを迎えた。




一昨日、季節の変わり目の服を
出し入れしている最中に、
唐突にそのTシャツと再会したのだった。
正確にいうと、
夏の日に着ていたTシャツではない。
あまりにもそのTシャツを気に入っていた私は、
もう一枚同じものを買い足したのだった。
そのことをすっかり忘れていた。
申し訳なさそうに
クシャクシャと現れたTシャツは、
あまり馴染みのない同級生みたいな顔をした。
ちょっとした距離感があるけれど、
知らないわけじゃない。
 そして一度も着ていないTシャツ2号は、
まっさら綺麗なままだった。
懐かしさとバツの悪さの同居した気持ちで、
私はそのTシャツを胸に当ててみた。


流行りも好みも、変わるもの。
でもそのTシャツと再会してみて、
やっぱり好きだと思う。
気に入る気持ちのピークは過ぎていても、
悪くないと思う気持ちは本当だ。
もう忘れてしまわないように、
春の間も
一軍を置く場所に
仲間入りさせておくことにした。
着られることなく夜空を彷徨う
あのTシャツの夢の淋しさを、
味わうことがないように。


どうか今年の夏は、
今のこの私と、お付き合いください。
去年とは少し違う私と、
ドッペルゲンガーみたいなきみ。
何かが足りないもの同士、
あつい太陽の下で、
一緒に過ごそう。

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文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。