おれの恋路を邪魔する奴だけ馬に蹴られろあっち行け

わたしはかなり執念深いタイプの性格をしている。
自分に対してかなり理不尽に縁を切ったりした人間の事は気が済むまでネトストするし、終わった恋愛を当たり前みたいに年単位で引きずる。
よく目にする理論というか、フレーズとして「愛は真心、恋は下心」「してあげたいは愛、してもらいたいは恋」みたいな、恋慕と愛情の違いを耳障りのいい文章に落とし込んだものがある。定期的にTwitterで鬼バズったり、恋愛系アカウントがコピペみたいにツイートしているやつです。
こういう系で納得したことがあまりなくて、そんなの人によるだろ、と思ってしまう。そんなこと言ったらキリがないのも理解はしているが、どうにもしっくり来ないのである。


わたしは「自分を騙してても愛されたい時は『付き合いたい対象』で、ありのままで嫌われるくらいならそれでいいのが『友人』」と自分のこころを解釈しています。
実際の行動はわりとそれから乖離していて、友達であればあるほど気を遣うし恋人になるとなるべくありのままを見せようとする。これは、わたしの行動が感情よりも倫理に依存していることを現している。
それはそれとして、心持ちとしては上記カギカッコ内である。と思う。
身勝手なのは承知だが、人のために自分を曲げる、とかが本当に嫌。他人というのは自分の所属欲求と承認欲求を満たすためだけの登場人物であって、わたしは本質的にはそこに自我を認めていない。自分だけが「こころ」を所持している、と無意識下で思っている節がある。もちろんそれが正しいとは思わないし、繰り返すようだが行動にもなるべく移さない。
そもそも空気を読む能力が壊滅的に欠如していたり、年の離れた兄弟姉妹がいる影響で趣味嗜好が同世代と少し違っていたり、そういう思春期を過ごしたことによって性格の根底に逆張り思考がこびりついていたり、こんな人間になったのにもいちおう理由はたくさんあるし、自分を悪とも思っていない。嫌な奴だなとは思うけど。
他人に対して興味が無いならまだ良いのだが、わたしはわたしへの評価には興味津々なので、そういう意味では他人の顔色を非常に気にしているし、noteのダッシュボードも死ぬほど見ている。本当に嫌な奴。
それゆえ、冒頭に書いた通り「自分に理不尽な評価を下した挙句にその理由もろくに告げず居なくなった存在」への興味関心が尽きることが実質的にないのだ。結果として「自分を好きでいてくれる友人より縁を切られた他人を気にする」という激ヤバ人生を送っている。

これを基本として、付き合いたい!と認識した人間にはこの人格がアホほどバグっていきます。とにかく自分の性格や半生をひた隠しにしたくなり、何があっても相手を不快にさせず、そして嫌われないよう努めようとする。この感情は付き合ってからも消えません。

現実としては、生涯添いとげるかもしれない恋人にはなるべくありのままを晒すし、親しき仲にも礼儀あり、が母の口癖だったためか友人に対してはなるべくそれを守って接しています。

というか、ここまで書いていて思ったのだけど。
「自分のために動くモブであってほしい」はかなり最悪水準の「下心」。
「不快な思いをさせたくない」はかなり標準的な「まごころ」なのでは?
冒頭で少し触れた「愛はまごころ、恋は下心」を是とするなら、恋はともかくわたしは好きになった瞬間から相手を愛していることになってしまうな。重すぎ。キモ。
逆に世の中全員に最悪水準の下心を抱いているのもかなりキモい。

世の中全員に下心を抱いていても務まる仕事って何かないですか?アイドルVTuber?アレは恋人がいたらよくないのでは?

いつも以上に思考がまとまることなく書きたいことを書き終えてしまったのでキモイところで終わります。読後感キモ。


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