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読書への姿勢

本を買った。数年ぶりだ。

特典付きのコミックスや、付録目的のファッション雑誌、アイドルが載っているグラビア雑誌、そういうものを買うとき、わたしは「本を買った」とあまり思わない。電子書籍を購入した時もそうだ。

わたしは「本」というものを「価値あるセンテンスが詰め込まれた紙の束」であり、そうでなくてはならないと思っている節がある。

だから、Amazonで頼んだ書籍が、ネコポスの荒い梱包で届いて、それを開封した時に、ああ本を買ったなあ、と久々に思った。そういう意味で、本を買うのは久しい。

購入した本にはとくにビニールなんかかけられてなくて、そのまま、2冊まとめてボール紙の封筒に入っていた。片方はそれはそれは綺麗なもので、よくもまあ、わたしの暮らす町まで無傷で届いてくれたとうれしくなり、紙と紙のちょうど真ん中のあたりに鼻を当てて匂いを嗅いだ。
あたらしい本の匂いが好きだ。何の匂いなのかは知らない。

もう1冊は文庫なのだが、帯の角が擦れて色あせていた。よく見ると、全てのページの左下隅がほんのり折れ曲がっているように感じる。
わたしは偏屈でつまらない人間であるから、真っ先にクレームを入れようか考えたし、すぐに検索バーに出版社の名前を入れて検索した。
そこで、ふと思いとどまる。
わたしは歌を歌ったりなどするとき、曲調に合わせて一丁前に声を濁らせたり、ひずませたりしている。
お洒落なひとは、あえて古着ってやつを着たり、かたいシャツを着崩したりする。
本にも、同じことが、あったりするのかも。
新品をあえて古く見せる、綺麗なものをあえて汚す、乱したものをあえてそのまま陳列する。
整然とした区営図書館より、雑然とした親の書斎のほうがなんだか魅力的に感じる。
人の顔も左右非対称である方が魅力的らしいし、それがエモい、みたいなことだろうか。

高校時代、帰宅時に使うバスの路線がおおきく2種類あった。片方は少し遠回りだけどより家の近くまで連れて行ってくれて、片方は少し歩かされるけれどコンビニに寄れるしなにより早かった。
基本的にはわたしは人の少ないバスに揺られる時間が好きなので、学校近くの喫茶店や放課後の教室で時間を潰し、帰宅ラッシュを避けて、前者の遠回りなバスに乗っていた。
でもたまに、後者のバスに乗る。そして、家の最寄りのバス停で、降りるボタンを押さない。
そのまま、バスの一部になったみたいに、安いイヤホンで好きな曲でも聴きながら微睡む。
そのバスの終点は町の1番大きな駅だった。
そこで、乗客が全員下ろされる。寝ていたら運転手に起こされる。うとうととしながら、通学定期券を見せてバスを降りる。
わたしの通う高校がある町は、いちばん大きなメインステーションであるそこが、すごく寂れていた。
近くにあった大規模な施設はすべて潰れ、裏通りの繁華街は半分シャッター街になって、バスと電車が集まるだけの形だけの駅。
中に入ると目に入るのは少ないロッカーと、掃除の行き届いていないトイレと、ATM。それらを抜けると、待合室、小さいコンビニ、やけに長寿なパン屋とか、はんこ屋。

わたしはそれらすべてを無視して、小規模な古本屋に入る。そこが好きだったからだ。
今売れているバンドのインディーズ時代のCD(本物かコピー品かすら怪しい)とか、むかし小学校の図書室で読んだような気がするサイズ感がバグった絵本とか、歯抜けに並ぶボロボロの少女漫画とか。ルールも何もあったもんじゃない、無法地帯のブックオフみたいな空間。大体10畳くらいしか無かったような気がする。
学生服を身に纏う来客が珍しいのか、店主らしきマダムがレジの奥からこちらを見る。コーヒーと煙草の匂い。本売るってレベルじゃねーぞオイ。
値札もついてない、でも精々200円かそこらであろう文庫と、見たことないパッケージのCDと、昔家にあったはずなのに失くした漫画を手に取って、レジに持っていく。マダムが電卓を叩く。値段を確認している様子は無いので案外適当なのだろう。
袋は、と聞かれ、ください、とこたえる。
何か欲しい本でもあったのかい、いいえ、バスで寝過ごして、たまたま。そう、でも、いい本を買ったよ。ほんとうですか、読むのが楽しみです。うんうん、これ、あげるから、本と一緒に楽しみな。そうだ。MDプレイヤーとかはあるかい、あります、古いですが、姉のものが。そう、それじゃこれも。え、いただけませんよ。いいから、もらっていって。
そんな会話を最後に、書店をあとにした。
店主がくれたのは、ミルクキャンディーと、小さいディスク。表面のメモみたいな欄(名称を知らない)に、お気に入り8、と書かれていた。あのマダムのマイベストなのだろうか。貰ってよかったのかな。

自販機で買ったあたたかいお茶を飲みながら帰りのバスを待ち、それに乗って、イヤホンをつけて、こっそり、もらった飴を口に入れる。買った文庫を開いて、数ページ読み進めて、バスの揺れに酔って、本を閉じたりする。そうこうしているあいだに家のすぐ近くに着いていて、慌てて降りる。もう日が暮れかけてオレンジ色の空を見ながら息をつき、家までの数百メートルをずるずる歩く。
ポケットに入れた手が、遣る方なく飴の包装でくしゅくしゅ遊み、うつむいた口元がマフラーの中で少し湿ったりする。
帰ったら本を読もう。姉に、MDプレイヤーを貸してと言おう。よくわからないCDも聞こう。宿題は明日学校に行ってからやろう。
そんな事を想いながら、砂利を踏んで、家の鍵を鞄から出して。

そういうふうにして読んだ本は、いつも角が色あせていた。買った場所が古本屋だから、と言ってしまえば身も蓋もないのだけど、その擦れは嫌じゃなかった。不思議と新品の漫画のビニールを剥がす時より、日に焼けた文庫を開く時の方が気分が良かった。自分がセンスのいい人間になった気がした。

今日届いた本の著者も出版社の方も、傷や折れがあると言われれば二つ返事で交換に応じるだろう。でも、久しぶりに買った本。なんとなくこれを返品するのが嫌だ、と思った。前述の思い出も手伝って、この本の傷への不快感は瞬時に消えていた。

著者も出版社も配達員も、誰も知らない物語が、わたしの手元の本にある。それだけで少し、気分がいい。


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