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【生きづらいと感じている全ての人へ。連載⑧】父

私の父はとても身勝手で、自分中心で、
「子供の事なんか俺は知らない。勝手にやれ。」と言うような、
いわゆる“毒親“という、最近良く聞く単語で表すのがぴったりな父親だ。
大人になるにつれて、なんてダメな男なんだろうと改めて感じるくらいにダメダメだった。
でも、私はそんな父が嫌いでは無かった。

とても自慢できるような親ではないが、優しい所があり、楽しいところもあった。

父は酔っ払って機嫌が良いと、大好きな洋楽の話しをしながら良く絡んできた。あの曲のあの部分がいいよな。とか。
小さい頃は興味がなかったが、大人になってから海外ドラマにはまって洋楽を聴くようになり、私も不思議とそれらを好んで聴くようになった。そうすると、酔っ払い話しに乗っかって、私も一緒になって好きな曲の話しを自然としていた。

そんな風に親と話せた事はそれまで無かったから、私はその時間がとても好きで嬉しかった。

そんな父が、脳梗塞で倒れて一度死にかけた。
なんとか一命を取り留めたものの、左半身が麻痺する後遺症が残った。
父と母は私が大学生の頃に離婚している為、父のそばには弟(私の)しかいなかった。
私は母に変に気を遣ってしまった事と、親としての責務を果たさなかった父を家族として恥ずかしいという気持ちがあり、大学生の頃に家を出て以来、父には会っていなかった。

だが、退院した後に後遺症が残り、仕事もろくに出来なくなってしまったと聞いてさすがに心配になった。
また、当時付き合っていた今の夫にプロポーズをされたタイミングでもあり、いくらダメでもたった一人の父親に祝福されたい。安心させたい。という気持ちもあり、父に会いたいと思った。

そして、意を決して父に電話をした。
近況を報告し、会いたい事を伝えた。少し声が震えた。
すると、思いもよらず、情けないから会いたくないと言われてしまった。

約7年振りに聞いた父の声色は暗く、不安と自信のなさが伝わってきた。
結局、何度かお願いしたものの、うんとは言ってくれなかった。

そしてその時に、「死んじまおうと思ってさ。」とこぼした。
左半身が麻痺しているせいで仕事もできない、トイレも失敗するし、情けない。迷惑かけるし、生きてたってしょうがねえだろ。と父が言った。

私は驚くのと悲しいのと同時に、無性に腹が立った。

だって、誰のせいでこんなに困って、死にたいと子供の頃から何度も考えて、居なくなりたくて仕方なくて、でも必死に這い上がって、普通になるためにたくさん勉強して、お金もかけて、それで素敵な人と結婚する事になったのに、いつまで父親の役目をまた果たさない気なの!?
どこまで自分勝手なの!この親は!!と。

そして、何も考えてないと思っていた父がそんな事を言うと思わず、父の中に人に迷惑が掛かっているという考えがあった事に驚いたのと、とても悲しく、情けなく思った。

そして、あまりフォローできないまま、
「父ちゃんが死んだって弟に迷惑だよ。弟は自分を責めるよ。そんな事やめてね。」と少し冷たく言って電話を切った。


その3ヶ月ほど後に父は自殺した。



暑い8月の日だった。
夫がお昼にパスタを作ってくれていた。
突然、音信不通だった弟から、嘘みたいにさっぱりとした内容のメールが来てその事実を知った。

弟のメールとは対照的に、私の涙は溢れて止まらなかった。
何度も何度も、事実と今後の流れが書かれた業務メールのような内容を、
読み間違いじゃないか、理解の仕方が間違っているんじゃないか、
冗談だったりして、と少しの希望が欲しくて読み返した。
でも、ありえないほどに簡潔な弟のメールは、がんばっても読み間違えようが無かった。

食欲は無かったけど、夫がせっかく作ってくれたパスタを一生懸命に食べた。
少し味が薄いかもと夫が言うけれど、味なんて全然感じられなくて、
とりあえず食べなきゃ。と、よく分からない使命感で。

父のことを色々と思い出しては涙が溢れて、
ぼろぼろに泣きながら食べきった。

(つづく)


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