【都度更新】主婦→大黒柱/法律婚⇄事実婚/妻側→夫側姓変更/保険適用不妊治療をやってみて分かったこと&エッセイ(未完)

ここ9年の間で自分の人生の環境移行をやりまくったので覚え書きです。
あくまで私の場合の異性との結婚と不妊治療に関する人生の話ですが、社会制度をなかばハックしまくっている気がするので、自分自身のメモがてら、この世の誰かの参考になれば。

友人は演劇や文章などを残すことを「地図を作るようなもの」と言っていました。これは私なりの地図で、悩んだり考えが変わったとき、ここに立ち返り、更新し続けます。

失敗を重ねてPDCAサイクル(?)をぶん回した過程は以下の通りです。

地元の地方で年の差法律婚(妻側姓変更)→共働き→仕事を辞め専業主婦→自己流妊活→離婚→上京と再就職→同世代のパートナーと事実婚→大黒柱(稼ぎのメイン担当)→保険適用での不妊治療→このパートナーと法律婚(夫側姓変更)

つまり、

地方→東京
専業主婦→大黒柱(メインお金稼ぎ担当)
年の差婚→同世代婚
法律婚⇄事実婚
妻の姓変更→夫の姓変更
自己流妊活→保険不妊治療

と、環境をガラッと変えながら、自分にとって何が向いていて、何が心地よくて、何に納得ができるのか、そんなことを覚え書きとして残していきます。(正直それぞれに対して量多めのコラムが書けそうなのですが、ひとまず網羅するため、このnoteにまとめていきます)

また、9年の中で時代背景が変わっていること、地元(地方)と東京で事情がそもそも違うこと、元夫・今夫の働き方や政治的主張などの属性がほぼほぼ真逆で、比べるつもりはないしそれは双方にとって大変失礼ですが、結果として人間を対比構造の中で扱ってしまっているかもしれないことが懸念としてあり、書き方は都度考えていくつもりです。

環境変化のそれぞれが個別の事象ではなく、すべて繋がっている体験なので、同じことをそれぞれの項目で何回も書くかもしれません。

更新中なので興味のあるものだけ、以下の目次からどうぞ!(今は不妊治療についてをメインに更新しています)


①専業主婦から大黒柱になってわかったこと(更新中)

専業主婦のとき

・結婚当初は共働きだったが、仕事と家事と病気の通院の両立に苦しみ、数年後元夫の同意のもと、復職できるまでしばらく専業主婦になった(しかし諸事情で私にも引き続き収入があった)
・元夫の好みとこだわりに合わせた毎日の献立作り、こだわりに合わせた洗濯の方法、こだわりに合わせた掃除に日々疲れる
・自然と減っていく社会との繋がり
・専業主婦叩きに心を痛める
・SNSや当時ハマっていたファンコミュニティでの交流が癒しになる
・しかしSNSにのめりこみすぎるきらいがあった
・元夫は私の収入の有無に関わらず専業主婦でいることに次第にイライラし始めていく
・自分の仕事である家事を行っていても元夫に不満に思われている様子に耐えられなくなってくる
・もっと今なら働き方も家事の仕方もうまく交渉できるかもしれないが、新卒すぐ結婚だったため色々と幼く、経験も圧倒的に足りていなかった。
・元夫の収入は地方での生活であれば十分に足りると考えていたが、今となっては確かに後々のことを考えると1馬力では不安になる気持ちが分かる

大黒柱(お金稼ぎメイン担当)になってみて

・今夫は働いているため主夫ではないが、比較的在宅仕事が多いのと、フリーランスであるため休日を自分で設定している
・また長く一人暮らしをしていたためか、家事全般ができる。
・仕事の性質上、資本主義社会で私のほうが「お金を稼ぐ」ということに最適化された働き方をしている=お金稼ぎメイン担当となった
・家に帰ってご飯が作ってあると助かる
・洗濯がしてある、下着が足りる
・私のこだわりなんていらん、とにかくご飯があって洗濯がしてあるとありがたすぎる
・ご飯が作れなければ「今日はご飯各自で!」と言い合えて助かる
・掃除も洗濯もしなくても別に死なない、いてくれるだけで嬉しい
・平日に時間を作れる人がいるありがたさ、役所や書類の取得や宅配便の受け取りを柔軟に行ってくれることへの助かり
・でもお金の不安は確かにある、そういう意味で元夫のイライラはよく分かった
・自分が倒れたときパートナーは大丈夫かという不安
・自分が倒れたときパートナーは家庭を支えられるくらい働けるかという不安

結局すべては相手への信頼の問題なのだと分かった。
それでも時間的に自分とは違うリズムで家にいて、家事もできる人の存在は助かりまくるし、不安があれば将来について都度話し合えばよいことなのではと思う。

また、専業主婦か/働くかというのはそれぞれの夫婦・家庭間の事情で決まっていることで、そしてどの生き方をしてもそれぞれの大変さがあるし、口出し不要&大きなお世話だわよ!という気持ちが強い。
いずれを選んでも社会からは余計な小言を言われることがある。(専業主婦の時は暇でしょと言われていたし、大黒柱の時は夫さんの理解がありますねとか言われる。何かを契約する時もお金を出す妻より先に夫に確認が取られたりもする。)
少なくとも自分にとってはどっちが楽とかはなかった。パートナーとの関係の向き不向きもある。

②法律婚と事実婚(更新中)

法律婚について

地元で法律婚をしたことで「家(イエ)」や「地域」、「子どもを作ること」の圧がすごかった。一気に自分自身から個人を剥奪され集団に取り込まれる感じ。それまで若い女性扱いされていたものが、今度はいっぱしの「家制度の嫁」扱いである。どちらにしても苦しみは変わらなかった。

しかし一方で、法的に保障されているという安心感がある。事実婚では事故や病気などで何かあった時のことを考えると、パートナーがどこまで立ち入ることができるのか、死後に何を残せて何を残せないのかが不安だった。(これは同性でパートナーシップを結ばれている方とも通じる不安かもしれない。ただし、後述する異性事実婚では可能な「社会保険上での扶養」すら同性間のパートナーシップでは認められておらず、ここにはすさまじい落差がある)

また、税法上の扶養にも入れられること、職場や親族への説明が容易であることもメリットだった。(ただし、初回の元夫との法律婚では共働きかつ主婦になった後も収入があったため扶養には入っておらず、この部分はあまりメリットを感じなかった)

事実婚について

事実婚にしたのは夫を社会保険の扶養に入れるためと後述する不妊治療のため。事実婚では前項の通り税法上の扶養には入れないため注意が必要である。
事実婚の体験談として水谷さるころさんのエッセイや記事が参考になった。
バツイチで次の結婚に事実婚を選ぶ人、結構いますね…。分かるぜ…。

事実婚の手続き関連

役所への届け出
・世帯合算の手続きを行い、そこで住民票の続柄に夫(未届)もしくは妻(未届)を記載してもらう必要がある。
・事前に電話で世帯合算と続柄の変更方法・事実婚に必要な書類について役所に問い合わせた。
・お互いの戸籍謄本が必要だった記憶がある。
・しかし妻の方が世帯主で夫を未届にしてほしい旨がなかなか電話での問い合わせでは伝わらなかった。(窓口ではすんなり手続きできた)
・引越しで居住区が変わった際は、旧来の住民票にすでに未届の記載があるため、戸籍は要らなかった。

会社への扶養の交渉
事実婚でも社会保険上の扶養に入れるという資料のURLを揃えて人事総務担当者に連絡
・担当者から社労士さんに繋いでもらった
・そこから扶養の判断をするため夫の収入の証明(雇用契約書や給与明細等)を数カ月分提出した

③自分の姓が変わることと夫の姓が変わること(更新中)

妻側(自分の姓)が変わったとき

とにかく姓変更の手続きが大変。手続きにかかる諸費用もばかにならず、結局離婚して再度元の姓に戻るまで変えきれなかったサービスもあった。

それでも最初は結婚の浮かれ気分で楽しかったが、じわじわとアイデンティティが剥奪されて追い込まれていく。人から新しい姓で呼ばれることで段々と「嫁」という別の存在が貼り付けられていく感じ。(このあたりもう少し詳細に状況を書きます)

離婚後、再度姓変更の手続きがあったがこれもまた地獄。結婚の間にマイナンバー制度も始まったため手続きが増えた。
また、戸籍の姓名変更に時間がかかるため、私が上京して就職活動をする時に何らかの手続き上の穴に落ちて、リクナビネクストか何かで指定された選考に必要な書類が用意できず、あきらめなくてはいけなかった就職先がある(詳細思い出します、名前変更と住所変更と就活を同時にやったのが敗因だった記憶がある)

離婚後の姓に対する思い

姓変更の時の手間としんどさを2度ほど知っているだけに、自分の姓が変わるのも夫の姓が変わるのも辛すぎて、というか愛する人に対してこんなつらい目に合わせるのが悲しすぎて嫌だった。
そのため極力事実婚のまま過ごしたかった。しかし、不妊治療の過程で法律婚をすることがお互いの安心と安全のために必要だったため、とうとう法律婚をすることに。

夫は「(渋木は)一度名前を変えたことがあってアイデンティティの喪失に苦しんだことがあるのだし、自分が名字を変える。今のところ名字を変えることへネガティブな思いもないし、むしろアイデンティティの喪失の苦しみがあるならば自分も一度体験して味わった方がいいと思う」と言ってくれた。

他にも私の資格や所有しているものの関係で、夫に比べて姓名変更の手続きが煩雑になること、夫には仕事上の名前があって、そちらは変わらないこともあり、ぎりぎりまで悩みに悩んだが、「夫側が私の姓に変わる」ということとなった。

気持ちとしては、今でも夫の名前が変わってしまったことは嫌だ。私の本名と違ってキュートで大好きな名字だった。もし夫が新しい名字に嫌気がさしたらさっさと離婚してまた別姓にしようねと言っている(夫はしないよ〜と言っているが私の方が嫌気がさして別姓にしたり夫の名字に変わるかもしれない)

夫の姓が変わったとき

さて、夫の姓が変わったわけだが、私側はというと体感がな〜〜んにも変わらない。変わらなすぎて楽で、正直法律婚の実感もあまり湧かない。書類の手続きも微々たるもので、ほとんど負担がない。そしてそれが酷く不均衡で不気味だ。

世の、名前を変えてない側の方はこんなに気楽に結婚してんのかい?と思ってしまう。(きっとそんなことはないのだろうが。)過去の体験と比較して、そしてその恨みつらみもあって、こんなに静かに日々が過ぎていくことに憤りを感じる。名前を変える側の苦労なんて何も味わわないじゃないか、と思ってしまう。

夫が横で取引先との銀行や振り込みに関する姓変更のタイミングに悩んでいるときも、一緒に必要書類を調べることはできても、まさに手続きに行くことはできない。夫の取引先とやり取りすることもない。どこか他人ごとになってしまって、そのたびに過去の自分の四苦八苦を思い出してしまう。

④不妊治療(★HOTに更新中★)

2024年今現在、私は東京都で保険適用による不妊治療を下記の流れで行っている。
2022年4月不妊治療が保険適用に→2022年8月不妊治療クリニックに来院、保険適用外の検査を夫婦ともに受ける(東京都の助成金を使用)→タイミング1回→卵管通水検査→2022年9月~2023年5月までAIH6回(途中治療休みを挟む)→7月採卵1回(6個中3個胚盤胞)→11月体外受精1回目→2024年1月体外受精2回目→妊娠継続中

不妊治療に至るまでの経緯

地元での結婚と妊活

地元で結婚した元夫とは年の差があり、年上の先方が強く挙児を希望していた。ただし、不妊治療には消極的で(特に男性の検査に対しては抵抗があるとのこと)、1年以上子どもに恵まれなかったが、なかなか病院での治療にアクセスできなかった。仕方なく中国製の安く大量に手に入る排卵検査薬と基礎体温で自己流タイミングを取る。(DAVID排卵検査薬を大量購入していました)

2年が過ぎる頃にやっと不妊治療クリニックの説明会に夫婦そろって参加できるも、クリニックの方針や説明が合わず、そしてその頃には夫婦間の多くの擦れ違いによって心身が疲弊しており、この人との間に子供をもうけることが自分にとって幸せとは思えずに離婚。24〜27歳の間のことだった。

→この頃の妊活ではかなり病む。子どもができないこと自体ではなく、結婚した時点で親族や職場の人や知り合いのみならずほぼ無関係な他人からも「子どもを作らないのか」「子どもはまだか」などの言葉を頻繁に受けたことが辛かった。かなり気軽に掛けられるそれらの声は、あの社会にとってはただ天気の話をするようなもので、一人一人は一度ずつしか尋ねないことでも誰かと会えば必ず聞かれる話題だった。

これは当時の時代と居住地域、職業、私の年齢もあるかもしれない。いまだに言ってきた人間のことは誰が何をどのような調子で言ったかまで全員覚えている。周りの、まさか当時の私の年齢で不妊ということはないだろうという考え、家や子どもに関する興味の強さをひしひしと感じた。

→この時の経験で法律婚=他人に夫婦生活や生殖についてあれこれ詮索される屈辱的なこと、というトラウマが出来上がってしまい、法律上の結婚願望が無くなる

つまり、子どもができないことそのものにはあまり悩んでおらず、子どもを当然に求められる周囲の環境に悩んでいた。
離婚を選んだ人生に納得もしていたので、友達の結婚や妊娠出産はめちゃくちゃ嬉しかった。

東京での事実婚と不妊治療

上京して付き合った新しいパートナー(今夫)には、お付き合いの最初の時点で上記を全て話し、子どもがなかなかできないかもしれず、結局元夫と私の不妊は原因不明のため、不妊治療をする必要があるかもしれないこと、自分は子どもはいてもいなくても構わないこと、欲しい場合は里親制度や養子縁組制度を検討する必要があること伝えた。
夫は何も驚かず、何も嫌な顔をせず、不妊治療をするなら一緒に取り組むし、むしろ経験として男性の不妊検査はしてみたい、養子縁組についても親族に似た経験をした人がいるのでイメージがつくし大丈夫、とあっさり言ってのけた。

不妊治療をするか悩む期

今夫も子どもはどちらでもよい、というスタンスだったおかげで、ゆっくり考えた結果、果たして積極的に不妊治療をすべきかどうか悩んで立ち止まった時期が4年近くあった。

・本当に子どもが欲しいのか分からない
・不妊治療にかかるお金や痛みが不安
・自分の幼少期を肯定的に受け止められない
・そもそも血のつながりが必要か、今すでに生まれている子たちに目を向けるべきではないか
・正直どこまでを人の手に委ねるのか、生殖医療と人間の生命の倫理とは
・この社会で生まれた子どもは苦労をするかもしれない、幸せにできるだろうか

そして悩みに悩んで自然なタイミングで子どもができるのを期待して4年が過ぎ、ついに不妊治療に進むことを決心した。
進んだ理由にはさまざまあり、

・自分とパートナーにとって、子どもがいてもいなくても幸せだと思えたこと
・結局どこまで行っても子どもを持つことは自分のエゴなのではないかと思ったこと、それならばそれを引き受けようと思ったこと
・自分の幼少期と自分の子どもとでは環境が違うこと
・人工と自然はどこまで可分なのか考えたとき、結局人の営みならば人工も自然の一部ではと思ったこと
・昇進等でお金に少し余力ができたこと
・不妊治療が保険適用されたこと

が挙げられるが、一番は

・子宮内膜症の悪化

が理由であった。
20代後半から毎月の生理での痛みがかなりひどく、病院を4件回った。そのいずれでも、子宮内膜症の可能性があるがエコーではうまく見られないと言われ、おそらく深部子宮内膜症(ダグラス窩)であること、しかしこのままエコーやMRIでも確定診断はできない可能性があり、最終的には開腹手術で見てみるしかないと伝えられた。

結果、挙児希望の場合は治療より妊娠を先に目指した方がいいと言われる。
→毎月の生理痛がしんどく、また「子どもができるかできないか分からない」「それによって未来の可能性がなかなか確定しない」ことに業を煮やして、どうせ保険診療には年齢と回数制限があるので、制限の上限いっぱいor体力の限界まで治療したら納得して次の人生のステップに進めると思い、治療開始

病院を選ぶ

不妊治療をすると決めたら、どこで治療するかが次の問題になる。
絶対条件として、
・事実婚でも治療可能なところ
・仕事と両立できそうな診療時間とシステム・立地を備えているところ
が挙げられたが、他にも自分の好みとして
・基礎体温を記録しなくていいところ
・エビデンスに基づいた科学的な方針で淡々と治療を進めるところ
を選び、3つに絞ったうえで、初回予約が取りやすかった病院に決めた。

保険診療での不妊治療の課題

自由診療と保険診療は混合診療ができない
自由診療は科学的な根拠やリスクや副作用について不確かな場合があるし、患者の金銭的なデメリットも多い。また、何か不具合が起こったとき、解決するのは結局保険診療のリソースであったり、患者の財政状況によって治療機会の公平性が損なわれたりという問題点もあると聞く。

一方で、自由診療を切に求めている治療もあり、がん治療や性適合手術などでも、この「混合診療」ができないということは問題になっているそうだ。

不妊治療に関して言えば、どこまでの治療を保険適用とするか病院によって判断がバラバラであるのが問題で、(※私が採卵を受けた2023年7月時点では)例えば採卵の際の麻酔にしてもA病院では全身麻酔可能、B病院では局所麻酔のみ、C病院では無麻酔で…というような差異があるようだった。

また、採卵直前に卵子を成熟させて受精可能な状態に持っていくためのトリガーとなる薬剤についても、A病院では強力なものが使えるが、B病院ではOHSS(卵巣過剰刺激症候群)を防ぐため、そしてそのOHSSの治療薬が保険適用ではないと判断しているため、弱い薬剤しか使えない、といった差異もある。
→保険適用直後のことなので、適用から2年経った今はB病院でも使える薬剤が増えているという話を聞く。
これは、保険診療には国による指導や監査のようなものがあるらしく、その監査基準を守るため保守的な運用をしている病院と、ぎりぎりを攻めている病院がある、という違いのようだ。

先進医療について
自由診療の中でも、例外的に保険診療との混合診療ができるものがある。これは「先進医療」と呼ばれていて、自由診療の中で実績を積んだもののうち、将来保険診療になることを目指しているものだ。

混合診療が可能なので、保険適用分の治療は3割負担のまま、先進医療分のみ全額自費で払うことができる。また、確定申告の医療費控除の対象にもなるらしい。
ただし、高額療養費制度は保険適用のみ対象なので、この先進医療は対象にならないことに注意。
自治体によっては不妊治療の先進医療に対して助成がある。(東京都もあります)

→不妊治療では自費診療による治療部分の成果を期待している人も多く、子どもを強く希望している人にとって、保険適用内では自分の納得いくまで治療ができるかというと難しいのかもしれない。

例えば、若いうちになるべく多く採卵し、受精卵を獲得しておきたくても、保険適用では「貯卵」ができない。つまり、受精卵を貯めておくことはできず、取れた卵を移植によって使い切るか、廃棄してから再度次の採卵へと移る。そうなると再度の採卵時の年齢は初回の採卵時より上がっているし、取れる数も減るかもしれない。不安と焦燥感が募っていくのがとてもよく分かる。

治療方針の選択と悩み

卵管通水検査について
通っていた病院は卵管造影検査には意味がないという方針で、通水検査のみ行っていた。
→これは病院によって見解が分かれていて、私も造影のみ他の病院でするかかなり悩んだ。
正直、病変の発見ではなく、副次効果のいわゆる「ゴールデン期間」狙い(軽度の卵管癒着や狭窄では、卵管検査によって癒着が改善し、妊娠率が上がるという説がある)で、読み漁っていた論文の中に油性の造影剤で妊娠率が上がるというものがあったため。(論文のURL持ってきたいので調べ中です)
しかし造影剤によるアレルギーの懸念もあり、また長年の自己流タイミング法や、6回のAIHを行った中で、このまま自分が妊娠するというイメージも湧かなかったため、体外受精にステップアップ。このままこの病院での体外受精がうまくいかず、転院する時に改めて考えようと保留した。

TORIO検査について
→後日記載

不妊治療と仕事

→後日記載

不妊治療 心が折れかけたことランキング

3位:飲む打つ貼る塗る入れる吸引するこの世の全てのパターンの薬摂取方法を(摂取時間やタイミングを含めて)管理しなくてはいけなかったこと。

ホルモン剤のオールブルーなのかい?サンジくん、ここにあったよ。

2位:ルテウム膣錠の油漏れ

バラムツやんけ〜〜〜!
探偵ナイトスクープや野食界隈(茸本朗さん等)を見ていなかったらダメだったかもしれない。
ルテウムという膣に入れる座薬があるのだが、この薬剤の基材に使われている油脂成分が非常に強力で、おりものシートなどの薄いシートでは貫通して下着やズボンまで沁み出してしまう。初回に知らずに使い、お気に入りの仕事着が汚れてしまった様を見て、これまで張りつめていた糸が切れて心が折れた。
バラムツというのは魚で、美味なのだが脂が多く、しかもその脂はワックスエステルと呼ばれる人体では消化できない成分でできているので、食べるとおしりから脂が出てきてしまうということで有名だ。
バラムツとルテウム膣座薬を同時に摂取してどっちの油脂が強力か勝負してほしい。なお、ルテウムはしあわせ素肌で無事防げた。

1位:卵管通水検査

シンプルに痛い。痛みにはまあまあ強い方という自認があったが、とにかく内臓を抉られるようなズンズンとした痛みがすさまじい。迷走神経反射を起こしてしまい、検査後の吐き気と腹痛と冷や汗が止まらず、病院のトイレに籠りきりに。あまりにもトイレから出てこないので最終的に車椅子で運ばれることとなった。これでこんなに痛いなら出産は無理ではと思い心が折れる。

この他にも採卵時に20回以上卵巣を刺して得た卵子が6個(うち成熟卵は3個)だったこと、そのことによるOHSS(卵巣刺激症候群)、不妊治療の成果の出なさ、飲み会中や仕事中トイレでお腹にホルモン剤の自己注射をするミッション、夫との不妊治療知識の足並みの揃わなさ等々辛さはあったが、事前に知識を得ていたこと・覚悟していたことも多かったので、明確な心折れポイントにはならなかった。

不妊治療 面白かったことランキング

3位:生物と保健の知識がフル活用され、自分の体を使った実験みたいで楽しい

高校の時に唯一テストで満点近く取ったのが生物と保健で、興味の方向性がアダルティすぎて当時はちょっと恥ずかしかったけど活きました。過去の自分ありがとな。
論文を読み漁ったり、病院ごとの治療方針の違いや主張に使用しているエビデンスを読んだり、うまくいかなくても次の作戦を考えたりするのは楽しかった。

2位:腕に塗るホルモン剤の初回注意事項で、
看護師さん「アルコールの成分が含まれているので塗ってすぐ料理とかしないでくださいね、燃えちゃいますからね(笑)」
私「寝る前に塗るし大丈夫だと思うんですけど気をつけます(笑)」
って言った次の日の夜中に薬を塗ってすぐ鍋で柿ジャムを作り始めたこと

無意識すぎた、気づいたときびっくりした。慌ててジャムづくりを中断した。柿ジャムは美味しくできた。

1位:採卵するときに着替えていたら、パンツを脱ぎはじめたタイミングで有線放送からたまたまアヴェ・マリアが流れ出したこと

わしゃ処女受胎かい?



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