~フランス地方菓子マカロン講座より~地方菓子文化を彩るマカロンの歴史
ご無沙汰しております。ベルベルです😊昨年夏頃からフリーとなり、現在北海道美瑛町、旭川中心にお菓子教室を主宰させて頂いております。
まず、
わたしの教室で大切にしていること。皆さんに聞きたいこと。それは、自分の口に運ぶものに普段どれだけ興味を持っていますか。ということです。
お菓子は嗜好品です。自分の欲のままに食べることはもちろんです。
しかし、考えてみて下さい。大量生産されたお菓子の原料はどこから来ているのでしょう。また、自分でお菓子を作ろうと思ったとき、はたまたその材料はどこから来ているのでしょうか。
わたしは美瑛でパティシエールをする中で、様々な生産者さんや流通に関わる人と接することで、1次産業から3次産業までを見渡すことができました。
そんなわたしができることが、生産者と消費者を間接的に繋げることだと感じています。
生産者も消費者も、自分自身に無関心では今後の日本の食文化は廃れる一方でしょう。そんなことをフランスの郷土菓子文化の面白さの力を借りて伝えています。日本で暮らす日本人として、食生活が豊かになり、安全でおいしいお菓子を日常的に食べられるように😊
全国3会場で行ったフランス地方マカロン講座
昨年9月~10月、北海道・美瑛町、静岡県・沼津市、東京・日本橋にてお菓子教室を開催。フランスのモンモリオンという町のマカロンを日本風にアレンジした「モンモリオン風きなこのマカロン」を実習で取り上げました。
きなこは北海道北竜町の黒千石豆のきなこを使用。この黒千石豆は小粒で天候に左右されやすいとのことで1970年以降栽培はストップ。幻の黒千石と呼ばれました。(美瑛町の赤麦も然り。)それから復興事業が興り、現在は北竜町にて黒千石事業組合も設立されている。(詳しい内容は別に投稿致します。)
参加者の皆さんは簡単に作れるマカロンにびっくり。皆さんご存じのパリのマカロン、マカロンパリジャンとは違う。しかし素朴で庶民に寄り添う町のマカロンを道産食材と共にお伝えできました。
焼成後、お菓子の歴史と共にマカロン食べ比べ
焼成後はお菓子の歴史を踏まえながらの歴史講座。モンテミリオン、パリ、南仏まで、3種類のマカロンを食べ比べながらマカロンの奥深さと地方の食文化を知っていただく。
皆さんがご存じである、バタークリームを2枚のマカロンで挟んだものはMacarons parisiens(マカロン・パリジャン)、またの名をマカロン・ジェルベ。このマカロンは1900年代初頭に生まれたとされ、今でも代表的なお店である「ラデュレ」、また現在は閉店してしまった「コクラン・エネ」というお店が発祥であるとされる。
また、マカロンジェルベという名前は、パリのマカロンの発案者であるとされるジェルベの名前を取り、そう呼ばれている。
フランス各地には、その土地ごとのマカロンが存在する。はちみつ入りのアミアン、モンテミリオン、ナンシーなど、町の数ほどマカロンは存在するのではないか。クリスマスマーケットにも各町に大量に積まれたマカロンの屋台が置かれる。
その材料はいたってシンプル。卵白・アーモンドパウダー・砂糖。焼成時間や形がそれぞれ異なるが、材料はこれらが基本。
もとは修道院で作られていたとされるマカロン。発祥はイタリアであり、地中海沿いは良質なアーモンドがとれる為、納得である。肉を食べられない聖職者の栄養源であったともされる。
フランス宮廷へは、アンリ2世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスが伝えたということが有名である。
修道院の経由では、フランスのコムルニーという町のマカロンはメロヴィング朝時代に(481~751年)イタリア修道院から伝わったといういわれがある。それを考慮すると、カトリーヌの輿入れ(1533年)よりだいぶ前にフランスに伝わっていたこともうかがえる。
皆さんはわたしが記述した内容を全て知っていましたか?美味しいお菓子を深堀すると、なんと歴史の授業になります。
わたしが日本人であるから客観的に文化を面白いと思えるのしょうか。そこから自分に置き換えたとき、自分を育む食文化はどんなものなのだろうか。とも考えるのです。少しでも興味を持てたら、食について考える。また、わたしにご教授していただければ幸いです。
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