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叱ってくれる人がいない

私は東京に友達がいない。


本当だ。今も何度考えても誰も浮かばないことがそれを証明している。

普通、友達がいれば10秒もあれば浮かぶものだ。

そもそも東京に限らず測定地域を地元に広げても友達は少ない方で、
幼稚園からの親友と、今は関西で美容師をしている
男の子の友達がいるだけである。


学生の頃はクラスのヒエラルキートップ7人ぐらいの女子グループで
リーダー的な存在だった。人生でいじめられたこともない。
ずっと友達はいた。


上京した当時、話し相手はおばあちゃんしかいなかった。

「今日もおばあちゃんとしか話していない」

「今日もだ」

「今日もだ」

そうして1週間が経ち、
おばあちゃんがいてくれてよかったなと思いながら眠る。


さすがにこの状況はまずいと、積極的にイベントに行ったりして
人に会う努力をした結果、早々に詐欺にあった。

この時、世界には悪い人はいないという脳内のお花畑は
一瞬にして焼けた。私が親指を地につけた日である。

かつて学校や習い事に私を騙して何かを奪おうなんてしてくる人はいなかった。私は初めて人の悪意に触れた出来事だった。


学生時代から私はよく人と喧嘩をしてきた。
喧嘩をしてバイト先をやめたことも、
もう会わなくなってしまった人もいる。
決していいことばかりではないけど、それで今も連絡を取るような人は
少し特別な存在になる。

共に山を乗り越えようとした同士の結束はあると思う。


最近出会う人は決まって優しく、温厚で、「怒ったことがない」と
誇らしげに言う。喧嘩とかしないの?と聞く。

答えは「喧嘩とかめんどくさいじゃん、疲れるじゃん」である。

それは放棄だと思う。
体力を使ってまでではないという半端さを感じてしまう。


優しいから良いとかではない。

優しい人を探すのはそう難しくないし、人は好きな人には優しいものだ。

そうではない。叱ってくれる人や怒ってくれる人は、
一緒に何でも考えてくれる人だと思う。


そんな人が一人では怠けてしまうような私の人生には必要で、欲している。


腹が立つことも、気にくわないこともあるだろうけど
そう言う人は自分としっかり向き合ってくれている人だと
忘れないようにしたい。


話は戻るけれど、友達がいないというのは自分を叱ってくれる存在がいないと言うことと同義で、これは寂しいものです。


「違うよ」と言われたい夜もあるものです。




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