見出し画像

ミュージカル女優を目指す女の子の話

唯一、東京にはおばあちゃん以外に
頼れる人がいた。

それが高校からの同級生の女の子である。

彼女は幼少期から劇団四季が好きで、
ミュージカル女優を目指していた。

彼女とは同じクラスであり、同じ演劇部に入っていて、
三年間を通して恋も夢も語り合うような素晴らしい仲だった。

そんな彼女は高校卒業後そのまま上京をして
ミュージカル専攻の大学に入った。
そして定期的に京都に帰ってきたとき、
京に行った時には会って現状の分析と今後の空想を話し合っていた。

そして後を追うように、一年後に私も上京。

それからはかなりの頻度で泊まったり、街を歩いたり、ご飯を食べに行ったりした。
新宿の歌舞伎町を堂々と歩いている
「東京1年先輩」の彼女がかっこよく思えたし
背筋をピンと伸ばしてまっすぐに歩く彼女は、東京に美しく染まっていた。

そうやって過ごしていくうちに、私も上京してから年月が経ち、半年が経った頃にはいろんな出会いがあった。いい人も悪い人もいるなという体験をした。
その頃から少しずつ東京に地に足をつけ始めていた。

私と彼女には決定的な違いがあった。
それは生活の仕方だった。
彼女はまだ学生で、転勤したお父さんと二人で暮らしていた。
私は独り身で上京してきたので、自分の家賃は自分で払い、
お金はもちろん自分で稼ぐものだし、自分で稼がないと生きられない側だった。
自給自足。時間もない、お金もない生活の中で、
私が夢見ていたものは誰かの今の仕事だ、と思うようになった。

側や彼女はアルバイトもしたことがなかったし、
そんな必要もなかった。学生としての猶予があったからその本分を全うしていた。
学生としての焦りもあれば、自由にお金を使えるかといえばそうでもないだろうし、
学生としての不自由や不安はあったかもしれない。本当の気持ちは今もわからない。

ただ当時、自分があまりに必死に生きていたせいで
その猶予が時々羨ましく思っていた。

私は東京で色んな人に会ってみたい気持ちから徐々にお酒を飲みにいく場面が増えた。
バーのアルバイト始めた時期だったし、色んなところにフッ軽でいくようになった。
人の力を借りないとこれ以上、自分の世界は広がらないとも思っていて、
積極的に動いていた。
それは良い手段だと思っていたので、よく遊んでいた彼女のことも誘うようになり
六本木、代官山、渋谷のイベントなども呼んでは、知り合った人を紹介したりした。

でも彼女は真っ先に私を心配した。「変わってしまった」とか「だらしなくなった」とか
そう思ったかもしれないし、生意気になっていくこともつまらなくなっていたのかもしれない。確かに当時は人脈人脈人間になっていたから、可愛くはなかったのだけど。
それに彼女はかなり堅実だったから、こういうチートは正攻法ではない、
小さい頃から毎日稽古をして、積み重ねていくことを美徳と考えていたから
ある帰り道、「すーちゃんみたいに私はなりたくない」とはっきり言われてしまった。

その言葉は私の胸に今も残っているし、悔しさもある。

攻撃としてどこかで彼女に当たっていたかもしれないし、
彼女もまた、可愛く無くなっていく私と一緒にいることで苦しめたのかもしれない。

けれどやはり少しずつズレてしまうものはどれだけ調整しても戻らないのか
徐々に会う頻度は減り、パタリと一年前には会わなくなった。
それからはほとんど彼女の今を私は知らない。
知りたいのだけど、今はまだ同じ空気感で話ができないかもしれない。

あの時、私たちは一度生き別れをしなければいけなかった。
でもまだしばらく時間はかかるとしても、私にとっては東京に唯一いた友達だったから
もう一度友達に戻れる日まで、今は一人で生きていようとしている。

いつ電話をかけても出てくれた、
悲しくなりすぎたとき、そのクセが今も抜けず
電話をかけようかと思ってしまうことを
いつかその子に話せたら良いなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?