読書をしないとコレが欠落した大人になる。
読書をしないとどうなってしまうのか。
ネット検索があるから読書なんていらね~。
調べものもすぐできるし
わざわざ読書なんてしなくてもいいんじゃね。
そう思う人は多いと思います。
確かにある側面ではネット検索は非常に便利で
ボクもゴリゴリに利用しているので否定はしません。
しかしネット検索ばかりに頼ってしまい
読書をしなくなるとどうなってしまうのでしょうか。
人生において読書量を減らすとどうなるか考察してみたいと思います。
○○が欠落しちゃいます。
ズバリ!
「物事の本質を見極める力」が失われると言われています。
なぜ読書をしないとけないのか?
なぜ小学生の頃に国語の授業でもおなじみの
音読、朗読のような事を学ぶのか?
これは
「読解力」を身に付けることが基礎になるからです。
小学生のお約束と言えば「読書感想文」。
「低学年おすすめ本」とか「○年生になったら読む本」とかやたらに読書をゴリ推しされた記憶があろうかと思います。
それは学校という教育現場では読書に触れる機会を非常に大切にしているからです。
現在、長女の小学校2年生のお便りを見て見ると
月間の目標冊数に達したら何かプレゼントがもらえたり
昼休みの10分間に静かに本を読めたらシールがもらえたり
あの手この手を使って読書を勧めていました。
これは幼い頃から読書を通じて「読解力」を身に付けるためなのです。
「読解力」がないとどうなってしまうのか?
「相手が何を言っているのか?」
「相手が何を伝えたいのか?」
そして
「自分が何を感じたのか?」
「自分が何を伝えたいのか?」
というコミュニケーション能力が欠落してしまいます。
これらは当たり前のように兼ね備えた能力のように思えますが
実は小さい頃に培ってきた能力です。
読書を通じて
作者の意図はなんだろう。
どの言葉が適切だろう。
この伝え方ならわかるかな。
作者はこう言ってるけどボクはこう思う。
のような様々な思考が刺激され脳は成長していきます。
これらの能力は子どもだけに限らず大人になっても続きます。
にもかかわらず
日本では学校を卒業すると全く本を読まない大人たちが増え
これらの能力が欠落していく大人がどんどん増えていいきます。
「人に伝わりやすように工夫」したり
「相手の気持ち」を考えたり
「物事を客観的に見たりする」ことは
大人になれば必要不可欠な作法にも関わらずこれらの能力が欠落している大人が多いと感じたことありませんか。
むしろ大人になったからこそ読書をしなければいけないのに
勝手に学びを卒業させてしまっています。
最近の大人の「読書離れ」の急増と「相手の気持ちを考えられない大人」の急増は決して偶然ではないような気がします。
対人トラブルの原因のひとつのなのでは…。
相手に言いたいことがきちんと伝えるテクニックが身についていないから
ちょっとした事でイライラしたり
コミュニケーションでトラブルになったり
他人は何も分かってくれないなんてネガティブになっちゃったり
些細な事で人間不信や論争になるケースが多いように思います。
強引な因果関係かも知れませんが
これらは現代人の「読解力」不足が原因なのでは感じます。
「読解力」を身につけるには沢山の本に触れるしかありません。
読書をしないってことは
相手の言ってることが理解できないし
自分の言いたいことも言えないってことに直結します。
このことにより
「物事の本質を見極める力」が失われてるって感じますね。
相手が何を伝えたいのか
そしてもうひとつ「本質を見極める力」として
情報を整理する力も失われていきます。
ボクは速読はできませんが読むのは早い方だと思います。
なぜならその本の本質を捉えているからだと思うんです。
本って著者が言いたいど真ん中の内容ってせいぜい10%くらい、
多くて20%くらいが標準だと思います。
後は同じような文章の繰り返しか出版社に何ページ書いてと言われて無理やり付け足しているみたいなもんです。
もちろん冒頭からクライマックスまで全編著者の魂の叫び
迸る力強い言葉が唸る良書もありますがそんなもんは例外中の例外です。
ということは大概の本はその10%~20%さえ理解すれば終了なのです。
一応最後まで読破しますけど読後感っていつもこんな感じ。
「結局のところ伝えたいのはアレね」って感じでほぼ間違いありません。
CDアルバム買って良い曲は1~2曲くらいなイメージに近いです。
最初から最後まで破壊欲に満ちた捨て曲なしのアルバムなんてそうそうないように本もそんな感じです。
読書を続けていくと
「読解力」が身に着くと同時に「情報を整理する力」も身に着くので
相手の伝えたい事だけがピックアップできるようになってきます。
良書と言われる本でも結構不純物が混ざっているので普通に取捨選択しながら読んでしまいます。これはもう勝手に身についてきます。
これも人間関係と同じで「情報を整理する力」を身に付けることでコミュニケーションが簡潔になり会話の要点が瞬時に理解できるようになります。
はっきり言ってしまうと
初対面の人で、ものの数分話せば読書している人か分かりますし
読書していない人と話すと疲れます(笑)
そのくらい差が出てくるって断言できますね。
ネット検索じゃあ読書の代わりにならないワケ
じゃあ読書って文章読むだけなら
ネット検索でもいいじゃん。文章読んでるから一緒じゃん。
…という方も中にはおられるんですが
ネット上にあるページは便利すぎるんです。
すでに「まとめ」られていたり要約されているものばかりで
こちらが考える余地を与えられないので頭が鍛えられないんです。
「これが答えです」 ドン!
わぁ便利!
…ってな具合で読み手が何も脳ミソを使わなくても
頭に入るように設計されているので非常に便利なんです。
そんな便利なものばかりに触れていたら情報を理解する力なんて必要なし!
ですから「情報を理解する力」は身につきません。
余計な知識ばかり増えますけど
「考える力」は一切身につきません。
むしろ何も考えない「阿呆」が育ちますので注意です。
まとめ
以上まとめますと
読書をしないと…
「読解力」が失われていく
↓
人に伝えることが苦手になるし「相手の気持ち」を考えることが苦手になる
↓
「情報を整理する力」も失われ
↓
「情報を理解する力」「考える力」がなくなる。
↓
「物事の本質を見極める力」がなくなる。
結果
ロクなことにならない。
以上ツラツラ述べてきましたが、
読書がエライとか崇高なものだとかを言いたいのではなく、ひと昔前までは読書ってもっと身近でエンターテイメントであり娯楽だったのに、いつしか他のモノに取って代わられてる感が非常に勿体ないと感じております。
時代は移り変わってゆくとはいえ
読書って何百年も続いてきた人類の娯楽じゃないですか。
それが失われていくって寂しいですよ…やっぱ。
ありがとうございます!お気持ちは寄付させていただきます。