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初めまして、自己紹介します。

初めまして。橋本巴瑠香(はしもとはるか)と申します。
最近、約6年間勤めた大手人材会社パーソルキャリアを退職し、約30名のベンチャー企業”ミライフ”に転職をしました。
これからnoteで色々発信していこうと思うので、生い立ちも含めて自分のことをつらつらと書いていきます。


プロフィール

年齢:29歳
あだ名:はるちゃん、はっしーを経て、ミライフでは”ばる、ばるちゃん”と呼ばれています。(由来:漢字が把瑠都関に似ていることから)
出身:埼玉県行田市 田んぼばかりの田舎
家族構成:自営業を営む家系の長女
部活:小学3年生から大学までバドミントン生活
大学:早稲田大学人間科学部
経歴:1社目:2018年〜パーソルキャリア(キャリアアドバイザー、人材育成)→2社目:2024年〜ミライフ
プライベート:昨年結婚して旦那と二人暮らし

自信がない、からの脱却

埼玉県の田舎町に地元で自営業を営む家庭の長女として産まれました。ごく一般的な家庭で、決して裕福ではなかったものの、遅くにできた子供だったこともあり、家族・親戚も含めて可愛がってもらっていたと思います。

幼少期はかなり人見知りで警戒心が強く、同級生から話しかけられても走って逃げような子だったそうです。家族にしか心を開かないような幼少期でしたが、家族が興味があることに対して「やってごらん」「〇〇ならできるよ」と何事もやってみることを後押ししてくれたことで、外の世界に触れ、初めてのことにチャレンジしてみる耐性がついてきました。そして、初めてのことも「やってみる→できるようになる」という経験を多く積むことができ、次第に自分に自信につながっていきました。

家族の前だけ笑顔を見せる子供時代

今思うと、”家族は何があっても自分の味方である”という安心感が私に挑戦する勇気を与えてくれたと思っています。自分に自信がついてきた頃から、苦手だった初対面の人との交流も積極的にできるようになりました。こうして、引っ込み思案だった私に「やればできる(気がする)」という自己効力感が培われていきました。

この経験があったからこそ、学生時代は大学受験や部活動などは高い目標を掲げてやり切ることを積み重ね、大学受験では目標としていた早稲田大学人間科学部に入学をすることができました。

※「巴瑠香」の名前の由来※
初めてお会いする方に必ずと言っていいほど突っ込まれる名前の漢字。珍しいですよね。私もこれまで生きてきて同じ漢字の人は会ったことがありません。とても気に入っている名前なので由来を。
私は長女でありながら、私の前に母はふたり兄を身籠ったことがあるそうです。(流産してこの世の中に生まれてくることはありませんでした。)母が身籠った3人目の子供であるということから、”三つ巴”の巴の漢字を名付けました。私は幼いときにその話を聞いてから、この唯一無二の名前が大好きです。そして、「兄が生きられなかった人生を私は生きている。兄の分まで自分の人生を満喫しよう」と心のどこかで思うようになりました。そのためには自分の心に耳を傾けて、何より自分が幸せに生きる方法を考え続けることが大事だと思っています。

自分らしさのかけらを見つけた大学生活

正直、大学入学までは埼玉県の田舎で育ったということもあり、「自分はやろうと思ったら何でもできるのかも」という根拠のない自信があったのですが、大学に入ってその幻想は見事に打ち砕かれました。
周りにはスポーツも勉強もちょっとした一芸も、なんでも自分よりずば抜けてできる人がいる。そして努力をしたとしても到底敵いそうにない、と直感的に感じました。そして、これまで目の前にあった目標(学校のテストや部活動での大会)がなくなり、大きな喪失感に襲われたことを覚えています。

「自分ってなんだろう」「自分らしさってなんだろう」
これまで目の前のことを一生懸命やっていれば何も言われなかったのに、急に何もかも自由な国に放り出された気持ちでした。

この答えを見つけるために、とりあえずいろいろなことをやってみました。ITベンチャーでの長期インターンや税務署でのアルバイト、カフェのアルバイト、大学のイベント運営など、これまでやったことがないことに挑戦することは楽しくもあったのでとりあえず興味が持てそうだったらやってみる。なんか違うと思ったらやめる。その繰り返しの中で、自分が時間も忘れて熱中できるものを見つけました。それが、「塾講師のアルバイト」「バドミントンの試合の応援」の2つでした。

仲間の試合を応援しているときが一番熱中していた


この2つの共通点を洗い出してみたときに、「あ、私は目標に向かって頑張る人を応援するときに、一番エネルギーが湧いてくるんだな」ということに気づきました。これが自分らしい価値観なんだなということに気づくことができました。そして、この姿は家族、特に母がこれまでに私にしてくれていた関わり方だということにも気づきました。

ちょっと脱線しますが、尊敬している母はとても愛情深く自分の幸せよりも他人の幸せを一番に考えるような慈悲深い人でした。幼少期、体が弱くて入退院を繰り返す私の横でいつも本を読んでくれたり、バドミントンの大会は毎回カメラを持って応援しにきてくれました。何をするにも私の味方でいてくれて、受け入れてくれる絶対的な存在。そんな強くて温かい母に感謝しているし、憧れていたんだと思います。

そんな母から受け取った愛情を今度は私が他の人に還元したい、家族が私に自信をくれたように自分らしく挑戦する人を応援したい、という想いを持って、就職活動を開始。
当時、「働いて笑おう」を掲げており、人に対しての想いを一番強く持っていると感じたパーソルキャリアに内定をいただき入社することを決めました。

苦悩の1年目から育成する立場へ

入社後、当時本社には10名しかいなかったキャリアアドバイザー配属が決定。希望の配属となり気合い十分で、顧客と向き合い続けました。しかし、1年目はなかなか成果が出ない日々が続きました。当時実家から通っていたので片道2時間の距離を毎日泣きながら出勤し、会社では全力で顧客と向き合い、日付が変わる頃帰って寝て起きてまた出勤するという日々を繰り返していました。思い返してみると、あの状況でも頑張り続けられたのは、「大丈夫。君は絶対にいいCAになるよ」と信じ続けてくれた上司の言葉と存在に救われていたからでした。そんな支えもあり、がむしゃらに顧客のほうを向いて走り続け、気付けば1年目の最後には過去新卒CA実績のギネスを更新することができました。

全社総会でプレゼンの機会をいただいた時
新卒同期10人と育ててくれた上司


2年目以降は、営業職をされている方のキャリア支援を主に担当し、成果も安定して出せるようになっていきました。感染病の拡大により転職市場も大きく打撃を受けた時期もありましたが、本質的にやることは変わらない。「お客様の想いを応援したい」この気持ちで走り続け、事業部統括QMVPや社内の顧客親密賞などもいただくことができました。このまま進んでいくと次はリーダー、マネージャー。上司からも「マネジメント興味ないの?」と
聞かれる日々。「なんかピンと来ないな…」悶々とする日々が続いていました。
そんな中、なかなか成果が出せずに苦しい思いをしている後輩や同僚を見て1年目の自分と重なり、いつしか一番しんどかった1年目を支えてくれた上司のように「人の可能性を信じて応援する人材育成」をしたいと思うようになりました。気持ちが固まってからはスピーディーで社内異動の希望を出し、当時私を育ててくれた上司と同じ部署「人材育成部」へ異動しました。

人材育成部では、新卒社員、中途社員向けの研修の企画や研修講師、1on1での業務指導など日々忙しいながらも充実した日々を過ごしていました。新卒のチームも持たせてもらい、会社に入って一番の上司として業務面はもちろん社会人としてのスタンス面の育成にも関わらせていただいたのはとても良い経験をさせてもらったなと思っています。

充実したキャリアなはずがなんかモヤモヤ

そんなこんなで、あっという間に社会人6年が立ちました。思えば自分が希望していたキャリアアドバイザー、人材育成とやりたい職種を経験させてもらったパーソルキャリアには心から感謝しています。
ただ、新卒育成を1年間完走し、社会人7年目に差し掛かろうとした時期にふと、「自分はこのままでいいのだろうか」というモヤモヤが自分の心に湧いてきます。前の年に結婚をしていたこともありライフステージの変化も重なったタイミングでした。私はこれまで自分の興味があることに向かって突き進んできてやりたいこともできている。だけど、本当にこのままでいいのか?このままで自分の理想に近づけるのか?とふと不安に襲われました。

もっと自分に向き合って言語化すると、成長実感やスピード、世の中に提供したい価値の点で自分の思い描く未来と少しずつずれてきていたということがわかり、とりあえず転職活動を開始しました。転職するかどうかは五分五分。活動をしてみることでわかる景色を見てみる目的でもありました。(実はその前にも何回か転職活動はしたことがありましたが、まだやり残したことがあったので残る決心をしていました。)
※このキャリアの葛藤はまだ別の記事などでも詳しく書こうかと思います。

心の声に耳を傾けて、ミライフへ

そこで出会ったのが「100%個人起点エージェント」を掲げるミライフでした。ミライフは私が考えている理想のエージェントを本気で実現しようとしている会社で、なんとなくモヤモヤしていたことを業界のゲームチェンジャーとして変えようとしている会社だということがわかりました。エージェントの仕事は好きだし天職だと思っているからこそ、この環境で自分の力を磨いていきたいと思うようになりました。 最終的に転職を決めミライフに決めた理由はたくさんありますが、主には下記です。
 ・ミライフの掲げる思想「100%個人起点のエージェント」を本気で実現したい。その上で、自分らしくイキイキと生きる人を増やしたい。
・会社の力ではなく、個の力で価値を生み出せる人材になりたい

今入社をして、1ヶ月が経とうとしていますが、心から入社して良かったと思っています。前職とは風土ややり方など違うことも多いですが、100%個人の幸せを願って、仕事だけではなくライフも含めた人生の支援を本気で実現しようとしている方々ばかりです。また、会社のミッションである「働く、生きるを、HAPPYに」を大事にしており、仕事だけではな生きること(人生)も全部含めて幸せになろう、という思想の方々ばかりのため、日々自分の感情や気持ちと向き合い、自分らしく、幸せに生きるにはどうしたらよいかを常に考えられています。

初めましてから温かいミライフ

まだまだ道半ばで、社会人としても、人としても成長途中ですが、これまでの人生を通じて自分の心に向き合って、その時々で納得して決断してきた経験と家族からもらった挑戦する勇気を糧にキャリアデザイナーとして、一人でも多くの人が自分らしい人生を満喫してほしい、幸せに生きるための支援がしたいと思っています。

今少しでも心にモヤモヤや引っ掛かりがある方がいれば、転職するしないに関わらず相談からで大丈夫ですので、ぜひ一度お話ししましょう。
キャリアデザイナーとして精一杯、そのモヤモヤに向き合って、一緒に進む道を考えていきたいです。

長くなりましたが、以上これまでの人生と自己紹介でした!

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