「君たちは、どう生きるか」言葉にすることが、向き合うことになる。
今一番気になっている映画、『君たちはどう生きるか』。
観たいけれど、ちびちゃん2人がいるので映画館で観ることは諦めてはいるものの、『君たちはどう生きるか』にまつわる記事、動画などのコンテンツを見ると、どうもポチッとクリックしてしまう自分がいます。
今回、主題歌を作曲した米津玄師×アオサギの声優を務めた菅田将暉のお2人の対談を見て、感じたことをつらつらと書きたいと思います。
「○○とは」に向き合うということ
対談の中で、米津さんのこの言葉がとても印象に残りました。
私は、自分が誰かにしてほしいことがあったり、やりたいことがあった時、方法ばかり考えていたことに気づかされました。
人に聴いてもらうためには?
人に受け入れてもらうためには?
ものづくりをするためには?
でも、そもそもそれってどういうこと?という視点がすっぽり抜けていたから、辿り着けなかったことがたくさんあったのだろうと思ったのです。
noteを書いている時にも、「人に読んでもらうためには」ということばかり考えていたように思います。
人に読んでもらうとはどういうことなのだろう。
人に受け入れられるとは…
ものづくりとは…
このことについては、1日、2日で明確な答えが出そうにないので、宿題として持ち帰らせてもらおうと思います。
私も、これらに向き合ってみたら、少しは世の中を的確に捉えることができるのでしょうか。
表現の奥深さ
音楽でも、演技でも、何かを表現する活動は、奥深い。「奥深い」という言葉で表現することが、薄っぺらく感じてしまうほどに、本当に奥深い。
世の中に伝えたいことを作品を通して伝えるなんて、彼らの頭の中を少しだけでいいから覗いてみたい。
世の中のこと、自分自身のこと、伝えたいこと、全てが精度高く理解された上で、どう表現に落とし込むのかを計算され尽くしているように感じます。
表現、作品について考える時に、いつも思い出すのが5年前に入っていた写真コミュニティの人の言葉。
ふとした時に思い出すあの人は、どこまで辿り着いていたのだろう。
毎日noteを書くだけでは足りないくらい、色々なことを言葉にしていこう。
「私は、どう生きるのか」を言葉で、表現できるまで向き合いたい。
きっと人生通してのテーマなんだろうけれど。
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