noteを休みたくなった時に、向き合った感情と欲望。
私は、時々noteを休みたくなる時があります。
ちょうど今がそんな時。
なんとか549日、休まずにこられたけれど、根性と気合いで、ここまできたわけでは決してなくて。
休みたくなった時だからこそnoteを開いて、書きたいのに書けない気持ち、なぜ休みたいのかを綴ってきました。
休みたくなった時にしか書けないことがあって、そんな時にしか知り得ない自分の欲や感情に気づくきっかけになることがある。
でも、なんとなく向き合うことが怖い気持ちもあって。
それでも、前に進むために必要なことだと知っているから、やっぱりこうやって今日もnoteを開いているのです。
なんでnoteを休みたくなったのか、正直な気持ちを3つの出来事から向き合ってみます。
不快にさせてしまった方がいたら、すみません。
1つ目は、読みながら終始ワクワクと憧れの気持ちが止まらない人の文章を読んだ時のこと。
こんなふうに自分も書けたらなあと羨ましく思ったと同時に、もっとうまく文章が書きたいという欲を持って、書くこと、考えることに少し疲れていたことに気づきます。
でも、私が文章を書き始めたのなんか、たったの一年半。
その人が小さい頃からどれだけ言葉や文章に向き合ってきたかも知らないで、すぐに手に入れたがる自分が嫌になります。
それでもやっぱり自分の納得のいく文章を書くことを目指して、頑張りたいとも思うのです。
2つ目は、noteから本の出版をすることになった人のnoteを読んだ時のこと。
その人には、たくさんのチャレンジとおもしろいパーソナリティがあって、なぜか自分に少しだけ失望したこと。
自分のチャレンジが形にできないこと、おもしろいパーソナリティがないことを突きつけられたような気持ちになったのです。
被害妄想が過ぎます。
私のチャレンジは、子育てで忙しいママのための手帳を作ることと、毎日noteを楽しく書き続けることと、おいしいマフィンを作ることと、手作りの好きな香りのリードディフューザーを作ることと、腹筋をつけることと、2人の息子を21時までに寝かすこと。
書いてみたら、人は人。自分は自分。と思えるのに。
3つ目は、自分のやりたいことを形にして、それを生業にしている人を見て、ザワザワと焦りを感じたこと。
そんな生活がしたい。
でも、そこに辿り着くまでにどれだけの苦悩と葛藤があったのか、私は今想像しかできないけれど、本当に叶えたいなら、現実にしないといけません。
たくさんの苦悩と葛藤を乗り越えなければいけない。
目指したい山があったら、そこに向かって今できることをやっていくしかないのです。
そこに焦りは禁物。
人の活動を見るたびに、比べる必要のない場面で感情が揺れ動いて、自分が前に進めているのか分からなくなっていました。
自分のモヤモヤ、焦燥感、不安がnoteの筆を進まなくさせていたことにも気づきます。
でも、その感情の理由を言葉にすることで、今とてもスッキリしています。
またnoteに助けられました。
私にできること、私にしかできないこと、探していこう。
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