求めらているのは主体性?自主性?
日本の文化の一つに「同調圧力」という言葉がありますよね。
日本の会社や学校では、「みんな一緒」が求められることが多いように感じます。
それでも最近は、企業理念や学校の方針にはそれとは正反対の「主体性」が掲げられているのをよく目にするようになりました。
でも、果たして本当に「主体性のある子ども」「主体性のある人材」が求められているのでしょうか。
学校で主体的な行動をすれば、褒められるのでしょうか。
会社で主体的に考えて行動できる環境は整っているのでしょうか。
日本の会社や学校で求められている「主体性」は、「自主性」のことじゃないのかと思うのです。
一度教えたことや決められたことをいかに言われる前に率先してできるか、これを求められているように感じます。
それは家庭においても同じ。
子どもが主体的に考えたことを大人の都合でダメだと言っていないか?
子どもが主体的に考えたことと大人が今やるべきだと思うことは違う可能性の方が高いと思うのです。
大人がやってほしいことを子どもが自ら進んでやることは主体性ではなく自主性なんですよね。
例えば、お風呂に入る、ご飯を食べるという生活習慣や、宿題のようなやるべきことは、いつのタイミングでやるかという問題だけで、子どもがやるかやらないか考えて決断しているわけではないですよね。
そう思うと主体的な子どもに育てるということは、親の忍耐力もかなり必要になってくると感じます。
幼少期に自分がやりたいことを好きなだけとことんできる環境をいかに作るか。
ちなみに私は小学生高学年になると宿題をやらなくなりました。
その理由は、宿題よりもやりたいことがあったからと宿題をする意味が分からなくなったから。
それでも私の親は何も言わなかった。
というより、宿題したの?と聞かれることもなかったので、親自身も気付いていなかった笑
学ぶこと自体は昔から好きだったので、本を読んで分からない漢字や言葉の意味は辞書で調べたり、興味のある分野はとことん勉強しました。
そんな自由な環境のおかげか特段高学歴というわけでもないですが、中学、高校、大学、そして社会人になった今も勉強を嫌いになったことはありません。
今でも学ぶことは楽しいと感じるし、これこそが主体的な学びだと思います。
私は、子どもには主体的な大人になってほしいと思っています。
自分で考えて自分で選択するための練習として、自分で自分のことは選ばせ、やりたくないことはさせないことが、尊重することに繋がると思うから。
また、しないとどうなるかまでを経験することも大切だと思うのです。
息子には周りと違ったとしても自分が信じる道を突き進んでいってほしいと感じるのでした。
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