見出し画像

パーフェクト・サーキュレーション

宇宙は循環し、生命もまた循環する。

その瞬きの間に、僕たちは「無」から生まれた。
「無」には、空間も時間も存在しない。
「無」は、気が遠くなるほどの一瞬のエネルギーの塊だ。

はじめに光が生まれ、その後に続き、無数の僕らが生まれた。
最初、僕らはバラバラだったけれど、次第に仲間を手繰り寄せ、大きく成長する。
成長するにつれ、やんちゃだった僕らも落ち着きを取り戻し、宇宙に光が指す。

晴れ渡った宇宙は大回転を始めると、各処で星々が生まれた。
星々は衝突を繰り返し、その熱量の中で僕らは練り鍛えられ、枝分かれする。

そしてとうとう…僕らは、
「生命」という、宇宙究極の謎へと進化を遂げた。



「行ってきまーす」
ランドセルを背負い、足早に階段を駆け下りると、居間のテレビが視界を過る。
玄関で靴を履く前に、ミコトはいつものニュースキャスターのお姉さんの話に耳を傾けた。
『…依然、戦況は厳しく、犠牲者は十万人を超える見通しです』
険しい顔で画面を見つめていた父と母だったが、ミコトに気づくと、
「行ってらっしゃい、気を付けてね」と、振り返った。
「…うん、行ってきまぁーす」
こういう時、子供はどういう顔をしたらいいのか、少々迷う。
子供は子供らしく…今日の学校のことや友達とのことを楽しみにしていればいいのか。
十二歳の女の子が、外国での戦争のことを気に病んで、夜も眠れない。
まして、その戦争を止めようと、夜な夜な、かの国の軍事中枢をハッキングしているなんて。

…口が裂けても言えなかった。

靴を履いて玄関を出ると、いつもの学校までの道のりを急いだ。
こうして自分が平和な日常を享受している、まさに同じ瞬間、某国の子供たちは飢えと恐怖に怯え、学校に行くどころではない。

…十二歳と言えど、この実情を大人以上に受け止めていた。

「ミコトちゃん、おはよぉ~」
途中、クラスメートのアイちゃんと合流する。
「ねぇねぇ、昨日の『かれかの』観た?」

『かれかの』というのは、タイトル『彼の建前、彼女の本音』という、今話題の民放ドラマのことだ。例に漏れず、クラスの女の子たちの間でも流行っているのは言うまでもない。
「…うん、観たよ、ラストの展開がヤバかったね…」
嘘にならないギリギリの線で答える。本当はほとんど観ていない。たまたま、冷蔵庫にジュースを取りに行った時に母が観ていたのを、ついでに観ただけだ。なので、それ以上、アイちゃんに返す言葉がなかった。それでもアイちゃんは楽しそうに『かれかの』の話を始める。そんなアイちゃんが、ちょっとだけ羨ましかった。

『ミコト、めんどくさっ』
こんな時、あの言葉が頭の中に蘇る。

クラスのみんなは気にしていないこと。でも、ミコトには大事なこと。
時にそれは、みんなにとっては、とても面倒くさいことのようだった。

四年生のクラスまでの失敗を、五年生のクラスからは繰り返さないようにしていたけど、心は本当の自分の解放を求めていた。
そんなミコトの心を解き放ったのが、ネットの世界だった。
十歳の誕生日に買ってもらったパソコン。生来の原理主義体質からか、ただ単にネットの世界を楽しむだけに留まらず、その世界観の全てを明らかにしたかった。
パソコンというハードウェアの仕組みから、ソフトウェアの成り立ち、更にインターネットという通信の仕組み。ミコトには、これが今や一つの宇宙でもあるかのように感じられ、尽きることのない興味に心躍った。

しかし…その瞬間は、突然訪れた。

『丸菱銀行 全システムダウン三日間 ハッキングか?』
この時…初めて、自分のやってることが犯罪に分類されることを知った。

「ミコトちゃん、ミコトちゃん、今日の宿題ってやってきた?」
アイちゃんの問いかけにハッとする。
どうやら既に、『かれかの』の話題は終わっていたようだ。
自分が全く、その手の話に興味がないことを思い知る。
「…と、途中までっ、ドラマ始まるまでに終わらなかったから…」
無難な返答でアイちゃんに合わせると、いつもの憂鬱な門が姿を現す。
出迎える先生に挨拶し、ミコトは祈るような気持ちでその門を潜った。

この窮屈な半日を無事乗り越え、今日こそ使命を果たすことができますように、と。



「ただいま!」
帰るやいなや、バタバタと階段を駆け上がり、自分の部屋へ直行する。
「てぇー洗って、うがいしなさーい」
階下から叫ぶ母の声に従わざるを得ず、足早に手洗いうがいを済ませ、冷蔵庫から目ぼしいおやつを両手いっぱいに抱えると、また階段を駆け上がる。
学校という縛りから解き放たれた解放感はいつものことだ。
でも今日は、その縛りの間に閃いたアイデアに、些か興奮していた。

丸菱銀行のシステムダウンは故意ではなかった。
ミコト的には、ビギナーにはありがちのミスの結果だった、と捉えている。
でもそのせいで、多くの人に迷惑を掛けた…それだけは今後、肝に銘じておきたかった。

ネットの世界にのめり込むうちに、いろんなことを知るようになった。
世の中は、ミコトから見える世界だけが全ては無いことを知った。
俗に言う、テレビに出るような偉い人たちは、いろんなところにお金を動かしていた。
そのお金の流れを追いながら、自分の足跡を消すついでに、入出金システムのコードの一部を消去してしまった。ただ、それだけのことだった。

冷蔵庫から持ってきたチョコパイを頬張ると、マイマシンを起動した。
音声や動画編集に長けたマシンだけど、ミコトのスキルがあれば十分なスペックだった。

いつからだろう。
このネットの世界を、広大な宇宙みたいに感じるようになったのは。
各端末やサーバーはまるで、この宇宙に輝く星々のようだ。
その星々のほとんどが、今、ミコトの手中にある。
いくつもの星々を辿って、目的地を目指す。
今、ミコトが目指しているのは真っ赤に燃える、或る赤色巨星だった。

部屋の中をカタカタと、ミコトのタイピング音だけが響く。
この数か月を掛け、ターゲット内部のネットワーク構造を調べ上げていた。
核ミサイルなど、最重要兵器の制御に関わっていそうなサーバーの目ぼしもついていた。
しかし、さすがに相手も大国の中枢軍事機関だ。
そんな大事なサーバーが直接インターネットに繋がってるわけがない。
そこでミコトは末端の、インターネットに直接繋がっている端末の動きに注目した。
それらがある種の、猥褻なSNSを閲覧していることに気が付いた。

彼らの母国語で、ハイティーンの女の子を演じ、語りかけた。
案の定、彼らは網に掛かった。

オープン共用サーバーからダウンロードされたファイルは、解凍される瞬間、ミコトお手製のネットワーク探索ソフトがインストールされる。これが一見、通常の無線通信制御ソフトに見えるところがミソだった。普段はスリープ・モードで、無線通信時にのみ起動する。通常の通信ソフトの裏で並走し、ネットワーク構造をつまびらかにする。
しかし、ミコトが侵入できたのは組織で言うところの所謂、人事・総務・経理・福利厚生云々で、肝心の軍事に関する機密情報には到達できずに居た。そこから先はかなり手強いファイアウォールに守られており、1KBのテキストデータすら侵入するのも難しかった。

でもさっき…思いついたんだ。とっておきの妙案を。

ミコトの狙いは、かの国の軍事オペレーションの停止だ。
なので、必ずしもシステムをハッキングする必要もない。
そう、軍事中枢に供給されている電力を断ち切る、それで事足りるのだ。

建物内部の電力制御システムは既に手中に収めていた。全電力を一気にシャットダウンする手立てもあるけど、それだと大事になりそうだから、とりあえず今、ブラックボックスになっている中枢への電力供給だけを断つ。これだと最速で実行して、最速で逃げられそうでもあった。
「できた」
前回コピー済だったプログラムに電源シャットダウンのコマンドと、その後なかなか復旧できないような罠を仕掛けた。後はいつものように、鴨さんがミコトの放った餌に食いつてくれるのを待つ…「きたっ」
鴨さんがファイルを解凍した途端、例の通信ソフトを装って、電力制御システムへと猛ダッシュする。数秒のうちに手応えを感じる…「よしっ」。別起動したリアルタイム電力供給図でアラートが確認されると、中枢部らしき建屋への電力が次々と断たれていく。
「おけまるっ!」
しかし、ここからが肝心。ここで油断していると反対にこちらが侵入される可能性もある。最後まで見届けたい気持ちを抑えつつ、ミコトは一目散に逃げ出した。自分の痕跡を速効で全消去し、接続を切る…その時、

急に…マシンが固まった。

「…あっ!!」
ミコトの叫びも虚しく、マイマシンは制御不能に陥る。
次の瞬間、大量のテキストデータが流入する!
強制終了キー連打! ダメだ…強制終了キーも効かない。
ミコトのマシンはなされるがままに、大量のデータを食らうしかなかった。

…終わった。

高速で流れる1ビットの英数字記号の羅列を眺めながら、ミコトは自分の未熟さを思い知る。父や母、学校の先生や友達、彼らが知り得ないこと成し得ないことを出来る自分。でもそれも所詮、井の中の蛙だったんだ。上には上が居る。夜が明けるのをまたずに、彼らは自分を捕まえに来るのだろうか…それとも、自分は世間的には子供だから、父か母が連れてかれるのだろうか。

そんなことを漠然と考えていると、眺めていた画面が急に停止する。
末尾に [end] の表記を残し、制御が戻る。

間髪入れず、ミコトも接続を切る。すぐにウィルススキャンを走らせ、ディスクの差分を確認する。容量に数GBの差分があることが分かる。
「…単純なテキストデータで数GB…?」
テキストだけでは説明が付かない重さだった。と同時に、どれくらいの時間だったんだろう?…ミコトの感覚では数分程度に感じたが、時計の針は十分ほどの経過を示していた。
約十分間に数GBのテキストデータの送信…誰が?何のために?
ウィルススキャンの結果も、特に異常はなかった。不可思議な現象だが、とりあえず…暫くは通信を断って、大人しくしていた方が良さそうだ。
不安な夜を抱えながら…ミコトは次の朝が来るのを静かに待つしかなかった。



「ミ、コ、ト、ちゃん!」
昼休み、ボーっとしていたミコトの後ろから、アイちゃんがバン!っと背中を叩く。
寝不足で閉じそうな瞼を見開き、ミコトは不器用な笑顔を返した。
昨日はアイちゃんの好きなドラマはなかったから、今日はドラマの話題はない。その代わり、クラスの所々では、昨日の人気アニメの話に沸いていた。…ふと、ある言葉がミコトの耳の中を直撃する。
「…えつ、待って、その話、もう一回教えて!」
珍しく、ミコトから男子の間に割って入った。
「…なんだよ、お前、昨日、観なかったの?」
「うん、ちょっとママとチャンネル取り合って観れなくて…」
苦肉の嘘で、ミコトは男子からなんとか話を聞き出した。それは、少年探偵団が事件を解決する人気アニメシリーズで、探偵ものとしての推理やトリックはそこそこ本格的だった。

…暗号だ…

例のテキストデータの正体が分かった気がした。
暗号ならば、これを解くことにより、なにがしか先に進める、謎が解けるような気がした。
昨夜の人気アニメも暗号に関連したストーリーだったらしい。
普段、くだらないと馬鹿にしていた男子の話を、改めて見直す気持ちになった。

早速、ミコトは帰り道、男子の家に立ち寄り、人気アニメシリーズの原作マンガ本を借りることにした。その足で市立図書館にも立ち寄った。マンガに出てきた暗号について、より詳しく解説されている専門書を借りることにした。

そして、今日も秒でルーティンをこなし、自分の部屋に籠るとマシンを起動した。
オフラインのまま、昨日のテキストデータを展開する。
暗号らしい…ってことだけは直感したけど、何からどう解いたらいいのか。
マンガの解説によると、暗号には必ず「鍵」があるらしい。
この「鍵」をどう見つけるかがカギ…なんだか親父ギャグみたいになってきて笑えた。
気を取り直し、パスワード解析ツールを使っていろんな言葉を試してみる。
ダメだ…そんな単純なことではないのか?…と、かれこれ二時間が経過する。
「ミコトぉー、ご飯よぉー」
階下で母の呼ぶ声がする。あまり籠ると怪しまれるし…ここで一旦休憩か。
…と思った、その瞬間。何気に全画面表示したテキストの羅列を見て気が付いた。

「…絵だ、絵になってる…」
このテキストの羅列は、二次元で見る必要があったのだ。
絵画で言えば、同色の部分が同一テキストになっている。
テキストのフォントを少しずつ小さくすると、テキストデータの折り返しが変わる。
これにより、絵らしきものがより鮮明にその姿を現す…そして、それは…

「モナリザ」だった。



一旦階下に降り、夕食を取ることにした。
父や母との会話もそこそこに、ご飯を食べることに集中する。
動作はご飯を食べながらも、「モナリザ」と言う鍵の使い方について頭を巡らせていた。

きっと単純な、言葉を鍵にする方法ではダメなような直観があった。
データは一旦数字にして扱った方が良い、ミコトの天性のセンスがそう囁いていた。

ご飯を一気に掻き込むと、ワラワラと食器を台所へ下げて、自分の部屋へと駆け上がる。
「…ちょっと、ミコト、大丈夫…?」
父と母の心配をよそに、「もんらいない!」とご飯をモゴモゴさせて、リビングを後にした。
再び机に向かうと、テキストデータを一旦、機械語に翻訳する。
ここからは、単なるアスキーデータがバイナリーに変わるため、容量が桁で跳ね上がる。
そして…肝心の「モナリザ」という鍵の使い方、ミコトには一計があった。

モナリザは地球上、一体何処にある…そこの数字に違いない、と。

北緯48度51分39.6秒、東経2度20分8.9988秒。
これを機械語からの逆変換のオフセットとして、正確に入力してみた結果、
「…やった、」
逆変換の結果は、解読可能なプログラミング言語になっていた。
プログラムの中身をざっと確認してみる。何某かのシステムの制御系みたいだ。
まず、ターゲットとする相手のシステムを検知し、それと通信する。
通信の結果、相手システムのプログラムを書き換えるような構造になっている。
特定するキーワードがないか…ざっと眺めてみて、その言葉にギョっとした。

『satellite』…人工衛星!?

何度も目を擦って、一文字一文字確認するが、やっぱり『satellite』としか読み様がない。
これは、人工衛星の中のプログラムの一部だ。
上空を通過する際に、地上にあるターゲットのシャットダウンを狙うものだった。

ミコトは思わず、椅子から立ち上がった。
立ち上がるとカーテンを開け、空を見上げた。

一九五七年十月四日、世界発の人工衛星スプートニク一号が打ち上げられてから、今や一万六千を超える人工衛星がこの地球の周りを回っている。先日、興味本位からこんなことを調べていたことを思い出していた。そして、奇しくも明日は同じ、十月四日だった。

カーテンを閉め、ミコトは机に戻ると、マシンと正面から対峙した。
ここからは、オンラインに接続しないと先に進めない。
意を決して、ミコトはマイマシンをネットワークに接続した。
念のため、数十秒程度待機する…問題はなさそうだ。
「…よしっ」
姿勢を正し、キーボードに手を置き直すと、CUIにコマンドを記述し始めた。

国際宇宙本部。興味本位から調べていた…とは、ここのことだ。
「宇宙空間に打ち上げられた物体に関する登録」を維持する、とあった。
ここなら、世界の人工衛星に関する情報がありそうだ。
申し訳ないけど、今日はちょっとここにお邪魔しなければなりそうだった。
Webのドメインなどから大方のサーバーの目ぼしを付けて、いろいろアクセスを試みる。
「…きたっ」
意外とあっさり入れた…え、こんなんで国際機関が大丈夫なの…?
いろいろ疑問もあったけど、時間がないので、とりあえず先に進む。
案の定、登録済の全ての人工衛星に関する情報が格納されていた。
中でも、今日欲しいのは、周回軌道に関する情報だ。

今から明日の昼頃までの間に、ヨーロッパ上空を通過する人工衛星を検索する。
結構な数がヒットした。
アルファベット順に名前をスルーして、Jの欄でカーソルを止めた。

『Joconde』…モナリザの名がそこにあった。

運命のいたずらか…それとも、実は昨日、自分は攻撃されてて、これは罠なのか?
頭の中を何かがグルグル回る。
不信と確信が交互に登場して、どちらを選ぶべきか…感情が追い付かない。
いまだ気持ちを決めきれないでいたが、Jocondeの詳細にダイブした。
UTC世界標準時間と共に、通過地点直下の緯度経度が示されていた。
それを見た時、ミコトは不信を確信へと全振りした。

Jocondeは、現地時間の十月三日22:00頃、パリ上空を通過した後、約十分程度でヨーロッパ大陸を横断する。その約一時間前、この日本上空を通過するのだった。

日本上空通過時刻は、十月四日の未明4:00頃であった。



皆が寝静まる中、控えめに打たれていたミコトのタイピング音が止んだ。
「…はぁ、できた、っと」
一旦、寝るフリをして、両親が寝静まった頃を見計らい作業を開始。今、やっと全ての作業が完了した。例のプログラムは、大手通信事業者のパラボナアンテナを経由して、Jocondeに送信する予定だ。通信事業者のシステムへのパスも確保した。

さすがの十二歳も、肩と背中の凝りが半端なく、思わず伸びをする。
腕を振り回しながら立ち上がると、静かにカーテンの隙間から空を眺めた。
空はまだ濃紺の闇で、控えめにパラパラと星が瞬く。
南中には、少し欠けた更待月が煌々と地上を照らしていた。

月を見ながら、不思議な気持ちになった。
月は一つしかない。なのに、誰も「自分だけのものだ」とは主張しない。
空も同様に境がない。なので、衛星が誰かの頭上を経由して私の頭上にもやってくる。
何故、地上だけ境があって、奪い奪われるの攻防が繰り広げられるのか?
何百年後、いや何十年後、そんなことあまり関係ない世界になって欲しい。

…そろそろ、時間だ。

ミコトは実行コマンドを叩いた。ミコトが放った刺客は通信事業者のシステムに侵入し、Jocondeを探した。彼女を発見すると、パラボナアンテナを経由して、一通のラブレターを送付する。その後、一切の足跡を消し去り、ミコトは接続を切った。

接続を切った後、ミコトは祈った。

Jocondeが無事、ヨーロッパに辿り着きますように。
Jocondeが上手く、プログラムを実行できますように。
誰かを苦しめるような全ての装置(デバイス)を止めることができますように。
今夜、かの国の子供たちに安全な夜が訪れますように。
明日、世界のみんなが平和な朝を迎えることができますように。

神様が居るか居ないかは分からない。
でも、何かが私に力を貸してくれている、そんな気がしていた。



「行ってきまーす」
ランドセルを背負い、足早に階段を駆け下りると、居間のテレビが視界を過る。
玄関で靴を履く前に、ミコトはいつものニュースキャスターのお姉さんの話に耳を傾けた。
『…ヨーロッパ大陸全域で謎の電子機器トラブルが発生、主に軍事用途を中心に…』
険しい顔で画面を見つめていた父と母だったが、ミコトに気づくと、
「行ってらっしゃい、気を付けてね」と、振り返った。
「うん、行ってきまぁーす!」
もうどんな表情を作るか、迷うことはなかった。

学校に着くやいなや、昨日のマンガを返そうと男子の輪の中に切り込んだ。
「これ、あ、ありがとう」
「おお、どうだった?面白かったか?」
その問いに嬉しくなり、思わず、前のめりになる。
「…う、うん、暗号のことすごい勉強になった、特にエニグマの誕生が画期的だってことが分かったし、今のコンピューティング・セキュリティーの先駆けになっている感じが個人的にエモくて…」

…は、しまった…やってしまった…

嬉しさのあまり、つい調子に乗ってしまった。このクラスになってから、ひた隠してきた自分の『面倒くさい』部分を出してしまった…と後悔した。しかし、
「え、なに、面白れぇじゃん、で?で?」
男子たちが、口々にそう言うとミコトを囲みだした。その様子を見て、女の子たちもわらわらと集まってきた。

…あれ? 面倒くさいって面白いと紙一重なのかな?

自分の面倒くさい部分にもちょっとは面白い部分があるのかもしれない。
そんな風に自分を肯定できた瞬間だった。



「上手くいったみたいだね、三万年前の私」
ミコトは久々に、肉体を持って地球上に生まれ変わっていた。

この時代のヒトともなれば、人類として肉体を持って地球上に登場するか、はたまた、高エネルギー体のまま大宇宙を周遊するか、選べるようになっていた。
肉体を選択する者はかなり少数派で、この頃の地球上人口は数億がいいところだった。

「自分の過去世なんか検索するもんじゃないね」
ミコトの起こしたハッキングは、後世『Jocondeインシデント』と名付けられ、その後のサイバー・セキュリティー技術強化に向けたモデルケースとなった。ヨーロッパ大陸全域でミリタリー規格の電子機器だけが破壊されると言う、謎多き事件だった。当時まだ開発されていない技術なども使われおり、未だその経緯などの全貌は明らかになっていない。

しかし、『Jocondeインシデント』には確実に、大きな意味があった。

一つは前述した通り、サイバー・セキュリティー技術のパラダイムシフトになったことだ。
何を隠そう…その研究の第一人者となったのが、大人になったミコト自身だった。

そしてもう一つは、その経済的損失により戦争の早期終結に貢献したことであった。早期終結により核戦争には発展せず、人類のDNAを保管することが出来た…とも言われていた。

「こうやって、ヒトがまだ肉体を選択できるのも、あの時のお陰ってことね」
人口数億の地球は、ほとんどの自然が手つかずなうえ、高度な科学技術のお陰もあり、人類は何不自由なく暮らしていた。しかし、極稀に、それが退屈な者も居ないわけはなく、自分の過去世を検索して、過去に干渉する者も居るようだった。

「…ふふっ、あの時代、まだハードウェアに量子ビットが無いことを忘れていたよ」
テキストデータのくせに、やたら重かった要因はここにあったのか?

美しい稜線を描く西の山々に、今日も真っ赤に燃える夕日が沈む。

「無」から生まれ百四十億年近く経ってもなお、
太陽も月も地球も…宇宙全体が、完璧な循環を保っていた。

宇宙は循環し、生命もまた循環する。

<終>

パーフェクト・サーキュレーション

---------------------------------------------------------------------------
2024年6月3日 初版発行

著者         宮坂満美
連絡先        X: @suwano_sakuya

Copyright © 2024 宮坂満美
All rights reserved.

---------------------------------------------------------------------------
本書を無断で複写複製、転載、データ配信、オークション出品等をすることを固く禁じます。

この記事が参加している募集

#宇宙SF

6,010件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?