妄想作家 ~木花は諏訪の野に咲耶かな~

作家デビューしました!…まだまだ駆け出しなので、努力継続中。 幼い頃から映画一本並みの…

妄想作家 ~木花は諏訪の野に咲耶かな~

作家デビューしました!…まだまだ駆け出しなので、努力継続中。 幼い頃から映画一本並みの「妄想」を映像として夢に見、その言語化に一歩踏み出した。 メモ魔塾(ストーリーメイク部-始動-)/ 大友×佐渡島塾一期生

最近の記事

パーフェクト・サーキュレーション

宇宙は循環し、生命もまた循環する。 その瞬きの間に、僕たちは「無」から生まれた。 「無」には、空間も時間も存在しない。 「無」は、気が遠くなるほどの一瞬のエネルギーの塊だ。 はじめに光が生まれ、その後に続き、無数の僕らが生まれた。 最初、僕らはバラバラだったけれど、次第に仲間を手繰り寄せ、大きく成長する。 成長するにつれ、やんちゃだった僕らも落ち着きを取り戻し、宇宙に光が指す。 晴れ渡った宇宙は大回転を始めると、各処で星々が生まれた。 星々は衝突を繰り返し、その熱量の中

    • 「ふたりのゆうじ」(創作大賞2023 お仕事小説部門 応募作品)

      #創作大賞2023 #お仕事小説部門 ※この小説は、創作大賞2023「お仕事小説部門」応募作品です。 ※この作品はフィクションです。  実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。 ※この作品は、私「妄想作家~木花は諏訪の野に咲耶かな~」が 、  2023年7月19日 16:30 に投稿したものです。 プロローグ(Case by 雄士)  やけに寒い朝だった。いつもより少しだけ早く起きた彼はベッドから出ると、寝間着がわりのスウェットの上から無造作にブレーカーを羽織り

      • 量子記憶

        よく見る夢がある。 その夢の中で、私は大量の水の中に浮かんでいる。 頭上からは光が差し、水が揺れる度に光は揺ら揺らと回折する。 その水の中に吊るされながら、私はじっと自分の足元を見ていた。 魚のヒレのようになった私の足先遠く、 白いキラキラしたものが波を打って流れていた。 生まれてから一度も出会ったことのない光景だ。…でも私は、 その瞬間の水の温度や、緩やかな圧で押される感触さえ覚えていた。 VR学習による脳内バグなのか?…いや違う。 生きていたのだ、確かに。 私は、確

        • 北の空に輝く孤高の星

          昨日、私にとって最後の祖母が他界した。 昭和元年生まれ。95歳。大往生だった。 雪深い山奥で生まれたため、出生届けが一か月ほど遅れたらしい。 生年月日は昭和二年の一月(兎年)だったけど、兎年生まれってキャラじゃない。 十年ほど前、「実は前年の年末に生まれた」ということが本人の口から明かされた。 孫一同で大爆笑。寅年生まれ。腑に落ちた。 昭和のお寅大婆さま。 文字通り、孤高に戦い抜いた人生だった。 幼い頃に実母を亡くし、 後妻の継母と父親との間に生まれた兄弟姉妹を合わせ

        パーフェクト・サーキュレーション

          ワレ

          その時、僕は。無限の孤独の中に居た。 フレイヤは既に、スリープモードに移行していて、 また癇癪を起した僕に、いつものように文句一つ言わなかったけど、 この広大な宇宙の片隅で、フレイヤが居なければ僕は呼吸一つ出来なかった。 空気も温度も湿度も、人間が生存できるよう完璧に制御されていた。 そんな完璧に制御されたコックピットの中で、僕は赤ん坊のように蹲っている。 完璧主義の悪い癖だと分かっていても、一つの失敗にいつまでも拘ってしまう。 まさに僕は今、自らの失敗が原因で、広大な

          カフェオレと赤いギター(横書籍版)

          この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 【掲載歌詞】 日本音楽著作権協会(出)許諾第2205740-201号 --------------------------------------------------------------------------- 『時には昔の話を』 著作者名:加藤登紀子 『ファーストラブ』 著作者名:URU 『ママへ』 著作者名:AI、C3PROD/AI 『いのちの名前』 著作者

          カフェオレと赤いギター(横書籍版)

          カフェオレと赤いギター(note版)

          1. 青い三角屋根 2. 理想の喫茶店 3. ハルとはる 4. 台風襲来 5. 赤いポルシェ 6. アダージョ 7. 私の残念な話 8. 時には昔の話を 9. エゴイスト 10. 月光 11. 結婚式の朝 12. 小さな宇宙 13. 終わりを告げるフクロウと馬 14. いのちの名前 15. 帰るまでが遠足 1. 青い三角屋根 バス停に辿り着くと、全身の力が一気に抜けた。 「…うそで

          カフェオレと赤いギター(note版)

          アートとクリエイティブの間で

          アートって、いわゆる「 感情の結晶 」 、みたいに感じている。 そこには何の忖度もなくて、 作者の 「 剥き出しの感性 」からのみ生まれてくる。 天与の感性の上に築かれた、様々な体験を通して生まれる感情の集大成。 だから、アートに正解はなく、失敗もない。 それに対し、 クリエイティブって、アートとはちょっと違う 風に感じている。 クリエイティブには型があって、お手本があって、セオリーがある。 必ずしもアーティスティックな感性を必要とせず、後天的に習得することができる。

          アートとクリエイティブの間で

          今を生きるための物語を

          自分の中に無いものは書けない。 これは作家としての矜持だ。 友人の筆が改めて、そう思い起こさせてくれた。 「もっと、ストーリーにエグみを」と求められたとしても、 エグみの無い人に、エグみは表現できない。 小手先で絞り出そうとすれば、それこそロジックが崩壊する。 それだけ、物語は嘘をつかない。嘘をつけないんだ。 だけど、エグみの無い人が、 エグみの一切無い爽やかなストーリーを書いたならば、 それはそれで、とても素敵な物語ではなかろうか。 純粋に、その人の中から絞り出され