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その時、僕は。無限の孤独の中に居た。

フレイヤは既に、スリープモードに移行していて、
また癇癪を起した僕に、いつものように文句一つ言わなかったけど、
この広大な宇宙の片隅で、フレイヤが居なければ僕は呼吸一つ出来なかった。
空気も温度も湿度も、人間が生存できるよう完璧に制御されていた。

そんな完璧に制御されたコックピットの中で、僕は赤ん坊のように蹲っている。
完璧主義の悪い癖だと分かっていても、一つの失敗にいつまでも拘ってしまう。

まさに僕は今、自らの失敗が原因で、広大な宇宙を一人彷徨っていた。

真っ暗になったコックピットは、外の無限の闇とそのまま繋がっているみたいだ。
そんなコックピットの中で、光量子クロックだけが静かに灯っている。
―光量子クロック。
宇宙船のスピードと光の速度の差分から、経過時間を補正できる時刻カウンター。
今の僕にとって、僕の時間を正確に刻むことのできる、このデバイスだけが心の支えだった。

“万一遭難したら、光量子クロックだけはすぐさまONにする”
何度もリフレインする、この呪いのような言葉を苦々しく噛み締める。
まさか本当に、光量子クロックを灯すことになるとは…。

光量子クロックを遡り、それは今から一時間ほど前の出来事だった。

僕ら皇立宇宙軍第34師団は、地球から一か月を掛けて火星に到着。
ステーションでの暫しの休息を終えた後、作業に取り掛かる準備を進めていた。
去年、予備軍での訓練を終えたばかりの僕にとって、初めての火星遠征だった。

「アキヤ、ビビって失敗すんじゃねぇぞ」
「アキヤ、怖かったら、私が代わってあげるからね、ふふっ」
先輩たちは挙って、僕をからかった。
年の差だけでマウントしてくる輩を心底、軽蔑していた。
なので、その手のからかいは、顔色一つ変えずいつも完全無視だった。
それが気に入らないのか、先輩たちのからかいは益々エスカレートする。

「そういえばさ、かなり昔の話なんだけど…作業中に事故があったって…」
「あ~聞いたことあるなぁ、なんでも騎士が一人行方不明になったとか?」
「そうそう、噂では例のあれに巻き込まれたって」
「あー、例のあれね、あれね」

全くばかばかしくて、くだらなかった。
これが、皇立士官学校をトップクラスの成績で卒業してきた輩かの言うことかと、耳を疑う。
そんな強力な重力場、一番近くても、はくちょう座のX-1まで行かないと。
この太陽系にあるわけないのは自明の理だった。

それもこれも、僕をおもしろおかしくからかうため。

人はいつも誰かの優位に立ちたがる。
そしてそれはいつも争いの火種となる。

くだらない話に興じる彼らを後にして、僕はカフェテリアからドックへ移動した。

僕は5歳の時には既に、ウィザード級のAIを駆使していた。
彼らとコンバースすれば、この世で学べないものはなかった。
通常なら15歳のところ、僕は10歳で皇立士官学校に入学した。
最適解導出能力も反応速度も、僕の右に出る者は居なかった。

そして僕は天才と呼ばれて、“こいつ”のパイロットになった。

当初、身体能力拡張型パワーアシストスーツとして開発された“こいつ”は、
建設工事現場や災害救助現場などで重宝されたが、
次第に装甲機能が強化されスケール化し、戦闘兵器としての色を濃くしてゆく。

まさに…21世紀、最後にして最大の発明品。
―有人駆動型ヒューマノイドスーツ「スペース・ウォーカー」。

出発前のファイナルチェックで、ドックに聳え立つその光景は圧巻だった。
ドックの中央に置かれた、一際フォルムの美しい機体。
世界最高スペックを誇る最新型、僕の専用機「ファルコン」だ。
ファルコンの描く流線の弧を眺めて、僕はコックピットに繋がるタラップへと急いだ。

「アキヤ!」
タラップを上る途中で、いつもの聞き覚えのある声に呼び止められた。
振り返ると、案の定、マシュカが説教顔で僕に詰め寄ってきた。

「また単独行動なの?初陣なんだから、チームで行動してって言ったでしょ」
その想定内のセリフに、返答もせずに先を急ぐ僕。
その後を、マシュカがぐいぐいと追ってくる。

「うるさいなぁ、単独でも問題ないよ、フレイヤもいるし」
コックピットのハッチまで辿り着くと、振り払うように僕は言い放った。
「それにあんなくだらない話…」
そこは…つい、口が滑ってしまった。
どちらかと言うと、それはマシュカには言いたくない話だった。

「くだらない…?あ、時空遭難の話ね…確かに、今は仮説の部分も多いけど…」
マシュカの話が終わらないうちにハッチを開放し、乗り込んだ。
「あ、アキヤ!万一の場合は、必ず光量子クロックをONに、」

そう言いかけているマシュカをシャットアウトして、僕はコックピットに滑りこんだ。
シートにもたれかかり深呼吸すると、嘘のように落ち着いてくる。

ファルコンの中は、僕だけの場所だった。

『アキヤ。またマシュカと喧嘩したのですか?』
僕の生体反応をキャッチして、フレイヤが自律起動する。
さすが、世界最高峰の頭脳。時折、その明晰さにはムカつくけど。

「違うよ。あっちが一方的に挑戦的なだけ。ちょっと年上だからっていつも上から目線」
『アキヤの年代の二歳差というのは、大きな経験の差ですよ。耳を傾けるべきです』
フレイヤは、今まで出会ったどのAIにも似ていなかった。
あの最終戦争を勝ち抜いたAIの末裔。
おそらく、従来とは全く異なるアルゴリズムを起点に進化してきたんだろう。
なんだか…、人間に近い感じがした。

スケール化した操作系の複雑さを解消するため、AI搭載機が標準になると、
その機動性において、有人駆動のヒューマノイドはあらゆる戦闘兵器の頂点に立った。
特筆すべきは、人命と環境を最優先とするパトリオット性の高さだ。
国防を要とする国々は、国境や海外沿いに次々とヒューマノイドスーツを配備した。

そして、21世紀最後にして最大の発明品は、前世紀の戦争の概念を一気に変えた。

ヒューマノイドスーツの出現により、破壊行為による制圧は著しく困難となった。
そのため、地上での覇権の行方はサイバー空間に委ねられた。
AI同士による国家システムハッキングの攻防戦。
最後はフレイヤの先祖が勝利し、世界中の核ミサイルシステムが凍結された。

ここに人類は、長らく患っていた核の脅威から解放されることとなった。
僕たちの時代-22世紀に入ってすぐのことだった。

『アキヤ。ファイナルチェックはまだ30分は掛かりますよ』
「いいんだ、ここにいるよ。ここにいるほうが安心するんだ」

…本当は、凄く怖かった。
失敗しないか、不安で堪らなかった。
過去のデータから事故率は0.0001%。
それでも…、自分がその100万分の1にならない保証はなかった。

僕ら宇宙軍に課せられた最重要ミッション。
火星基地にて、前世紀の最低・最悪の遺品…核弾頭の凍結作業。

天才と呼ばれてパイロットになった顛末がこれか…と何度も我が身を呪った。
僕ら22世紀の子供たちに課せられた残酷な使命だった。


「エネルギーチャージ完了」
「Mドライブシステム起動開始」
「全機スタンバイto GO」
ファイナルチェックが完了すると、ドックはにわかに騒がしくなってきた。
フレイヤの読み通りのタイミングで支度をした僕は、一番手でローンチした。

「最新型に乗れる天才パイロットのお手並み拝見だな」
コミュニケーションラインにはそんな嫌味が飛び込んできたけど、
そんなノイズはカットして、訓練通り、手順通り坦々と進める。

今回の遠征で移送してきたのは、核弾頭5発と解体済プルトニウムコア30体。
一回の遠征で運べる量はせいぜいそのくらいだった。
年4回のミッションだと、地球上に存在する全てを凍結するには600年くらい掛かる。
気の遠くなるような話だ。

スペースコンテナから取り出し、規定の距離間隔で慎重に火星地面に並べる。
一次起爆装置を無効化して、プルトニウムコアを地下深く埋める。
肝心なのは二次起爆装置の処理だった。
この高濃縮ウランの塊は、もうそっと埋めるしか手立てがなかった。
予期せぬ熱や衝撃が加わると、意図せず核分裂が始まる恐れもあった。

この作業、最大の難関だった。

…ふと、ファルコンの機体を通して、よく分からない違和感を覚えた。
「…アキヤ?」
僕の様子に気付いたマシュカがコミュニケ―ションラインに入る。

「…!!フレイヤ!」次の瞬間、僕は咄嗟に叫んだ。
フレイヤの演算結果はmsec.にも至らなかった。
火星基地への非影響距離を算出すると、ファルコンがそこへ到達するのは一瞬だった。
しかし、異変はすぐさま起こった。
高濃縮ウランの塊を手放し、フルスロットで後退する。

希薄なはずの火星の大気が、まるで炎色反応を起こしたかのように燃え上がる。

フルスロットで遠ざかるファルコンを、異様な圧の塊が更に押しつけてくる。
圧に負けて、機体に亀裂が走る。
ダメだ、ダメだ、このままじゃ、ファルコンがバラバラになっちゃう。
もっと速く、もっと遠くへ逃げないと、逃げないと…

もっと、遠くへ!

次の瞬間、圧から解放される感覚があった。
と同時に、光検知範囲内からは火星が姿を消した。
コミュニケーションラインも無音のままだった。

「…フレイヤ、一体何が起こったの!?」
『意図しない核分裂でしょう。発生確率0.001%程度のインシデントです』
「…僕のせい…?」
『大気圏離脱時の衝撃による確率3.647%、アキヤの不手際による確率0.005%です』
こういう時は端的に「あなたのせいではありません」と言われたい。

「…火星が全然検知できないんだけど…」
『太陽系座標で太陽を原点とした現在地を確認中です』
フレイヤの手際の良さに安心したのも束の間、意外な答えが返ってきた。
『アキヤ…、現在地情報の演算結果、収束しません』
え…、耳を疑う。演算結果が収束しない!?
『ただし、太陽と反対方向に火星軌道から大きく逸脱中なのは事実です』

…!! 急いで光量子クロックに手を伸ばした。

…しまった。首筋に冷たい嫌な汗が滴る。
まさか…だよね?…大丈夫だよね?…そんな僕の願いとは裏腹に、
カウントを始めた光量子クロックの補正係数は大きかった。
つまり…かなりのスピードで、確実に火星からも地球からも遠ざかっている。

「…ははっ」強がった笑いが零れる…でも、頭の中は真っ白だった。

『アキヤ、リカバープランはどうしますか?』
フレイヤはすぐさま、何通りものプランを提示してきたけど、
それらは耳の奥でカラカラと、虚しく木霊するだけだった。
「もういいよ、どうでも」咄嗟にそんな言葉が口を突いて出る。
『“どうでも”では、決定できません』
あまりにもAIらしい返答に、ムカっ腹が立った。
「だから!いい、って言ってんの!放っといてよ!」
子供じみた思考回路。情けないけど…止められなかった。

暫しの沈黙の後、フレイヤが僕を諭すように付け加える。
『アキヤ…分かっていると思いますが、光量子クロックが動いているうちに』
「フレイヤ、スリープ」無理やり強制コマンドを実行する。
コマンドの力には、さすがのフレイヤも敵わなかった。

そう、フレイヤの言う通り。
補正係数は大きいけど、補正できるってことはまだ光速には達していない。
光量子クロックの動作保証はあくまでも、v < < C(光速)の条件下であること。
僕には幾ばくかの猶予が残されていた。

でもなんだか、頭の中がもうめちゃくちゃだった。
自分のスペックを見せつけるどころかこのザマ。
僕がちゃんとやれるってこと…、マシュカにも証明してみせたかったのに。

シートに深く体を預けると、徐々に意識が遠退いていった。
疲れた…本当に疲れた。
このまま、ファルコンの中でずっと眠っていたかった。


眠りから覚めると、その事実に心臓が飛び出した。
光量子クロックが…、止まってる!?
いや、よく見るとわずかに動いている…でも、そいつはほとんど時を刻んでいなかった。

「いつのまに…」こめかみに汗が滴る。
そんなに加速するほどの重力。
近くにそれほど大きな天体はなかったはずだ。
そう思ったのも束の間。
「え…、」手元のパネルに映し出されたマーブルに目を疑った。
この独特な、まるで「ムンクの叫び」のようなマーブル模様…木星だ!

「嘘でしょ…」
益々情けない一言が僕の口を突いて出た。
やけになって、眠ってしまって、気づいたら木星まで来てました、なんて。
とてもじゃないけど、こんなこと。
絶対、マシュカになんか言いたくない。
頭の中で、僕を見下すマシュカが容易に想像できた。

「…やめ、やめ、」
そのイメージを振り払うと、僕はありたっけの記憶を集中して考えた。
僕だって、あれだけの厳しい訓練を乗り切ってきた。
大丈夫、大丈夫。考えろ、考えろ。何か突破口があるはずだ…あ!
そうか。僕の中で一つの仮説が閃いた。
光量子クロックがほとんど止まっているということは、機体の速度はほぼ光速に近い。
火星と木星の距離は、時期による違いはあるけど、平均約30光分。
僕の日常の平均的なうたた寝時間も考慮すると、失った時間は30-40分ってとこだ!

「…はあ、」安堵感から息が漏れた。
なんとなく、確からしい事実が認識できたみたいで、ホッとした。
だって気が付いたら、何十年も時を失っていたなんて最悪だから。
僕が何十年も時を失ってしまったら、マシュカは大人になってしまう。
そこまで差が開いたら、益々勝てなくなる…。
大人になったマシュカとなんか、絶対に再会したくないし!

「…再会、」
そう思った瞬間…ふと、戻れるんだろうか?
そんな疑問が心に湧き上がる。

“アキヤは楽観主義すぎるのよねぇ”
そう、マシュカの言う通りなんだ。
僕は、あまり重たいことには向き合いたくない。
目を逸らしていれば、そいつが消えてなくなるか、誰かが取り去ってくれるかもしれない。
そんな安易な期待に身を委ねて、いつも戦うことから逃げてきた。

手元のパネルのマーブル模様は益々存在感を増している。
このままだと、木星の重力に呑み込まれるか、益々加速して宇宙の彼方に飛ばされるかだ。
意を決し、僕はコミュニケーションラインをONにした。
「フレイヤ!聴こえる? 応答して!」
『はい、アキヤ。聴こえます。気は変わりましたか?』
その高度な切り替えしに、思わず苦笑う。
全く…フレイヤの意味理解能力の高さには、時折、嫌気がさすな…、
でも今は、その高い能力が強い味方になるはずだ。

「各系統の不能率から全体パフォーマンスとしての不能率を計算して」
『はい』と乾いた声で答えると、フレイヤは数秒ほどの沈黙の後に数字を叩き出した。

物理的な破損による制御系不能率は58.625%。
同じく動力系不能率37.483%、同じく通信系不能率52.198%。
「動力系は結構生きてたな…」
『各系統の機能連携を考慮し、全体パフォーマンス不能率は82.147%です』

勝算は二割しかないと見るか、二割もあると見るか。

「フレイヤ、木星の重力場の圏外およびスイングバイされない軌道を計算、
 安全領域を選定できたら、そこへの最短ルートに向かって逆噴射!」
『Yes, Master. I copy that.』

静かな振動と共に動力が再開。
パフォーマンス可能な機能に明かりが灯る。
全天球ディスプレイが再起動すると、木星はもう目の前だった!

手前に伸びてきたブースターレバーに手を掛け、僕は渾身の力でそれを引いた。
「お願い、ファルコン、もう一度動いてー!」 推力波放出。
ファルコンがなけなしの力をふり絞った推力波は、
ゆっくりとファルコン自身の軌道を変えていき、安全領域へとどんどん加速する。
「いいぞ、その調子!」
『安全領域到達までの相対時間60カウント』
ディスプレイの天頂にカウントダウンが表示される。
僕は祈りにも似た思いで、数字が変わるのを見つめていた。

!!!!!!
カウントダウンが10を切ったところで、突然のワーニング!
「フレイヤ!何!?」
『推力波出力異常ありません』
フレイヤはそう答えると、珍しく答えに詰まるように一拍置いて、こう答えた。
『しかしながら、目標ルート逸脱。安全領域までの到達時間は不明です。』

…一体、何が起こっているんだ。
切り開きかけた空が、再び雲で覆われていくみたいな感覚。
意味が分からなかった。

あ、そうだ…光量子クロック!
光量子クロックは、依然止まったままだ。
そう言えば、さっきの逆噴射の際も、全く動いていなかった気がする。
変だな…つまり、
推力波放出時も、僕らはある一定の方向へ近光速で向かっていたことになる…、
え…、じゃぁ、木星じゃないってこと?
もっと別の大きな力が…僕たちに働いているってことなのか!?

暫しの沈黙を破り、フレイヤが声を上げた。
『アキヤ、解がありません』
無機質にそう答える声は、どことなく悲しげに聞こえてきた。
『Sorry, Mater. I close my session, I always hope your...』
全天球ディスプレイが切れると、コックピット内の明かりも消えた。
緩やかな振動と共に、動力も落ちていく。

フレイヤが自らをシャットダウンするなんて初めてだった。
僕がどんなに悪態をついても、いつも淡々とミッションを遂行するフレイヤ。
なんだか…、全てに見放されたような気分だった。

再び真っ暗になったコックピット。
取り残された僕。
わずかに灯る光量子クロックは完全停止。
程なくして、クロックのコアが微かに振動すると、
まるで…最後の煌めきを放つ線香花火のように、はらはらと崩壊し始める。
崩壊する光花は、真空管をすり抜けて飛び散り、
コックピットの中を反射し始める。

とうとう…、完全に光速に達するのかもしれない。

次の瞬間、密度の違う空気の中へ突入するような感覚を覚えた。
その空気は、今度は網目の細かいネットのようになって僕を通過する。
全身が素粒子レベルに分解されるような感触に身震いした。

光が…光の点が、どんどん大きくなって近づいてくる。
物凄い眩しさで拡大し、僕の視界を奪うと、一気に僕を呑み込んだ!

突然、全ての呪縛から解放される。

そして…、何もない世界。
どっちが上か、どっちが下かも分からない。
僕という存在は確かに在るけれど、僕という存在を確認することができない。
初めての体験。

遠くで、鳥のさえずりのような音楽が聞こえる。
それは、凛と耳の奥で響いたかと思うと、僕の全身を共鳴して鈴のように鼓動した。
まるで、息の出来る水の中を揺蕩っているような快感だ。

全ての抗いを一切止めて、僕は…、
ずっとこのままでいいような、そんな気持ちになっていた。

ふと…、音楽の向こうからザワザワとした嫌な音がし始める。
なんだろう…
その音はどんどん大きくなると、突然目の前に押し寄せてきた!

「わぁぁ!!」
迫り来るものを避けるように、僕は上へと逃れた。
霧が晴れたかのように、視界が開ける。
大きな音の正体は無数の人の足音。
無数の人の群れが何処かへ向かっている。
それはずっと遠くから、永遠に蛇行する川の流れのように繋がっていた。

「え…、これって…」
何故だろう。僕にはわかった。

川の流れは、時の流れだ。
流れが進むにつれて老いていき散る人も居れば、
流れの途中から誕生し、歩を進める人も居た。

おそらく…光速を超えた今、僕は時間方向には全くの静止状態なんだ。

静止する僕などお構いなしに、みんな、もの凄いスピードで未来へと向かっていく。
その流れと共に生じるザワザワとしたノイズ。
それは次第に鮮明となり、無数の意識となって僕に流れ込んできた。

「…あっ!」経験したことの無いような衝撃が僕を貫く。

それは、僕から父さんと母さんに分かれ、
そこからおじいちゃんとおばあちゃんに分かれ、
更に、おじいちゃんとおばあちゃんのお父さんとお母さんに分かれ、
それはどんどんどんどん分かれていって広大なネットワークとなり、
全ての空間と全ての時間と繋がっていった。

無数の意識は、そのネットワークの末端に居る僕に流れ込んでいた。

川の流れからは、いくつもの狼煙が立ち上がっている。
細く白い筋のようなものもあれば、燃え盛る業火のように渦巻くものもある。

ああ、そうだ…あれは、争いの炎だ。
人類が、過去からずっと繰り返してきた過ち。
そして今なお、その代償を払い続けている。

炎の中から無数の痛みと悲しみと苦しみが立ち昇ると、
ネットワークを介して僕の中に流れ込み、僕の体を切り刻んでいく。
それは、過去の過ちが決して自分とは無縁でないことを教えている。

僕に課せられた残酷な使命にも、意味があるって言うこと?

容赦なく入り込む痛みと悲しみと苦しみに、気が遠くなりそうだ。
薄れいく意識の中で、自分が何を決断するのか迫られているような気がした。

でも、決められない。
待って、待って、待って。
だって、突然過ぎる。
全てを知らされても、一気に情報処理できないよ!

僕という存在を確認することができない空間で、誰かの確かな存在を確認したかった。
マシュカ…マシュカに会いたかった。
マシュカの存在が、僕に再び息吹を与える気がした。
何万年も昔のように遠く感じながらも、マシュカを…強くイメージする。

アキヤ!

その声はまるで雷鳴のように、ネットワーク全体にビリビリと鳴り響いた。
感電したかのように意識が戻ると、目の前の空間が一気に裂ける!

「アキヤ!」
空間の裂け目から、マシュカが姿を現した。


マシュカが現れたことで、僕は自分の姿を取り戻した。
僕とマシュカはだいぶ高いところから、永遠に蛇行する川の流れを眺めていた。

「ここって、一体どこなの?」
だいたい察しはついているけど、敢えて聞いてみる。
「うーん、まぁ、3次元宇宙が4次元的に歪んだ…その狭間って感じじゃない?」
雑な回答がマシュカらしくて、笑えた。
「もう、分かってるんだったら、聞かないでよね」
マシュカは顔を赤らめて、ちょっと怒ってみせた。
その人間らしい反応が心地よかった。
「まぁ…実は私も初陣の時、やらかして来たのよ、ここ」…え!?そうなの?
「宇宙に出たら、たまにあるのよ、こういうの」…初耳だった。

光速を超えた、素粒子のもっと奥の世界に存在する広大なネットワーク。
僕もマシュカも、この広大なネットワークの下に、確かに繋がる存在だった。
だけどちょっとだけ、僕とマシュカの間は強く濃く繋がっているような気がした。

「アキヤ…、ずっとこっちに居てもいいのよ」
遠くの川を眺めたまま、マシュカがそう切り出した。
「…え?」その唐突な提案に戸惑う。どうして!?
「その…、戻ったら戻ったでいろいろ大変だし…慣れればこっちの方が気楽って言うか…」
マシュカは敢えて僕を見なかった。
僕は立ち上がり、マシュカに目線を合わせた。

「マシュカは、どうして戻ってきたの?」
こっちに来たことがあるなら、マシュカはどうして戻ったのか?
真っ直ぐ目線が合った僕に、マシュカは誤魔化しが効かないことを悟った。
照れ臭そうに微笑むと「まぁ、またあんたに会いたかったからね」と、答えた。

意外な答えに面食らったものの、マシュカの言葉に嘘がないことは分かった。
不思議な感覚だった。
こっちでは、心に描くことがまるで透けて見えるかのようだ。

僕は今、何を想うのか?
僕の心もきっと、マシュカからは透けて見えるはずだ。
僕は…、

僕は、この時代に生まれてきた意味から逃げたくなかった。

「一緒に帰ろう」
僕は一歩前へ出て振り向くと、マシュカに手を伸ばした。
手を伸ばす僕を、目を丸くして見ていたマシュカだったけど、
「あんたから『帰ろう』って言うの、正解だわ、きっと」と、嬉しそうに手を乗せた。

「せいや!」マシュカの意力でまた空間に裂け目が生まれる。
…何回見ても、怖っ。
でも、これって何のメタファーなんだろう?

裂け目の向こう側に足を踏み入れた途端、目の前が真っ暗になった。
次に意識が戻った時、僕はファルコンのコックピットの中だった。
マシュカのフェニックスが僕のファルコンを抱えて飛んでいた。
朦朧としながら、仕切りにマシュカに謝っていたような気がする。
「あんたが察知しなかったら、みんな生きてなかったわよ」
そんなマシュカの言葉が頭の片隅に残っていた。

目覚めた時には、身体中に温かいものを感じていた。
目を開けると、一斉にみんなの顔が視界に飛び込んできた。
「アキヤ!!」
先輩たちが一斉に声を上げ、僕を覗き込んでいる。
温かいものの正体は、僕の身体に触れる彼らの手のひらだった。
目覚めた僕をさすったり抱きしめたり、口々に愛おしさを語る彼らに驚く。
僕が彼らに感じていた敵対心は、一体何だったんだろう?

「アキヤは暫くゆっくり休めな」
僕を労って部屋を後にする彼らに向かってこう答えた。
「いや、僕も行く、大丈夫」
僕はベッドから出て、一歩踏み出した。

<終>


この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

ワレ

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2022年10月5日 初版発行

著者         宮坂満美
連絡先        Twitter: @suwano_sakuya

Copyright © 2022 宮坂満美
All rights reserved.

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