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なるべく自給自足を意識しはじめたこと

‟なるべく自給自足”

 僕の求める‟なるべく自給自足”は、食材や電気エネルギーのみに限らず自分の生活に必要なことをなるべく自らで得ること。急に全てをなんてハードルが高いので、なるべく出来るところから。そして現代において、個人で出来ることには限界があると思うので、頼ることは頼る。必要のないことは省いていく。

 そういう風に自らの生活を、これから少しずつ形成していければと思っています。

なぜ、なるべく自給自足?

 今まで自分が当たり前のように、やりたいことをやって生きてこれた生活。その裏には全く見えていなかった苦労や犠牲、知らないうちにお世話になっていることがあるのを沖島の生活を皮切りに、より実感し始めました。あえて、インソーシングする(身近に感じる)ことで、見えてくるものがある。それが考え直したり疑問を持つきっかけになる。より身の回りの環境に感謝出来、様々な要素を踏まえ、より良い方向に取捨選択を出来るようになる

 実は身近な生活の中で、環境問題社会問題に直結していることもあり、アクションをとるというよりも、選択肢を変えるだけで問題に貢献できることだってあります。

 僕の今の生活環境だからこそ実感出来ることは沢山あると思い、①自分自身が身をもって知って、より良い選択肢を実行していきたいのと、これからの生き方を考えていく上での選択肢として、②少しでもヒントとなれればと思い、意識し始めた次第です。

主に現時点で実行していること

・自家発電(まかなえる範囲をソーラーパネルで自給)

 自分に合うイス(岩)を探し、抜群の景色と美味しい空気の中で、何も気にせず音楽鳴らして読書や日向ぼっこついでに携帯やモバイルバッテリーの充電をしています。ここで使う電気もまかなうので、実質コスパ0の時間。春と秋がベストシーズン。家の中にいる時は、モバイルバッテリーの充電中心。

 コンセントに差し込むと簡単に使える電気ですが、自家発電しようと思ったら、けっこう時間がかかるもんですよ。

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・食材の選択(ベースは自分の手で得たものor沖島・実家食材)

 まだまだ割合としては、ごくわずかですが、基本は自分で得たもの。そこに、誰が・どこで・どのように育てたり手に入れたりしたモノか分かるものをなるべく選択するようにしています。

 今シーズンラストのビワマスは自らの手で獲って締めて、捌きました。

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畑もやれる時に。野菜との関係性が近いほどおいしく感じるんですよね。

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春は山菜取りに。

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保存食という視点での、カマツカの本漬け。


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・体のメンテナンス(自分の手でなるべくメンテ)

本を読んで実践中。メンテナンスの方法を知ると、身体のメカニズムも同時に知ることが出来るので、他に生活習慣など考え直せる部分も出てきて、一石二鳥以上。日々の予防で体への疲労蓄積を軽減中。

・必要な物は、なるべく代替品で補う

 「何か代わりになるモノはないかな?」と考えていると、知らないうちに楽しい時間を過ごしています。

 空き家の取壊し前に伺い、廃棄される予定のモノを物色させて頂くこともあります。「これあそこに使えるかな?」なんて考えながら。イケてる金具などがあれば、そこだけ解体したりして。

 そのまま代用出来るモノもあれば、何らかのパーツなら各々を組み合わせる。意外と、代替品として補えるモノがあるんですよ。出費や資源の浪費削減、廃棄物の削減にも繋がります。

 通販やお店で何でも簡単に手に入る世の中だからこそ、自給自足と同様に感じる部分もあります。

 こちらは、エビたつべシェード。新たには作られていない全て手作りの手間暇掛かったエビたつべを使用。先人の想いも詰まっていて、俄然愛着が湧きます。

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etc.


意識し始めたきっかけの例

①食材の選択-自然界の生き物と身近に関わる機会が出来た-

 沖島に来て、目の前におられる方々が獲ってこられた新鮮で美味しい湖魚を頂ける生活になり、気づけば漁師の見習いを通じて、生きた湖魚と毎日向き合うように。あっという間に食材への感じ方が変わっていきました。

 普段何気なく口にしていた他の食材にも関心を持つようになり、関心が深まるごとに全く知らなかった事実も知り、出来る限り自分が理解している食材を食べるようにしようと思うようになりました。(得に動物性の食品)

 具体的な向き合い方は未だ模索中です。


必要な物は、なるべく代替品で補う

-辺りを見渡すと見覚えのあるものばかり-

 自分自身、昔から基本は代替品や中古品を選択するようなもったいない意識はかなり高めでした。

 東京で暮らしていた頃、片道20分の自転車通勤。同じ道のりなのに毎日のように違う家からの粗大ゴミ。「まだまだ使えるのになー」というような物がけっこう目に入る。実にもったいない…。

 それとは裏腹に沖島に来てから、役割がなくなったモノに別の命を吹き込んで再度役割を果たしているモノの姿を当たり前のように見かけるようになり、改めて意識させて頂くようになりました。

・漁具の部分破損が見つかったら、解体して大丈夫なパーツ同士で組み立てる

・ウキは、飲みきったペットボトルも利用

・花瓶は、空き瓶や缶

・雨水タンクに、使い終わった湯舟等を利用

etc.

 ある意味‟国内産”以上にそのものを知り尽くしているので、身近で安心感がありますし、個人的には既製品より価値を感じる点が多いです。素敵ですよね。

 余談ですが、実は民泊湖心は、島内外からの頂きモノをベースに構成しています。譲り手の顔が思い浮かぶと愛着が湧きますし、丁寧に使いたくなります。その想いが積み重なることで、宿に誇りも持てます。感謝です。

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今後

 踏み込む度合いが少し違うだけで、見えたり感じられるモノは全く異なってくるように思います。今後も沢山の物事に触れ、徐々になるべく自給自足に切り替えて沢山の事を知り、自分自身のため・未来の人たちのためにより良い選択をしていければと思います。

 みなさんもぜひ意識されてみては、いかがでしょうか。

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