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本当に好きなものは手放さない。刺繍で表現する自分の中の可愛さと植物の美しさ

丁寧な暮らし。多少の違和感を持ちつつも、当たり前に目指すべき憧れの象徴のように感じていた時期もあった。その定型化したフレーズに自分を当てはめようと葛藤したこともあったけれど、今は自分なりの丁寧さの度合いを見つけようと、日々を過ごしている。

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「丁寧には暮らせないけれど、季節の行事は大切にしたい」と話す中川阿左葉(あさよ)さん。自分なりの「丁寧さの軸」を持ちながら、刺繍作家と保育士の二足の草鞋をはいている。

「刺繍作家になって7年目の今年は勝負の年だと思っています。だけどここにきて、揺らぎを感じていて…」阿左葉さんはお腹に手を当て、そっと視線を落とす。

思いがけず宿った小さな命。

大きな喜びとわずかな戸惑い。このタイミングで来てくれた意味。自分はこれからどうすべきなのか。もしかしたらその決心を固めるために来てくれたのかもしれない。そう感じた阿左葉さんは、前を向いて話し始める。

住宅街の一角とは思えないほどの緑の木立に囲まれたカフェで、鳥のさえずりとデザートを楽しみながら、阿左葉さんの話に耳を傾けた。

中川阿左葉(なかがわあさよ)
刺繍作家。植物をモチーフにした刺繍に天然石を組み合わせて、オリジナル作品を生み出している。自分の中の「可愛い」と向き合う日々。好きなおやつはあんみつと、ドライフルーツやナッツ入りのハード系パン。夫と5歳の息子と暮らしている。岐阜県出身、石川県在住。
instagram:@oomori83bandou

刺繍を始めたきっかけ


―刺繍を始めたきっかけを教えてください。

「乳がんになったことがきっかけです。両側乳がんで29歳のときでした。ステージ0だったのですが、放射線治療を避けたくて、再発の恐れはないということで全摘出を選択しました。約3ヶ月入院だったのでとにかく暇。テレビか携帯か写経くらいしかやることがなくて(笑)体もまだしんどかったので、病院のベッドの上でできることを探していました」

思いついたのが刺繍だった。外泊届を出して、ご主人と一緒に病院のすぐ近くの手芸屋さんで材料を調達。手のひらサイズの平面の世界に、次第に夢中になっていったという。

「ミシンは苦手だけど、手を動かすことは好きでした。お洋服も好きですが、身長や体型などサイズを選びますよね。ブローチやイヤリングといったアクセサリーは、ただ純粋に自分の好きなデザインや雰囲気で選ぶことができる。最初は自分のために、自分が好きだと思うものを作っていました」

―販売するようになったきっかけはなんだったのでしょう?

「当時、通っていた石けん屋さんがありました。私も主人もストレスや汗でアトピーがひどかったから、肌に直接触れるものに気をつけるようになって。そこでたまたま身につけていたアクセサリーが常連さんの目に止まり、石けん屋さんで委託販売をすることになったんです。刺繍を始めて1年くらいの頃ですね」

石けん屋さんでの展示会を皮切りに、雑貨屋さんでの委託販売やイベント出店などで、刺繍作家としての道を歩み始めた阿左葉さん。どんな想いで作品を作っているのだろうか。

オンリーワンを手にしたい


―作品を作るときに心がけていることはありますか?

「自分が欲しくなるようなものを作っています。どうやって作っているんだろうってワクワクするものや、想像力を掻き立てられるものを作りたい。体は1つしかない。せっかく身につけるなら、オンリーワンがいいって思います。同じデザインでも、手仕事だと全く同じにはなりません。そういう違いを『味』として、自分だけの特別なものとして楽しんでほしいと思います」

同じように見えても、全く同じにはならない手仕事のモノたち。阿左葉さんは、その違いにこそ魅力を感じるという。

「多分、実家の影響があると思います。作りのしっかりした良いものを買って、永く使う家でした。幼い頃から古い手仕事の品々を目にしてきたし、そのせいか古道具屋さんに行くのが好き。以前こたつの炭カゴを見つけたときは、つい欲しくなってしまいました」

古いもの特有の落ち着いた佇まい。角がとれて、まるくなった雰囲気。そのモノだけが経験してきたであろうストーリー。そういった独特の何かに想いを馳せることが好きなのだと、阿左葉さんは笑う。

「今ここで古いものを目にすることができるのは、直されて愛されてきたからだと思います。そういうものに価値を感じる。だから壊れたらすぐに捨てられてしまうものを近くに置きたくないんです。多少高くても、良いものを買って、直しながら永く使いたい。私の財布は一度リペアをしましたが、買ってから20年になります。私の人生の半分を一緒に歩んだ、私だけのオンリーワン。何にも替え難い存在です」

古道具屋さんで一目惚れした揺り椅子は、誰かが大事に使っていたことがすぐにわかったという。

「艶やかな飴色の揺り椅子で、座面は一度直した跡がありました。座ってみると、隣に刺繍道具を置いて刺繍をする自分が想像できて。悩みましたが、この値段でこんなに気に入る揺り椅子にはもう出合えないかもしれないと思って購入しました」




自分の「好き」に正直な阿左葉さん。今の暮らしにも興味が湧いてくる。


自分の機嫌は自分でとる


―今住んでいる家にも、昔のものや手仕事のものが多いんですか?

「自分が美しいと感じるものに囲まれた生活が憧れです。でも小さい人と一緒にいる今は、なかなか難しいかな。隠してある大事なものほど、なぜか見つけて持ってくるんです」

そういって阿左葉さんは息子さんのエピソードを話してくれた。

「卵豆腐を入れて」と、かき氷を食べるときだけにこっそり使っていた昭和初期のプレスガラスの器を持ってきたり、「今日はこれで晩御飯を食べる」と、窯元のブルーのプレートを出してきたり。阿左葉さんは困った表情を浮かべながらも、息子さんへの愛情たっぷりに話をしてくれる。

「息子が割ってしまった器もいくつかあって。悲しいですけど、そのうち金継ぎをしようと思ってとってあります。あんまりダメー!とか、キーって怒るのも嫌なので、絶対に壊されたくないものは封印してあります」

阿左葉さんのお母さんは保育士をしていて人形作りが得意だったそうだ。布団を仕立てられる母方の祖母に、工業高校出身のお父さん。「壊れたら直す、ないものは作る」が当たり前の環境で育ったせいか、すぐに壊れるものや余計なものは買いたくはないのだという。

「プラスチック製品があまり好きではないんです。そのときは便利だけど、耐久性がないから年を追うごとに劣化していくし、直すこともできません。だから割れてしまうのは悲しいけれど、やっぱり基本は自分が綺麗だと感じるものを手に取って暮らしたい。子どものおもちゃや衣装ケースなどに関しては、今は心の中で折り合いをつけている感じです」

「好き」の軸をしっかりと持ち、その時々で自分の機嫌を取っている阿左葉さん。予想外のことが連続のお母さん業とのバランスは、どうやってとっているのだろうか。

「いわゆる理想のお母さん像と比べたら、30点くらいだと思っています。基本自分優先ですし、出店イベントがあれば息子のことは主人におまかせ。1つのことに集中すると、家事もおざなりになってしまいます」

結婚した当初のご主人は、カップ焼きそばとチャーハンしか作れなかったそうだ。しかし刺繍に真剣に向き合う阿左葉さんを見て、家事を進んでやってくれるようになり、今では唐揚げを作れるほどの腕前に。

「好きなことができないのは、我慢をしている状態。お母さんの機嫌は子どもに直結するから、お母さんの機嫌の良し悪しで、家の雰囲気って変わると思います。私が子どもや主人に与えられるのは愉快な暮らしくらいだけど、好きなことができているから、私も中川家もハッピーです」

7年目は勝負の年


―今年は勝負の年とおっしゃっていましたが、それはどうしてですか?

「父方の祖母に『修行7年と思って好きなことを続けなさい』と言われたことがあります。それがずっと心の中にありました。今年がその7年目だから、本腰を入れていきたいなと思っています」

これまでは単純に好きなもの、可愛いと感じたものを刺繍で表現してきた。だけどこれから刺繍作家に重心を移していくならば、それだけではいけないと感じているという。

「もちろん可愛さも大事です。でももっと、植物に特化した作品を生み出していきたいと考えています。今まで以上に作品に向き合い、自分のフィルターを通して見えた価値を表現したい。ただ目の前にあるものをそのまま作ったのでは模倣になってしまいます。それだと意味がないんです」

以前制作した薄紫の花びらが涼しげな紫苑の立体刺繍。白と薄緑のビーズが中央部分を彩る。だけど実際の紫苑の中心部は黄色で、緑色の部分はないそうだ。でも見たままを作ったら、ただの標本になってしまう。


「短大時代に言われた、幼児美術の教授の言葉を今でも大切にしています。

『あなたが赤色だと思っているリンゴは、実は黄色かもしれないし、青色かもしれない。リンゴの中にはたくさんの色があって、どの色を取り出すかはその子によって異なります。だから例えオレンジに塗ったとしても、否定したり、誘導したりしてはいけません。見たままを詳細に書く技術が素晴らしいかというとそうでもない。分かりやすさだけが大事なわけではないのです。子供の絵の素晴らしさは、本質を捉えられること。たけのこを取った瞬間の心の中をかいたら、たけのこは自分よりも何倍も大きくなる。そこを読み取れる人にならないといけません』

同じものを見ていても、人によってステキだと感じるポイントは違います。刺繍の作品には私の眼鏡を通して見た『ステキ』を出力したい。あなたにはそういう風に見えたんだ、それっていいねって共感してくれた人が、眺めて『ウフフ』ってなるものを作りたい。装身具を作るときは忠実さではなく、可愛さや付けやすさを優先させます。自然からの贈り物でもある天然石と組み合わせて、どうやって自分の感情や植物の美しさを表現するか。頭の中で自分と対話しながら作品と向き合っています」

憧れの作家さんはいるが同じものは作りたくはない。阿左葉さんは言葉に力を込める。オリジナルであることを特に大切にしているからだという。

「負けず嫌いなんです。ステキだとは思うけど、真似はしたくない。本やネットで見つけたのと同じ方法でも作りたくありません。自分個人のためならいいけれど、作家を名乗って人様に買っていただくからには、一から作ることが大事だと思っています。暮らしや生活全部を丁寧にすることは難しいです。でも刺繍に関しては、手をかけて一から作りたい。私ができる精一杯の丁寧だと思っています」

ひと針ずつ丁寧に刺した手のひらサイズの世界への熱量。その源泉はどこにあるのだろう。

これからの働き方


―今後はどんな風に働いていきたいと思っていますか。

「お腹の子は、背中を押すために来てくれたのだと感じています。保育の仕事も刺繍に没頭する時間も好き。でも体や心のバランスを取るためには作家活動の割合を増やしていこうと思います」

9月に大きなイベントが控えているという阿左葉さん。7年間、敷居が高くて応募すらできなかった憧れのイベントへの出展が叶ったのだそうだ。喜びと同時に、万全とはいえない今の状況に正直不安もある。

「つわりは落ち着いてきたけれど、高齢出産になるし体はしんどいです。上の子の妊娠中に患った左親指のバネ指も再発しています。それでも、与えられたチャンスに向かって精一杯向き合っていきたい。諦めたくないんです」

短大時代に別の先生に言われた言葉で、もう1つ心に留めているものがあるという。

「本当に好きなことは、いつだって、どんなときだって手放してはいけないのよって。乳児保育課程の先生で、水彩画の作家さんでもある方に言われた言葉です。絵も描きたい、保育士もしたい、子育てもしたい。全部好きだから寝る間を惜しんで夜中に絵を描いていたそうです。私も刺繍を手放したくない。欲張りかもしれないけど、他のことも全部やりたい。諦めたくないって思います」

以前は息子さんを寝かしつけてから、夜4時間ほど作品作りをしていたという。最近は体のことを考えて朝活に切り替えたという。

「時間は限られているけど、気力はあります。特に葉っぱの刺繍をしているときは、脳内のスイッチが入るのか手が止まらなくなります。植物が注目されるのって、花や実ができるときが多いけど、そうではない期間の方が圧倒的に長いんですよね。そういうあまり目に留まらない部分にも、フォーカスできたらなと思っています。やっぱり、刺繍をするのが大好きだから」

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修行期間だと言っていた7年間。その7年間のほんの一部の作品しかわたしは知らない。それでも、植物への愛情や季節の移り変わりを掬い取る確かな技術を感じる。「丁寧とは、一から作ること。もしくは自然の中からいただいて作ること」だと語った阿左葉さん。7年間で太くなった軸から溢れる想いに、揺らぎはもう感じられなかった。

2年前、息子の卒園式のためにオーダーしたイヤリング。半立体刺繍の小さな白い花と、フローライトとも呼ばれる蛍石が組み合わせてある。特別な日だけに使おうと決めて引き出しにしまってあるけれど、日常にこそ使うべきかもと思い至った。丁寧な暮らしの定義が人それぞれであるように、どんな日常を過ごすかも人それぞれ。わたしはどんな毎日を送りたいだろう。手のひらにのせて眺めると、思わず「ウフフ」って気持ちが晴れやかになる。そんな最強のアイテムが近くにある幸せを、今じんわりと感じている。

文責:CHIHIRO
写真:中川阿左葉


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