「アンと愛情」で見つけた”ぱかん”を紹介

大学はきっと、こういう「ぱかん」をたくさん見つけに行くところなんだ。なら、楽しいに決まってる。だって「わかる」って、すごく楽しいもん。

大学はもちろん楽しかったけど、大学でなくとも「ぱかん」のきっかけや気づきのタネは日常生活にもごろごろ転がっていると思う。
自分で「あっ!」ってわかった瞬間。
くす玉が割れたみたいに、閉じていたものが開いたときの快感。

この「アンと愛情」の中にもたくさんの「ぱかん」のタネを見つけた。
そういう本との出会い、へーって思える読書時間がたまらなく好き。

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↑付箋つけて読みました。

「アンと愛情」はシリーズものの第3弾。読むと必ず和菓子が食べたくなる。だから夜は読まない方がいいかも。だって夜に塩豆大福なんて、背徳感と罪悪感のかたまりでしかない。

本のレビューや説明は別の人に任せるとして、今回はわたしの気になったポイントを2つ紹介。

加賀友禅と京友禅の違い。

加賀友禅:花鳥風月を描いた絵画調で自然派
京友禅:図案調で都会派

加賀友禅は、自然と写実を極めた結果、面白いものを描いてしまったという。
それは虫食い。加賀友禅の職人は自然描写を極めたあまり、自然のマイナス部分まで描いてしまったそう。

「葉の縁が少し茶色くなっていたり、欠けていたりといった程度です。それもデザイン的に、枯れた茶色や黄色を入れてふさわしい場合に限ります。全部の加賀友禅に虫食いを入れているわけじゃないんですよ」
柏木さんの説明に、立花さんがうなずく。
「とても現代的な感覚ですね。始まったのは、江戸時代ですか?」
「はい、江戸中期らしいです。もともとは京友禅の絵師が晩年に加賀藩で始めたとか」
「ということは、デザインを極めた後の写実。面白い。通常はピカソや光琳のように、写実を極めてから余計なものを削ぎ落としてデザイン的になっていくものなのに」

なぜこの箇所が気になったかというと、わたしが石川県に住んでいるから。金沢は加賀友禅の着物が生まれた場所。そして普段着で着物を嗜む友人がいて、その人がめちゃくちゃかっこいい。勝手にわたしのインフルエンサーにしている。

わたしは普段着物は着ないけれど、着ている人を見るとつい視線はそちらに向かう。加賀友禅なんて、日常では出てこない単語かもしれないけれど、そういった背景や違いを知っているだけで、見えている風景や、着物を目にしたときの感じ方も変わってくるんじゃないかと思う。


「伝える」という仕事


「ものが置いてあって、値段が書いてある。実用品としてドラッグストアで売るだけならそれでいいわ。でも化粧品には、季節ごとにテーマがあり、背景に物語があるの。綺麗になったり、心地よくなるためのバックグラウンド。それを伝えるのが、販売員の仕事だと私は思っているのよ」

デパ地下の化粧品販売員さんが、主人公のアンちゃんにいったセリフ。

最近、この「伝える」ということが気になっている。

この前友人がしてくれた話がとても興味深かった。
彼女は、京都で染色や機織りなどの伝統工芸を学び、今は自分の服を手縫いで作ったり、結婚式の白無垢を自分が織った布で作るというツワモノなのだけど、その彼女がこんなことを言っていた。

「無印良品は、誰が作ったかわからないから好き」

職人でもある彼女は、そのモノに「○○が作った」というのがあまりにも強く現れていると、その作り手の圧力やオーラみたいなのを過敏に感じてしんどくなる、と言っていた。だから自分がモノを作るときは、名前をあまり出したくないとも。

だから、どちらかというと「民藝のようなもの」が好きだと言っていた。
民藝とは「民衆的工芸品」の略。

名もない職人たちが、日々使う庶民の生活道具のためにつくった民藝品には、「簡素で飾らない美しさ」=「用の美」があり、この「用の美」こそ「民藝の美」なのです。
出典:民藝ことはじめ | みんげい おくむら本店(民藝や手仕事の生活道具店)

名もない職人たち。それぞれがしっかりとした技術を持ちながらも、作家のように名前を出すわけではない。誰が作ったのかはわからない。でもそのモノには伝えたい、伝わる何かがあるような気がする。
無印良品のモノはシンプルなデザインで無駄がない。だけど使いやすいしオシャレだ。そこに作り手となる会社のメッセージは感じるけれど、圧力は感じない。

例えば、わたし自身はフェアトレードのものが好きだし、誰が作ったのかがを感じられるモノがあるとすごく嬉しくなる。
一方で、そういうものに囲まれすぎたり、○○さんが作ったというイメージが強すぎるとモノ自体の価値が薄まってしまう気もする。

そこにあるモノを一番よく知っているのは、もちろん作り手だ。自分の作品に対する熱い想いや出来上がるまでの過程などは、話しても話し足りないに違いない。そこに共感や感動を覚えて、そのモノを手に入れたい、手元におきたいと思う。だけど、その語りはどうしても主観、つまり作り手目線を100%拭い去ることはできないのではないだろうか。

だからこそ、本人ではない第三者が伝える意義があるんだと思う。
作り手ではないから、フラットにモノを見れるし、感じられる。
作り手の想いに問いを抱いて、その答えを知って感動したり、自分に重ね合わせたり。そういったストーリーが生まれるのは作り手ではないからこそ。

「…綺麗になったり、心地よくなるためのバックグラウンド。それを伝えるのが、販売員の仕事だと私は思っているのよ」

モノの背景、バッググラウンドを知ること。
それを伝えること。
ただ売るのではなく、物語を売るのが販売員。

いろんな「ぱかん」が詰まったこの本は、割ってみたら思いがけず真ん中に栗が入っていたどら焼きみたい。

あー、和菓子と熱い緑茶が飲みたくなる夜23時でした。


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