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わたしはわたしにできること。プラフリーへの第一歩。

”わたしはわたしにできることするだけ”
確か南米アンデスの民話で出てきたセリフだった気がする。
以前、本か何かで読んだ記憶を、頭の中でたぐり寄せる。
燃えさかる森を前に、体長10センチほどの世界最小とも言われるハチドリが、そのくちばしで水を一滴ずつ運んで火を消そうをする。
「そんなことをして何になるんだ」と火に背向けて逃げる動物たちが嘲笑する。
その言葉に対しての一言、だった気がする。

朝の弱い夫のために握る特大のおむすびを
ラップではなくミツロウラップで包むことにした。
職場で食べる自分の弁当の仕切りを
アルミカップではなく小さめのミツロウラップに替えた。
大根、にんじん、レタスなどの中途半端に残った野菜をビニール袋ではなく、ミツロウラップで包んで保存するようになった。

わたしのしていることなんて、ハチドリのひとしずくくらいのもの。
砂漠に降る一滴の雨粒のように無駄なことなのかもしれない。
自己満足なのかもしれない。

それでもこのひとしずくは、だれかの喉を潤すことになるかもしれない。

気がつけば、何かで包まれていないと安心できなくなった私たちの日常。
知らない間に見えない何かにくるまれて、身動きが取れなくなってしまうのでは…と空を見上げて思う。
さわっているようで、実はホンモノにはふれられていない。
いつも見えない何かにカバーされた、ニセモノとふれあう日々。

それでもわたしは、あがきたい。

ちっぽけなわたしの日常が、明日を作っていくから。
いちにちが、積み重なって日々になるから。

ささやかなひとしずくを落とすハチドリが
1羽から2羽に、2羽から3羽に増えれば
火はきっと消し止められるはず。

わたしはわたしにできることをするだけ。
日常を旅にしよう。
楽しく変化させよう。
遅すぎることなんて、ないはずだから。

このショートストーリーは「旅するハチドリ」という屋号で活動を始めた友人に感化されて書きました。(参考図書:ハチドリのひとしずく 監修:辻信一)

先日「上田珈琲店」という素敵なイベントにお邪魔させてもらいました。

前回はオンライン開催だったようですが、今回は人数を限定しての生ライブを堪能しながら、コーヒーやおやつも楽しめるという贅沢な催し。
その場所で「旅するハチドリ」として出店する友人が、なるべくゴミを出したくないということで、参加費に含まれる焼き菓子を入れる容器持参を呼びかけました。さらにその想いをこの場だけで終わらせたくないということで、趣味でミツロウラップを作っている私にも声をかけてくれて、その場においてもらうことに。

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(ミツロウラップは納品してしまったので、ハンカチに包んでもらったクッキーたち。いちじくパウダーが入ってて、しみじみ美味しかったです)

そんな彼女のまっすぐな想いと、私がミツロウラップに込めた想いを言葉にしたいという気持ちがふつふつと湧いてきて、冒頭のショートストーリーを書かせてもらいました。自分が書いたものが印字されるという、とっても貴重な体験をさせてもらいました。(ああ、フライヤーの写真撮り忘れた。。)

ミツロウラップは一言で言えば、繰り返し使えるエコラップ。

コットン布に、ミツロウと柚子オイルを含ませて作りました。(色んな作り方や配合があるので、私のはあくまでも一例です)

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プラスチックラップ。私も以前は使わない日はないと言うくらい、毎日毎日クルっクルっとやってました。便利ですよね、本当に。

だけど、ぽいっとゴミ箱に捨てた後、それらはどこに行くのでしょうか?
ゴミ箱に入れてしまえば関係ない?
リサイクルされているから大丈夫?

そんなことはないんです。

日本独自の基準によると8割がリサイクルされているということですが、そのうち6割は熱回収(サーマルリサイクル)という名の下に焼却されていて、国際的にはリサイクルとは認められていないということ。

また、残りの2割のうちの7割は海外へ輸出されていたようですが、2018年から中国が廃プラの輸入を禁止したことから、国内の処理場に廃プラが溜まり続けているそうです。(参考:海洋プラスチック汚染 「プラなし」博士、ごみを語る

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(手書きで見づらくてスミマセン…)

そのほとんどが燃やされるか、埋め立てられているというプラ処理の現状と知って、衝撃を受けました。さらにプラスチックは土に還るまで、ものすごく時間がかかるそうです。

紙は2~4週間、タバコは1~5年、紙コップは50年、お菓子の包装フィルムは200年、ペットボトルは450年、子供のプラスチックのおもちゃは1000 年。
(メモ書きなので、どの文献かは不確かなのですが、相当長いことは確かです)

1000年って、10世代先の未来にまで残っているって。。
それだけ負荷のかかるものを作り出してしまっている。

それを知ったとき、何をどうすればいいのか、正直途方に暮れました。
自分が生きてること自体が、罪なんじゃないかと思えたりしました。

だけど

そんな風に悲観的になっても仕方ないとも思いました。
できることをするしかないと。


例えば、アクリルやフリースなどの化学繊維ではなく、天然繊維(コットン、麻、シルクなど)の服を選ぶ。

化学繊維は、洗濯するたびにマイクロプラスチックという微量なプラスチックを出してしまい、それが下水を通って海に流れ出します。小さな魚が食べ、それを大型魚が食べ、それを私たちが食べる。食物連鎖によってわたしたちに戻ってきます。2050年には海にあるプラスチックの量が魚の量を超えるそうです。

patagoniaのサイトがその辺りとっても詳しいです。

少し意識してみると、目を向けて見ると、プラスチックに囲まれている暮らし。
その便利さを、恩恵を受けてきたわたし。

これからどうすればいいのだろう。

今既に使っているのもの、手元にあるものは使い切ればいいと思うんです。
そのものの命を全うさせる。大事に使い切る。

すぐに大きくなってサイズアウトする子供たちの服は、友人たちとぐるぐる回しているのだけど、冬に大活躍のフリースは軽くて温かいし、娘が好きそうなひらひらの服はポリエステルがふんだんに使われている。

それらの服を「悪者」にして捨ててしまうことはできない。その服を作るために、水や空気や石油や、ありとあらゆる資源が使われているんだもの。ありがたい存在。だから今手元にあるものはなるべく使い切りたいと思っている。

でも、新しく購入するときは、自分が選ぶときは、ちゃんと考えたい。

What you buy is what you vote
お買いものとはどんな社会に一票を投じるかということ

シサム工房というフェアトレードのショップのこの考え方。「買い物は投票」という考えに則れば、買わないという行動は企業にメッセージとして届く。

自分の日々の買い物は、企業にとっては一番の強いメッセージとなる。どういうものが今求められているか、それを表現する一つの手段が買い物だと思う。企業が提供するものが変われば、社会が変わる。

一人ひとりはちっぽけな存在で、できることなんて少ないと思うけれど、それでも一人ひとりの意識が社会を作っているのは間違いない。

全部を完璧になんてできない。わたしもまだまだ試行錯誤の最中。スーパーで豆腐を買ってレジで透明のビニールに入れてくれるお姉さんに「その袋いらないです」っていうタイミングを逃して、ああ‥ってなったり、今日はごめんと思いながら、パックのお惣菜に手を出す日もある。

じたばたしてて、悶々と悩んで、失敗して、カッコ悪いなーって思うこともあるけど、わたしはわたしにできることをするだけ。そう思って日々を紡いでいく。

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