安心して話せる/安心してその場に居られる/ということ
つい先日のこと。
私は教員時代の元同僚の友人とダイニングバーで飲んでいました。
互いの近況報告をしたり,家族の話をしたり。
子育て真っただ中の友人はひさしぶりに外で飲めることが
すごくうれしい!と
とても楽しそうに飲んでいました。
もちろん私も。
さて帰ろう,と,お会計を済ませると
店員さんが笑顔で友人に近づいてきます。
「〇〇先生ですよね?」
「〇〇高校にいた」
友人は彼女のことを覚えてはいなかった様子だったけれど
時期や高校名は間違いがないらしく
曖昧に笑顔でうなずいていて
だけれども
友人の先ほどのまでの陽気なテンションが急速に醒めていっているのを
隣にいた私は感じていました。
外に出た後
「私何か変なこと言ってなかったよね」と
確認する友人。
私も酔ったアタマを猛スピードでフル回転させながら
「うん。大丈夫だよ」
と答えました。
子育てと仕事の両立は大変だ!とか
家族の協力がないと無理だ!とか
そんな愚痴は話していたけれど変な話はしていない。
結局友人と私は2軒目で飲みなおしました。
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私は現在,心理を専門としています。
私がお仕事としてお話を聴くときに一番大切にしたいと感じているのは
『安心して話せる』
『安心していられる』
ということです。
こんな話をしたら,どう思われるだろう,とか
こんな風に感じている自分は変なのだろうか,とか
そういった不安をもたずに
お話ができる場所があること
あるいは
そのままの自分でいられる場所があること
そういう時間が確保されていること
それが
とてもとても大切だと感じています。
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翻って
先ほどの友人との飲みの場所でのエピソードを思い返すと
友人が「私変なこと言ってなかったよね?」と確認したということは
(おそらく教え子が話しかけてきてくれたこと自体はうれしいことなのだけど)そういった飲みの場で
『安心して話せる』
ことが脅かされると感じる体験でもあっただろうな,と思います。
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人はどうやって日常的なネガティブな感情を乗り越えていくのか
人は誰でも生きている以上
怒りや悲しみ,辛い出来事や,理不尽な思いを体験します。
ジョン・ボウルビィは辛いことを経験してから回復するまでのプロセスを
以下のような4段階に分類しています。
辛いことを乗り越えるためのこころの回復のプロセスには複数の説があります。
ボウルビィは”否認/抗議”の時期を挙げていますが,キューブラロスはその過程で”怒りを周囲に向け”たり,”取引”をしたりする時期があるとしています。
どの説においても,自分の気持ちを整理するための”わちゃわちゃ”した時期を経る必要があるのです。
その”抗議”や”怒り””取引”を誰かに話して一緒に受け止めて考えてもらえることがとても大切です。
一緒に話を聴いてくれる相手がいて,
怒ったり泣いたりしながら,少しずつ心の回復に向かいます。
これは大きな出来事に限らず,
日常少し辛いことがあったり悲しいことがあったりしたときにも基本的には同じような道のりを経ると私は考えています。
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仕事をしていて大変だ,とか,こんなに理不尽な目に遭った,というときにも,同僚と飲んで愚痴りながら少しずつ心の中に収めていって
「(いろいろあるけど)さあ,がんばろう」
と前を向いていくことができるのだと思います。
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さて,再び最初のエピソードに戻りますが。
教員に限らないと思いますが,そういったことがしにくい世の中になっているのは確かではないでしょうか。
もちろん,声をかけてきてくれた教え子さんは懐かしくて声をかけてきてくれたのだと思いますが
友人はプライベートな場で教師という”仮面”を脱いで楽しんでいたのを
慌てて仮面をつけなおしたように見えました。
やはりそれは疲れることであるだろうと思います。
そして私自身,今こうして発信していることも含めて
教員を辞めたことで
その点に関してはとても気が楽になったことも事実です。
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安心して話せる/安心して居られる ということ
『安心して話せる』
『安心して居られる』
この2つは学校において生徒たちにとってもとても大事で必要な要素です。
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本来なら
身近な友人関係や家族関係の中で”わちゃわちゃ”をやりつつ
いろんなことを乗り越えていけるのが一番なのですが
それがしにくくなっているからこそ
カウンセリングという枠組みの中で安心して話せることが求められているのかもしません。
だけど,
カウンセリングにはお金が介在します。
理想を言えば,
日常的な愚痴であれば,安心して話せる場所や友人がいることが
本当はとてもとても大切なことなんだよなぁと思います。
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昔は職員室で
あるいは
外にご飯を食べに行って
”わちゃわちゃ”して回復していく機能が働いていたのだと思います。
今の世の中で
なかなか普段外で自由に発言できないことの多い
教員のためのカウンセリングを私は
オンラインも使って行いたいと考えています。
教員の経験を経た私だからこそ
汲み取りやすいこともあるだろうと思っています。
まず教員自身が
”安心して話せること”
”安心して居られること”
これを体験しなければ
学校の子どもたちにそれを提供することはできないだろうと考えています。
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おいしい鮨を食べたことがなければ
一流の鮨職人にはなれない。
という言葉を
心理の師匠から聞きました。
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これは教員だけに限りません。
子どもたちに関わる大人が
安心できる体験をすることで
子どもたち,生徒たちに
安心の体験を
提供できるようになるのだろうと
私は考えています。
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