【中国日誌】762目 23.9.22

誘いを断る。これが、快感なのではないかという、不安。誘われて、断るのだから、私が、精神的に、優位である。それでいて、誘いうを断るという事実は、私が、人から誘われない時の、保険にもなる。なぜなら、人から誘われない理由を、誘われても断る、という事実が、正当化してくれているからである。私と言う人間の、価値であるとか、必要性だとか、そういう問題ではなく、私が断るから、誘われない、という理由に、シフトできるのである。私の人格の否定を、精神的に避ける、保険にもなりうる。誘いを断ることが、精神的な優位性と、長期的な保険にもなりうる、ことに、私は、心地よさ、を覚えているのかもしれない。それなのに、私は、後ろめたさを感じずにはいられないのである。罪悪感なのかもしれない。せっかく私を誘ってくれたのに、それを無碍にしてしまったという、罪悪感。一方で、何か、私を誘う裏があるのではないかという、疑心。私が、日本人一人で、でかわいそうだから、誘っているのか・・。私には誘う側の気持ちは理解できない。なぜなら、人生で、ほとんど、誰かを誘ったことがないからである。私は、常に誘われる側。一貫して、そうしてきた。だから、誘う時の、気持ちが、分からない。何をもって、他人を誘いたくなるのかが、分からないのである。なぜ、人を誘うのか。人間関係がめんどくさく感じる、私は、そんな時間を、あえて増やすことに、何の意味があるんだろうと、そう思うのである。休日こそ、人間関係のくびきから解放される時間。そんな時間を、自ら縮めようとするなど、、理解できない。理解しようとしてないのである。それゆえ、私には、友達と言える人が、いない。私にとっての友だちをは、一過性のものにすぎない。すこし、自傷的で、寂しい考え方の様な、気がする。友達とは何なのか、未だに、分からない。だから、友達がいないのかどうかも、実のところ、分からないのである。ただ、人間関係で、不足を感じることはない。これは、私の周囲の優しさ故であろう。やさしい人々に感謝を。

朝4時に起き、支度と日課。8時に出社。18時半過ぎに退社。21時半に寝た。

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