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中国日誌

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中国生活の記録。異国の地で構築されていく記憶の世界。
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2023年4月の記事一覧

【中国日誌】617日目 23.4.29

確かに記憶には蓄積されて行っている。我々は忘却しない。全てが刻まれて行っている。その刻まれた記憶を、想起できないだけである。刻むにもいろいろな種類がある。三次元空間に文字通り縦、横、高さの方向に刻むのである。これだけでも膨大な情報の蓄積が可能となる。それ以外にも、信号の周波数や、リズムなどでも情報は刻める。また、信号速度の差異からも、情報は刻める。それ以外にも、すでにある記憶を組み合わせて記号化こ

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【中国日誌】616日目 23.4.28

休みについて考えよう。休みとは何か。身体を休める事か。身体を休めるとは何か。身体を動かさないように安静にするという意味か。否。休めるとは、精神的な意味である。物理的な話ではない。現代の仕事は肉体労働ではなく、精神労働に重きを置いている。だから、休みという概念は、精神的な意味合いであると、私は、そう考えている。故に、休みについて考えるために、重要な点は、精神に対する貢献の大きさ、ということになりそう

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【中国日誌】615日目 23.4.27

私は私ではない。一般的な私は、本質的な私では、制御することはできない。本質的な私は、ただただ、一般的な私を観測者として、見るだけなのである。その一般的な私が抱く感情を、本質的な私は、同じ様に見ることができるのである。その同じ様に見えるがために、私は、その私と勘違いしてしまっている。私は、本質的な私は、ただただ、見ているだけ。ゆえに、そこには、一種の自然的な現象が一般的な私にも生じているのである。雨

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【中国日誌】614日目 23.4.26

二回目の春が来た。嵐は去り、健やかな青々とした薫りが、心地よい風と共に、私の髪を揺らした。私は、その時、春を思い出したのである。そして、これが、すぐに通り過ぎてしまった、春が、再び戻ってきた、その知らせであった。春の薫りが、私の体内を、柔らかくほぐし、力が抜けて、それでいて、濁り切った神経が、洗い流されていった。浄化とはこういう現象なのであろう。人を呪わば穴二つ。私と相手の穴。そして、私も、相手も

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【中国日誌】613日目 23.4.25

怒り。それは、突如として湧いた感情。突然の豪雨の様に、それは、訪れ、川の濁流のごとく、荒れ狂う水は泥で濁っていた。それは汚染された心のようでもあった。怒りとは、そういった、感情である。私の中に生じる怒りが、状況を着色する。状況で私は、怒っているのではない。怒りが、その状況を、煩わしい場面へと着色しているのである。決して逆ではない。感情がなければ、ただ流れゆく、平凡な、緩急のない、等速直線的な、映像

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【中国日誌】612日目 23.4.24

あらゆる視点をえるために、あらゆる情報や刺激を求めて、様々なコンテンツを貪る。さらには人との会話を通して、何かしらの気づきや、視点を求めるのである。一朝一夕ではいかない、この渇望を満たす日々の行いが、時にはもどかしく感じたりもする。それは、自分を見失いそうになるとも言えるし、私が見落としている世界がないかを、常にアンテナを張っているともいえる。私の知らない、世界や考え方に出会うたびに、興奮にまみれ

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【中国日誌】611日目 23.4.23

緊張は、興奮。未知との出会いに、胸を高鳴らせている、状態。すべては、私。私の中で生じる、多様な人物や環境の特性に、私と言う中心が、反応している。すべては、自給自足の世界。私が、生じさせて、私が、反応する。生じさせるものが変われば、私の反応も変わるし、私の反応が変われば、生じさせるものを変わる。一方通行ではなく、両方から、干渉できる、世界である。私は、私の中に、二つの世界を持っている。生じさせる世界

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【中国日誌】610日目 23.4.22

時は積み上がり、一刻一刻の重みを肌で感じながら、時を過ごす。時間の経過に従い、知識や経験を刻み込む。これが即ち、時を刻むということであると考えるのなら、時という概念は、知識や経験など、ありとあらゆる人生の事象を包括することになる。故に時とは物語でもある。物語の蓄積された、その尺度が時なのである。物語がなければ、時も存在しない。物語があるから、過去があるし未来が生まれる。物語れた過去と、今後物語る未

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【中国日誌】609日目 23.4.21

脳のリソースは、焦りや不安の処理にほとんどが持っていかれる。そして、わずかに余ったリソースを使って、普段の仕事をこなすので、キャパがオーバーするのである。言いたいことも上手く表現できず、言葉もなかなか出てこない。やりたいことは、何か、無駄が多く、堂々巡り。そして、選択は、決まって、時間のかかる方を、選ぶのである。自分がしたい作業にリソースが割けないとき、私の無意識に取る選択とは、何を優先した結果な

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【中国日誌】608日目 23.4.20

感情の表情は百面相。様々な出来事を通して生じる感情のバリエーションには、驚かされる限りである。私の中には、まだ知らぬ表情が、まだまだ隠れているのだろうと思う。故に、人生の楽しみの一つとして、隠れた感情を、さまざまな経験を通して、呼び覚ましていくことが、いいと思う。感情とは、おそらくニオイの様なものだと思う。感覚がにおいを嗅いでいる時と近いのである。事象の流れに対する感覚が、感情であると、私は思う。

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【中国日誌】607日目 23.4.19

思考の疲労感。不明瞭、不規則、非共感、不理解による、混沌といた状況。この混沌な状況の空気を吸うと、途端に、脳が、身体が、不機嫌になる。それは、疲労という感覚。言語化すれば、やるせない感覚、どうしようもない感覚、歯がゆい感覚。私の言葉と世界の反応が、かみ合わない、その状況は、まさに、世界の法則が、突然、変わったしまったようである。力を加えても加速しない、押しても垂直抗力は発生しない、エネルギーを注い

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【中国日誌】606日目 23.4.18

この日誌は昨日の日記である。しかし、最近は、今日の所感の割合が増えてきたため、これが昨日の日誌としていいものかと、すこし、気にはなる。しかし、今日の所感というものは、昨日の出来事を回想して、生じる、という意味においては、やはり、昨日の日誌と言っても良いのかもしれない。そもそも、こうして様々な、思考が生じているのも、記憶、のおかげである。記憶の出来事を、繋いでいって、思考という体系が形成される。そし

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【中国日誌】605日目 23.4.17

寝れない、ということは、寝る必要がないという、身体の訴えである。寝れないのだから、寝なくてもよい。眠る必要があるのはあくまでも身体であって、私ではない。私は眠る必要はない。でも、身体が睡眠を欲するから、それに、私があわせているだけである。私と身体は、共同体である。私は身体に合わせるし、身体は私に合わせる。睡眠は、私ではなく、身体の、欲求である。眠れないことに、四苦八苦しているのは、私であって、身体

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【中国日誌】604日目 23.4.16

脳に何かが詰まっている。そんな感覚である。昨日、外で誰かさんが、何かを燃やしていて、そのにおいを嗅いでいこう、その脳の詰まりなるものを感じた。変なものを燃やさないでほしいものである。それが原因であるとは、断定できないが、時系列的に言えば、確率は高い。しかし、一日以上、それが残り続けることはあるのだろうか。昔、子どもの時、火遊びを良くしていたものだが、その時にその様な症状を起こしたことはなかった。過

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