【中国日誌】605日目 23.4.17

寝れない、ということは、寝る必要がないという、身体の訴えである。寝れないのだから、寝なくてもよい。眠る必要があるのはあくまでも身体であって、私ではない。私は眠る必要はない。でも、身体が睡眠を欲するから、それに、私があわせているだけである。私と身体は、共同体である。私は身体に合わせるし、身体は私に合わせる。睡眠は、私ではなく、身体の、欲求である。眠れないことに、四苦八苦しているのは、私であって、身体ではない。この状況は、とてもおかしなことだ。いつの間にか、欲求が、混同してしまっている。私は、身体の事は身体に従う。私は、到底、身体のことは、理解できない。だから、身体の言葉に従うのである。その身体が、眠たくない、というのだから、寝なくていいのである。ただそれだけのこと。底知れぬ身体の叡智に感謝を。

朝4時に起き、支度と日課。8時に出社。終始、眠たかった。よく寝ていたはずなのに。土日とで起きる時間が異なるので、時差ボケだろう。19時に退社。寝たのは、もう何時なのか分からない。1時過ぎていたと思う。

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