【中国日誌】610日目 23.4.22

時は積み上がり、一刻一刻の重みを肌で感じながら、時を過ごす。時間の経過に従い、知識や経験を刻み込む。これが即ち、時を刻むということであると考えるのなら、時という概念は、知識や経験など、ありとあらゆる人生の事象を包括することになる。故に時とは物語でもある。物語の蓄積された、その尺度が時なのである。物語がなければ、時も存在しない。物語があるから、過去があるし未来が生まれる。物語れた過去と、今後物語る未来。物語が終われば、時間も止まる。時間とは、物語なのだと、今日気づいたのである。であれば、時が経つのが速いということは、どういうことなのかがわかるかもしれない。速度は、物語の積みあがる速度。時間の基準は、1年という物語の長さ?距離に当たるものは、物語の情報量?。物語の長さと、物語の情報量は、違い定義?物語の長さは一定でも、その中で過去の物語と重複する情報は、物語量としては統合され省略される。ということは、確かに1年の物語は有るが、歳月を重ねるごとに物語の情報量が少なくなり、時間の速度が低く、すなわち、速く感じてしまう、という、そんな話、なのかもしれない。不思議な時間に感謝を。

朝6時に起き、支度と日課。ピアノを1時間弾いて、1時間寝た。その後、仕事の残りかすを2時間ほどで処理して、ご飯。そして、寝た、20時半に起きて、本を読んだりして22時に寝た。

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