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メロンパンと腹痛と仕事の流儀

メロンパンはうまい。うまいが食べたあと、ずーっとメロンフレーバーが口に残る。残ったフレーバーは気持ち悪い。同じ気持ち悪さは、ニンニク料理。ニンニクの後味が残って消えない。そのさらに悪いのが、中華料理。食べた時はめっちゃうまいけど、しばらくすると、消化不良で、腹痛が消えない。いちばん体に負担がないのが、おにぎり。やっぱり、そこだ。パンじゃないんだ。ご飯なんだ。おにぎりは、無敵だな。休みで、外食を頑張ったんだけど、現在腹痛で四苦八苦であります。まあ、そんなもんだ。だから、なにすることもなく、本を読む。嬉野さんの「ひらあやまり」。そこに仕事の流儀が書いてあった。自分の出来ることだけやる。自分に嘘をつかず、楽しい方向に向けて。出来ないところは、ほかの人が埋めてくれるから、うまくいく。ああ、これって、ぜんぜん別の本で読んだのと同じことだ。啓発本。心屋の本。エッセイで、啓発本に書いてあったのと同じものに出会うとは思わなかった。そういうふうにしようと思って、去年頑張ったんだけど、結局余計辛いことになった。やりかたがまちがってたな。やりたくないことはなるべくしないって言う方向に向いたんだけど。出来ることを、楽しいことをって言う方向にはぜんぜん向かなかった。今は、この春から人事異動で向かない仕事に向き合って、どんどん体が弱っていってるのが、悲しいところかな。同僚っていうか、先輩に、職場の中で、自分の仕事を作り出して、それを30年間続けている人がいる。楽しそう。というか楽しいんだそうだ。メルマガなんか配信していて、それを読むのが、こっちも楽しみだったりして。そういうふうにできる人は、頭がいいんだろうな。そういうふうに自分をプロデュースできるんだな。自分は、頑張って、どんどん間違った、己の望まない方へ進んでいくんだな。なんども立ち止まろうとしたんだけど。先延べになったな。今も先延べなんだな。ちょっとちょっと努力してるが、その努力は、きっと間違っているんだ。悲しいことに。まだ時間はあると信じて、頑張ろう。頑張っちゃいけないんだけど。自分を信じなきゃいけないんだけど。信じてないな。昔、最初の職場の上司に「君は全部間違っている。だから、自分が思ったことの全部反対をやれ」と言われた。ずいぶん前のことだけど、きっと、呪いの言葉として残っているんだな。その上司はもう亡くなっていないんだけど。ばりばり仕事してた頃は、とにかく自分は正しいって思って、外部の人間とよくケンカしてたもんだけど。外弁慶なんで、仲間内ではいい顔してたけどね。ここ数年は、ぜんぜん自信ないな。そういえば、高校の同級生が、最近、鬱になったんだが、すっかり顔が自信なさげ。若いころの写真は、不遜なほど自信に溢れた抜け目ない顔してたんだけどね。自分もかな。鏡に映る顔は、頬がこけて病人のよう。病人なのか。ははは。いま、ラジオでデイブフロムショーが流れている。妙に安心する。何が安心させるのだろう。ことさら元気を喧伝しないから。若さをアピールしないから。やるせなさ、どうしようもなさが常に根底に流れているから。それが、いいものかどうかは別にして。幸せは自分が作り出す幻想だから、自分で幸せになればいいんだが、その方法を身につけられない。いろいろ教わってきたけれど、本からね。ああ、幸せって感じたのは、ずーっと昔に潮岬の突端で、日の光を浴びながら、太平洋をぼんやり眺めていた時だったかな。あの時間は、素晴らしかった。それだって、自分が感じただけの幻想なんだけどさ。思い出も美化されてるだろうし。さあ、明日から仕事だ。腹痛も、一晩寝ればなんとかなるだろう。体のだるさも、仕事は、机に向かって座ってるだけだから、やっぱりなんとかなるだろう。こうやって、なんとかなるだろうを積み重ねて生きていく。幸せな人たちの、幸せになっている人たちの書いた本を読みながらね。あがくのさ。往生際悪く。いつまでも。


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