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#7:あなたが植物だとしたら、土壌の下の根は世界観で、光合成はコミュニケーションという話

最近、DJ(音楽)の人と植物を扱う人とお話しをする機会が何度かあり、そのせいか何となくふと降りてきたイメージがあるので記録する。(とにかくイメージを切り取り書いたので、粗い説明となっている点をご容赦願いたい)

□土壌と世界観

人が植物だとしたら、土の下に根を張り、そこから色々な養分を得て芽を出し🌱、枝を伸ばし葉を茂らせて、やがて花を咲かしたり実をつけたりする。そういうメタファーの時、養分になるのは、音楽やアート、読書、あらゆるメディアからの情報だったりすると思う。つまりインプットが肥料となる。

音楽は作る人もいれば、音楽を表現(プレイ)する人もいるけど、自分は音楽を聴いて楽しむサイドであり、聴いた音楽はその後に何処にも行かない。ただ学生時代は、音楽性の合う友達と好きな曲を教え合ったこともある。その後、幅広いジャンルの曲、時にマニアックなところまで触手を伸ばしたので、人と共有できる範囲が限られてきた。

断片的にこの曲イイね、このアーティストはイイね、とかはシェアできるが、自らの好きな音楽で構成する全体像は、あらゆる成分が何層にも折り重なっていて誰とも共有はできない。でも、誰にも共有できないこの音楽的なコンテキストは何だろう、と長年モヤモヤしていた。

そして最近になり、ふと、この積み重なった好きな音楽群は、まさに自分の世界観に降り注いだ堆肥だったんだと思うに至った。自分が幅広いジャンルの曲を知り、あまり有名ではないけど良いアーティストを見つけたりしても、その全てを誰かに余すことなく伝えることは不可能だが、そこで得た養分は自分のどこかから滲み出ていると思う。もちろん、それは音楽だけでなく、読書や他のメディア、情報、経験にも通じて言えることだと思う。

土の下に張り巡らせた根は普段見えない。しかし、根の部分がその人の土台であり、肥料を吸収する。普段は覗けない位置にあるものだか、確実にその人の根底にあるもの。その意味で、土壌と根の部分はその人の世界観だと思う。

□光合成とコミュニケーション

それに対して、土の上に出た部分、花や葉、幹や枝は人との出会いやコミュニケーションに使われるイメージだ。どんな枝ぶりなのか、花の種類🌸🌼💐も様々あるし、葉っぱの形や生え方も人それぞれあり、他人にどう見えるか(見せるか)が表現される部分である。

ただ人にどう見られるかだけだと、一方向の伝達であり、コミュニケーションではない。そこでもうひとつ植物的なメタファーを考えると、光合成にたどり着いた。

水と二酸化炭素をもとに光エネルギーで、酸素を排出する。全てを当てはめることにはあまり意味はないが、コミュニケーションが人との双方向の交わりだとしたら、酸素や二酸化炭素の循環(吸収と排出)に双方向性がありそうだ。

家族、職場、友人とコミュニケーションする際、根が吸い上げた養分や水分を使うので、自然に、一律の表現方法にはならない。このアウトプット(コミュニケーション)には、土壌や根の部分にある独自の世界観が反映される。また養分や水分がうまく排出(アウトプット)できず、溜まり過ぎると根腐れしたり枯れる感じも感覚的にフィットする。世界観だけが強固に存在しても成立しない。人とコミュニケーションして、そう、うまく吐き出してこそ、人はバランスを保って生きていける気がする。

□モヤモヤの言語化

あくまで勝手に当てはめて考えると個人的にスッキリした、と言う話なので、辻褄の合わないことやロジックの崩壊はご容赦いただきたい。ただ音楽を沢山浴びてきたことが、日頃の何かにアウトプットされているはずなのだが、という肌感覚(モヤモヤ)を言語化することができたのは良かった。言葉にするだけで、イメージが持てるだけで何だか救われる。

根から吸い上げた水や養分が道管を通って葉に届き、大気から吸収する二酸化炭素も使い光合成する感じ。一部は炭素(でんぷん)として植物の身になり、その他は酸素として排出する。音楽や読書で得た養分が身体に溜まり、人とのコミュニケーションを通じて、自分の血となり肉となり、また相手や所属するコミュニティへ何らかの貢献(酸素)が渡される。コロナ禍でコミュニケーションが不足する分、酸素を排出できる場を多くの人が求めている気がする。

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