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#228:意識の高い人々の秋

さっと秋は来て先週あたりから涼しく、一気に金木犀の香りが街に漂っている。この良い季節はとても短く過ぎ去っていくのだろうと思う。

10月から新しい職場に移り、この新天地に抱く印象も秋の過ぎ去るスピードと同じく、あっという間に日常に溶けていくのだろう。そう思い少し記録として残そうと思う。


自生する生き物たち

これまで過ごしてきた会社はいわゆる大企業だったり、そのグループ会社だった。

極論、そこに居て与えられた仕事をこなせば、給与はもらえるという立場に居た。どんな仕事や働きが自分たちの稼ぎにつながっているか、頭では多少概念的に分かっても、本能的な面でそれが脅かされる懸念はなかった。

新しい職場は小さい組織でもあり、皆そのことに割と自覚的であり、何の仕事の対価として、給与が発生しているかがかなり明確。

つまりちゃんと稼ぐ人とそうでない人が容易に見分けられる環境。厳密には間接的な部門もあり(私もその一部)、そんなに単純な割り切りだけではないが比較的分かりやすい。

世の中でよく使われる言葉で言えば、自立or自律している人が多い職場。

ただ自立や自律はなかなか清々しい響きだが、もう少し突き詰めると、自生する図太さが必ず求められる。自生するには綺麗事だけでは成り立たないずる賢さ、割り切る冷酷さ、でも人と共生できるバランス感覚なども必要になる。

何人か、そういう人たちは前職やその前の職場にも居たのだが、普段はその自生できる逞しさは隠しながら組織内にうまく溶け込んでいた。

それが新しい職場ではそういう人だらけでありそのタフネスを隠すこともなく自生している。

なかなかのジャングルである。

意識の高い人たちが集まると

ジャングル(もしくはサバンナ)では、必然的に弱肉強食である。

強くあれば全て善なので、チームプレイとか、和を重んじるとか、空気を読まないと仕事がやりにくいとかはかなり少ない。

ないことはないが、かなり自生していける。

よく意識(だけ)高い人たちをディスる風潮はこれまでの会社でもあったのだが、ほぼ全員がただただ意識が高いので、そんな流れは全く感じられない。

それはそれで悪くない。

…悪くないのだが、みんな意識高いと息苦しいのだと、本来意識の高くない自分はふと気付いてしまう。

敢えて、意識の高くない側からこの感じを記録しておくと(そのうちに自分も意識高いと勘違いする、もしくはそう思い込んでやり過ごす可能性が高い)、荒涼な砂漠にいる感覚になる。

あまりにも餌となるもの、ひとりで勝手に育つ手段が限られているため、少しでも間違えた選択をしてしまうと、あっという間に餓死する。

意識高い人たちの集まりには秋風が似合う。

確かに収穫すべきものはあり、もしくはすぐに刈り取られなくても来年に種をまく戦術は用意されているのだが、かなり意識的に、そして、かなりタフにそれらの決断をした上でしか、うまく生き延びることができない。

何だがふわっとした話だが

あまりに抽象的で、どんな職場か、どういう仕事かは伝わらなくて申し訳ない。

まだそこまでうまく具体的な話にまで落とし込めないのだが、新しい職場の一面としては、そんな感じである。

生き抜く環境としては、若干ハードモード気味の雰囲気はあるが、実際に自分の仕事はまだマシである。新しい職場でも専門性の土台はこれまでと同じであり、あまり周りの環境に大きく左右されない立ち位置にいる。

この感じは何だろうか。

とてもふわっとした話だが、環境を変えて新たな場所に適応しようとする人には、ほんの少しでも感覚を分かってもらえるかもしれない。

カルチャーなのか、慣習というのか、良し悪しではなく、やはり場所や働く人が違えば大きく何かが異なるものである。その何かははっきりうまくは言えないのだが…。

そこに多少合わせていかないと自分もしんどいし、とはいえ、無理に過剰適応を目指すと、元も子もなく自分を壊してしまうかもしれない。

この飲み込めない違和感を抱えつつ、敢えて無理に飲み込まず、他の楽しめる部分は大いに迎合(?)してサバイバルするのが良いと思う。

(そう何回となく自分に言い聞かせている)

そう、総じては楽しんでいる。6割5分くらい。

この環境変化もある意味、ウェルビーイングのためのひとつのスパイスなのだ。

(そう思い込んでいる)

そんな秋の近況報告でした。

お読みいただきありがとうございます。

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