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地球温暖化対策はいつから始まった?パリ協定までの話【解説6】

 こんにちはスタッフTです。
 6月になりましたが、まだ夜は肌寒いですね。

 実は6月は「環境月間」と言われています!
 ということで、このnoteの記事を読み、いいねとフォローボタンをポチッとして、一緒に環境について考えてみませんか?

 さて、前回の記事では、CO2の排出量が増えていき、世界の国々が地球温暖化を重く受け止めたということをお話ししました。
 今回は温暖化対策の道のりについてお話ししたいと思います。

1 地球温暖化の研究

 はじめに、地球の気温上昇とCO2放出量との関連を初めて調査したのは、1903年に電解質の研究でノーベル化学賞を受賞したスウェーデンの科学者スヴァンテ・アレニウスという人物でした。
 スヴァンテは「大気中の二酸化炭素濃度が2倍になると、気温が5~6°C 上昇する」として地球温暖化の問題を指摘しました。しかし、この当時は理論を示しただけで観測がなかったことから、それほど注目されず、彼の指摘は長い間顧みられることはなく、先進国の工業化はどんどん進みました。
  ちなみに、スヴァンテの子孫には、2019年に当時16歳でノーベル平和賞の候補となった、スウェーデンの有名な環境活動家グレタ・トゥーンベリがいます。

2 国連気候変動枠組条約の採択

 その後、1980年代中頃にやっと国連が温暖化の問題に動き始めました。
 1988 年に国連環境計画(UNEP)と世界気象機関(WMO)により、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が設立されます。(地球温暖化が引き起こす問題【解説4】でも少しだけ登場しましたね!)
 政府間パネルと言うとイメージが湧きにくいですが、各国の政府関係者に加え、地球温暖化や気候変動の専門家や科学者が参加している組織で、定期的に気候変動に対する科学的知見を踏まえた評価報告書を作成・公表しています。
 1990年に公表された第1次評価報告書を受けて、1992年には大気中の温室効果ガスの安定化を目的として、地球温暖化がもたらす様々な悪影響を防止するための国際的な枠組みを定めた条約である「国連気候変動枠組条約」(UNFCCC)が採択されました。
 そして、1995年から国連気候変動枠組条約の「締約国会議(COP)」が毎年開かれ、そこには国連気候変動枠組条約(UNFCCC)の賛同国が参加しています(現在197カ国が参加)。

環境省HP

3 京都議定書

 1997年の第3回締約国会議(「3回目」の「締約国会議」なので「COP3」(コップスリー)と称されています)は、京都で開かれました。
 この時に交わされたのが「京都議定書」と言われるものですが、みなさんも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?

 京都議定書は、2020年までの温室効果ガス(GHG)の削減目標を定めるための枠組みで、1997年に採択され、2005年に発効されました。
 しかし、排出量の削減義務を負うのは先進国だけで、途上国は削減義務がありませんでした。
 これは、UNFCCCが掲げている「先進国は、これまでに温室効果ガスを排出して発展してきたのだから、途上国に比べて重い義務を負うべきである」という考え方に基づくものでした。
 そのため、中国やインドなどはCO2排出量が多い国でしたが、途上国として削減義務の対象外となり、このことに納得がいかないアメリカは不参加。また、2012年にはカナダが離脱してしまいました。
 
 京都議定書は、温室効果ガス削減の大きな一歩となりましたが、地球温暖化というグローバルな問題に対して、世界各国が足並みを揃えて取り組むことができず、結果として基準年の1990年と比較して、世界全体の温室効果ガスの排出量は増加してしまいました。

資源エネルギー庁

4 パリ協定へ

 世界で地球温暖化に対する危機感が増していくと、温室効果ガス削減のための新たな枠組みの構築が急がれるようになりました。
 そして、2015年にフランスのパリで開かれた第21回締約国会議(COP21)で
「パリ協定」が採択され、翌2016年に発効されました。
 パリ協定は、気候変動枠組条約に加盟する 196カ国全ての国が参加する歴史上初めての公平な合意となりました!
 
 パリ協定の内容については、長くなり過ぎてしまうので次回にします!
 中高生の皆さん!「パリ協定」おそらくは学校のテストにも出ると思うので、ぜひ読んでください!


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