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幽霊の気分で

6月3日にリリースされた坂本慎太郎の新譜に鋭いユーモアを感じた。ゆら帝を含む、坂本慎太郎の音楽性は、退廃的で、ポップな曲にもホラーな雰囲気がある。今回のアルバムは特に、軽快な音に陰鬱な歌詞が乗っていたりと、その傾向が顕著に現れている。こうした音楽の形成は、水木しげるや楳図かずおなどのホラー漫画家による影響が大きいのだろう。

かくいう私も両者に多大な影響を受けた。怪奇漫画の内なる精神性に感銘を与えられたのだ。閉ざされた世界にきらめきを感じる。虚構に対してここまでなぜ心を動かされるのか。  

最近、興味深い文章を読んだ。自閉することについての話だ。今まで、心が開かれない自分の状態を悪としていたが、この文章を読んで、「自閉」の可能性が見えた。内なるものに魅力を感じるのも、「自閉」した先の感覚のように思える。

さて話が逸れた。今回は水木しげるについて話そう。水木しげるの作品には、『ゲゲゲの鬼太郎』や『河童の三平』、『悪魔くん』など優れた作品が多々あるが、短編作品こそ、水木しげるの人生哲学が詰め込まれている。
私が特に水木しげるの短編で好きなのは、『錬金術』である。以下が大まかなストーリーだ。

丹角先生という男に石ころを金に変えるという錬金術を指導された三太の両親は、何百回という失敗にもくじけず、や日々を研究と実験に費やしていく。失敗しても失敗しても、錬金術に情熱を傾ける両親に疑問を抱いた三太は、丹角先生に、これ以上両親を惑わさないでほしいと訴えるのだった。荒唐無稽な出来事に精を出す両親と、醒めた目をもった息子を通して、幸福とは何かを描く。

坂本慎太郎もこの『錬金術』に多大な影響を受けている。この話を読んだ坂本慎太郎は、「結局全てのことに価値はないんだけど、これこそ自分の思い込みで価値がある」「何でもいいから没頭することに価値があるんじゃないか」と思ったそうだ。

ここからはネタバレを含むので、それが嫌な人は読み飛ばして欲しい。この物語のラストシーン、丹角先生はこう呟く。「この世の中にこれは価値だと声を大にして叫ぶに値することがあるかね すべてがまやかしじゃないか」と。

この言葉は、私の人生の指針にもなっている。世の中、金銭的価値が最も重要ではなく、無駄だと他人から言われたことでも、自分を信じて突き進むことに価値があるのだ。

坂本慎太郎と水木しげるの対談にも、藝術(広義な)を志す者にとっての重要なメッセージが込められているので、ここに引用する。

坂本:先生はいっぱい描かれていますが、描くのがいやになったり、やる気がなくなったり、飽きたりとか、 そういうときってないですか。マンガも描く気力がなくなっちゃう時期って、なかったですか。 

水木:そういうのはないです。スランプと人はよく言うけれど、理解できないです。バカだとしか思えない(笑)。 生きているかぎり描けばいいんです。スランプになったとか何とかいうのは、人にほめられたい気持ちが心の底に 無意識にあるに違いない。
そういう人間は逆に欲が深いんです。あれは本当に才能のないやつだと思う。 

坂本:そういう人は他人からどう見られているかというのを意識しすぎという感じですか。 

水木:私から見ると、そういう人は描こうという意欲が少ない気がする。だから、ちょっとぶつかるとよろけたりするんだと思いますよ。それならやめればいい。やめるのは自由だ。驀進と停止と二つしかないですよ(笑)。 描きたいけれど描けないからスランプだっていうなら、描かなきゃいいんです。やめればいい。 死ねばいいと思います。爆発と停止、二つしかないんです。 

坂本:中間はなしですね。 

水木:名残惜しがるというのは自分にエネルギーがない人だと思います。エネルギーがないのに名誉心だけ心の底にある。 私はそういうことにかかったこともないし、叫んだこともないです。あれは卑怯な言葉だと思います。 休息したりやめることが怖いからスランプという。爆発するエネルギーが不足しているからスランプとか何かという。 強制されて、描けないのにガァガァ言われると嫌になるけど、それ以外で、書きたいけれど手が動いてくれないなんて、そういうことはないですよ。描く以外に邪心があるからスランプになるんじゃないか。スランプというのはクソが詰まったようなものだから、クソを出せばいい。クソが出せなきゃ死ねばいい。 

坂本:なるほどよくわかりました(笑)。 
怪  第11号

水木しげるのこのメッセージには、私の敬愛する岡本太郎の考えと同様のものを感じる。『今日の芸術』で岡本太郎は、自分の考えているありのままを自由に表現することが芸術だと述べている。つまり、表現が上手いとか下手とかは考えずに、そういったものの垣根を超えて自由に、積極的に表現することが芸術だと言うのだ。

最後に、坂本慎太郎の楽曲で、私が最も水木しげる的であると思った曲を紹介する。

この曲は、『幻とのつきあい方』の一曲目だ。曲名もそうだが、歌詞を見ても水木しげる的であると感じる。何より、幽霊のような感覚で町を歩いてる時が、たしかに自分にもあるのだ。

「広い通りを死んだつもりで彷徨った」
「景色に溶け込んでみせたい」
「古い教科書 漫画 名前 カギや住所 ゲームも絵もみんな捨てた」

これこそ「自閉」だろう。外からの情報を遮断し、無心で散歩する。そんな時、なぜか救われた気分になる。この曲からはそんな共感性の高さと言葉にし得ない精神的かつ感覚的なよさが詰め込まれている。

坂本慎太郎に通ずる何とも言えない心地よさは、同様のルーツがあるからに他ならない。ぜひ坂本慎太郎が好きな人は水木しげるを読んで欲しい。また、水木しげるを好きな人は坂本慎太郎の音楽を聴いてほしい。

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