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【小説】通学時間が長すぎる男

 私の通っている高校には、一人の異彩を放つ生徒がいた。彼の名前は佐藤裕也。裕也の家は、山奥の小さな村にあり、そこから学校までの通学時間は片道5時間もかかるという。
 つまり、往復で10時間もの時間を費やしているのだ。この話を初めて聞いたとき、私は信じられない思いでいっぱいだった。
 そんなに時間がかかるなら、学校の近くに住んだ方がずっと良いに決まっていると思った。

 裕也は毎朝4時に家を出る。最初はバス停まで1時間の山道を歩き、その後はバスと電車を乗り継いで、ようやく学校に到着する。
 学校が終わると、また同じ道を帰るのだ。帰宅する頃には、もう夜の9時を過ぎていることがほとんどだという。

 私は裕也の話を聞くたびに、なぜ彼がこんな無理をしてまで学校に通うのか、不思議でならなかった。
 ある日、思い切って彼にその理由を尋ねてみた。

「裕也、どうしてそんなに遠くから毎日通ってるの? 学校の近くに住んだ方が、ずっと楽なんじゃない?」

 裕也は少し微笑みながら答えた。

「確かに、通学は大変だけど、僕にはこの生活が大切なんだ。家族と一緒に過ごす時間や、村での生活が好きなんだよ。それに、通学の時間を使っていろいろなことを考えたり、本を読んだりするのも悪くないんだ。」

 彼の言葉には、家族や故郷に対する深い愛情と、自分なりの充実感が込められていた。私はその言葉に心を打たれた。
 同時に、自分の価値観が狭かったことに気づかされた。私にとって、通学時間は単なる移動の時間であり、できるだけ短くしたいものだった。
 しかし、裕也にとっては、それもまた大切な時間の一部なのだ。

 裕也は通学の時間を無駄にせず、毎日有意義に過ごしていた。電車の中では常に本を読み、バスでは英語のリスニングを聞いていた。
 山道を歩く時間は、自然と向き合いながら考え事をする大切な時間だと言う。彼の成績はいつもトップクラスで、先生たちからも一目置かれる存在だった。

 しかし、それでも私は、学校の近くに住んだ方が良いのではないかという思いを捨てきれなかった。ある日の放課後、再び裕也に問いかけた。

「それでも、もしもっと近くに住むことができたら、勉強の時間も増えるし、もっと楽になるんじゃない?」

 裕也は静かに首を振った。

「確かにそうかもしれないけど、僕にとって大切なのは、ただ楽をすることじゃないんだ。家族と一緒にいること、自分のペースで生活することが、僕にとっての幸せなんだよ。通学が大変だからって、それを犠牲にする気にはなれないんだ。」

 彼の言葉を聞いて、私はようやく理解した。裕也にとっての幸福は、私の考える「楽」とは違う場所にあるのだ。
 彼の決断には、彼なりの深い理由と信念があった。

 それからというもの、私は裕也を尊敬の目で見るようになった。彼の生き方は、私にとって大きな教訓だった。
 便利さや効率だけを追求するのではなく、自分が本当に大切にしたいものを見失わないことが、どれだけ重要かを教えてくれたのだ。

 裕也の話を友人たちにも伝えると、皆一様に驚き、感心していた。

「そんな大変な通学をしてまで、学校に通うなんて信じられない」
「すごい根性だね」

 と口々に言った。中には「それなら、奨学金をもらって寮に入ればいいのに」という意見もあったが、裕也の選択を聞いた後では、その意見も軽く感じられた。

 裕也は、彼自身の道をしっかりと見据えて歩んでいる。その姿は、私たちにとっても大きな励みになった。
 どんなに困難な状況でも、自分が信じる道を進む勇気を持つことが大切なのだと教えてくれたのだ。

 そんな彼が、卒業後にどんな道を歩むのか、私たち友人一同は興味津々だった。裕也は「大学でもっと専門的なことを学びたい」と語っていたが、その選択もまた彼なりの深い考えに基づくものだろう。 彼の未来は、きっと明るく輝くものになるに違いないと、誰もが確信していた。

 私たちは、裕也から多くのことを学んだ。通学の片道5時間という過酷な状況にもかかわらず、彼は自分の生活と学びを充実させていた。

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