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戦闘狂?サイコパス?孫悟空の人間性について考える【ドラゴンボール考察】

孫悟空はよくわからない。

日本中の創作物の中でもトップクラスに有名であるし、間違いなく「ヒーロー」なのだが、彼の人柄は一般的なヒーロー像とはかなり異なっている。
悟空は世のため人のために戦っているわけではないし、抗えない運命に導かれて戦っているわけでもない。決意した復讐心があるわけでもないし、成し遂げたい夢があるわけでもないのだ。

戦うことが好きというのはその通りだが、戦闘狂かというとそれもちょっとニュアンスが違う気もする。
純粋で悪意の無い人柄ではあるが、(大人になってからは)純真無垢というわけでもない。

孫悟空という人間はよくわからないのである。

最近はドラゴンボール超などの二次作品で「田舎っぺ」「世間知らず」「戦い大好き」「天然」などのキャラ付けが色濃くなっているが、実際に原作の悟空はどういう人物だったのかを改めて考えてみたい。


戦闘狂?としての悟空

悟空は戦うことが好きである。しかし「戦闘狂」かと言われるとそうでもないと思うのだ。

例えば、悟空はいつでも誰とでも戦いたがっているわけではない
ラディッツが来るまでの5年間は戦っていないし、人造人間前の3年間も組手のみだ。魔人ブウ後の10年間も戦っていない(DB超では戦っているが、あくまで原作基準とした場合)。
もちろんその間も修行に身を費やしているわけだが、少なくとも実戦に身を置かなければ生きられないタイプの戦闘狂とは異なると言えるだろう。

また、悟空は意外と自分から戦いは挑まない
例えば、未来トランクスと初めて会った時も「おめえ超サイヤ人なのか!オラと戦わねえか?」というような反応はしていない。むしろ攻撃を仕掛けられたにも関わらず、殺気が無いことを悟って微動だにしなかった。
悟空は戦う際もTPOをわきまえるし、「戦おうぜ」と挑む場面も実はかなり少ないのだ。

そして、悟空は適切に「手加減」をする人間でもある。
例えば、天下一武道会では重い道着を着たまま天津飯と互角に近い戦いを繰り広げているし、ナッパやギニューに対しても界王拳は使わずに戦っていた。
消耗を避ける目的が主ではあるが、全力を出せば一瞬で片付くとしても、悟空はそうはしない。力を抑えた状態でどこまで戦えるかを見極めた上で、敵わない場合に次の形態へ移行するという段階を踏みながら戦うのである。

(マンガ的な都合を抜きにして)何故そのようなことをするのかを考えると、やはり悟空はただ勝ちたいわけではなく、相手と競いあって上回りたいからではないだろうか?
あくまで悟空は「その段階での全力」は出しており、そうすることで(消耗を防ぐ目的の副産物としてだが)擬似的に全力で競い合う状況を作っているのである。

この「力を抑えて全力で戦う」という行為は、格闘技の階級を合わせる行為と似ているかもしれない。階級とは、あえて力(体重)に制限をすることで、適切に競い合える状況=試合を作るためのルールである。
つまり悟空が望む戦いとは、ただの戦いではなく、ルール(制限)の上で行われる「試合」としての戦いなのではないだろうか?

実際に悟空の試合に対するこだわりの具体例としては、ピッコロとの天下一武道会決勝が挙げられるだろう。

自身をかばった神様に防がれた1撃を「オラの気がすまねえかから」とわざと殴らせ、最後は武舞台も消滅する中、ピッコロが場外に落ちたことを審判に指摘して優勝となった。

出典:ドラゴンボール完全版13巻
出典:ドラゴンボール完全版13巻

この戦いは誰もが地球の命運をかけた殺し合いと理解していたが、悟空だけはあくまで「試合」にこだわり、試合としてピッコロに勝利したのだ。

この場面に象徴されるように、悟空の戦闘狂としての本質は、「戦いたい」ではなく、「試合がしたい」なのではないだろうか。

出典:ドラゴンボール完全版13巻
出典:ドラゴンボール完全版34巻
出典:ドラゴンボール完全版34巻

このように悟空が「試合」を求めていると考えると、(サイコパスと言われることもある)セルに仙豆を与えた行動も理解できるかもしれない。

ピッコロは以下のように発言していたが、

出典:ドラゴンボール完全版27巻

悟空はけしてフェアな戦いを「常に」望んでいる人間ではない。世界を壊すような相手に対しては手段を選ばずに対抗する人物である。

しかし、セルゲームは天下一武道会を模した戦いであり、「試合」の要素を多分に含んでいた。(悟空も”武道会”と呼んでいる)
もちろん最終的に殺し合いになることを考えていなかったわけではないだろうが、この時点ではまだセルゲームを試合と考えていた。だからこそ悟空はフェアな戦いを求めたのではないか。

出典:ドラゴンボール完全版26巻

ここは悟空の認識の甘さが出た場面でもある。
悟空は「試合の価値観」に則っていつものように力を温存した状態で戦い、どこまでやれるかを見極めた上で真の力で戦うことにした。
ただいつもと違ったのは、真の力を出すのは自分ではなく悟飯だったということである。

いくら悟飯の潜在能力が高くとも、自分の息子だとしても、自分の「試合の価値観」に沿って悟飯が動くと思っていたのは思い上がりであって、悟空の判断は誤っていた。

ただ擁護するとすれば、悟空はラディッツ以降、ずっと望まない戦い=ただの殺し合いを繰り返していた。そんな中で、ずっとやりたかった「試合のレギュレーション」を提示されて心が引っ張られ、戦いを楽しみたい気持ちが暴走してしまったのではないか。そんなふうにも見えるのだ。

徹底した合理性と神の視点

悟空の人間性を語る上で、もう一つキーになると思う部分がある。それは悟空が徹底した合理主義者ということである。悟空はどんなときも物事を合理的に考え、筋の通った選択をするのだ。

例えばラディッツを道連れにしたシーンである。

出典:ドラゴンボール完全版14巻
出典:ドラゴンボール完全版14巻

ラディッツと悟空たちの力には大きな差があり、犠牲無しでの撃退は困難だった。ピッコロが死ねばドラゴンボールも消えてしまう状況で、自分なら一度も死んでいないから生き返れる、という合理的な判断をし、迷わず自分を犠牲にした

魔人ブウ編での「ドラゴンボールで元に戻る」発言も合理的さ故だろう。

出典:ドラゴンボール完全版32巻

この時はもう”種が存続するかどうか”の瀬戸際の戦いになっている。倒さなければ滅びるのは地球という星自体、人間という種自体だった。その極限状況であれば、むやみにブウを止めに行くことよりも、倒すための策に注力するほうが理にかなっている。ドラゴンボールで元に戻るならなおさらだ。人々を切り捨てることは合理性の観点では最善の選択だったと言えるだろう。

前述の悟飯への対応もそうである。

出典:ドラゴンボール完全版27巻

前提としてセルゲームを試合と捉えた場合、セルゲームに勝利するには1対1の試合でセルに勝つ必要がある。しかし、修行では誰もそのレベルに達することができなかった。ならば、唯一セルに敵う可能性がある悟飯の怒り以外に試合に勝つ方法は無い。あくまで試合という前提の上ならば、悟飯を怒らせるように仕向けることは筋が通っていると言えるだろう。

これらの例のように、悟空の行動は常に合理的である。
悟空は無駄に足掻いたり悩んだりはしない。状況を打開するための最善ルートを考え、それが合理的であるならば迷わず実行できてしまう。その様が場合によってはサイコパスに見えるのだ。

何故悟空がそういった思考なのかというと、それは悟空が「大局的な神の視点」を持っているからだろう。

少年時代の悟空は天然無垢な少年だったが、超神水を飲み、神様の下で修行をした頃から少しづつ変わっていく。
テレパシーでの会話や頭を触るだけで記憶を読み取るなど、ドラゴンボール世界の基準でも超常的なことが自然とできるようになり、それに伴って考え方の基準もミクロな視点(個人)からマクロな視点(世界)へ移っていき、いつからか「世界がどうなるか」「世界をどうするか」を基準に物事を考えるようになる。

そしてそれは精神と時の部屋に入ったぐらいの頃から加速し、以降は仙人のような落ち着きと、ある意味人間味が欠けるとも言えるような、大局的な視野で物事を判断する人物になっていったように見える。

(以下、大局的な発言の例)

出典:ドラゴンボール完全版21巻
出典:ドラゴンボール完全版26巻
出典:ドラゴンボール完全版27巻
出典:ドラゴンボール完全版32巻

悟空は天下一武道会の後に一度、神の後継者として指名されたことがある。神の仕事がどういうものなのかはわからないが、少なくとも世界中全てを見守り、導く立場なのは間違いないだろう。
指名したということは、神様は悟空をそういった視野を持っている(素養がある)と判断したということでもある。

悟空は軽い。非常に軽い。悟空は大局的であるが故、大抵のことは「まぁいいじゃねえか」なのだ。

しかし悟空は悪いやつに「まぁいいじゃねえか」とは言わない。不当な力で正しい人々をおびやかす敵にはズゴーンと一発かますのである。

出典:ドラゴンボール完全版3巻

地球の守護者としての悟空

悟空は世界の命運より戦いを優先すると言われることもあるが、全体を通して見るとけしてそんなことはない。
悟空が戦いを楽しむのはあくまで相手の実力が近くて競い合える算段がある時だけであり、予想外の脅威に対しては、楽しむことは二の次なのだ。
(ラストバトル(純粋ブウ)のみ少し例外だが、これは鳥山先生から悟空へのご褒美だったようにも思う)

ベジータは悟空に対し「勝つためではなく、絶対負けないために戦う」「だから相手の命を絶つことにこだわりはしない」と評していた。

出典:ドラゴンボール完全版34巻

これは正しいのだが、やや解像度が足りないとも感じている。悟空は負けないためではなく勝つために戦うこともあるし、相手の生命を奪うことにこだわる場面もあるのだ。

悟空は悪いやつでも実力が離れた格下や、試合の枠組みで競い合えそうな相手に対しては寛大である。
しかし、例えばセルやラディッツのように力の離れた脅威や、純粋ブウ、初代ピッコロ大魔王のように対話の可能性が無い脅威にはきっちりと殺意を持って対処している。
また、直接戦ってはいないがダーブラに対しても、仲間を救う手段として明確な殺意を持っていた。

悟空は世界の守護者として、危険な相手に限定すれば確実に排除する意識があるのである。

悟空は不必要に命を奪うことを良しとはしない。殺さなくても済むのなら極力殺さない。ただ世界の守護者として、必要があるならば命を奪う意思も持つのだ。これも非常に合理的な考え方と言えるだろう。

好きな悟空のシーン

最後に筆者が好きな悟空のシーンを2つ語って終わりたい。

一つはここまでも語ってきたセルゲーム。悟飯が戦いを望まない子供であることをピッコロに諭され、加勢するために仙豆を求めるシーンである。

出典:ドラゴンボール完全版27巻

悟空はサイヤ人の自覚が強いわけではないが、それでも戦闘民族らしく、戦いを価値観の上位に置いている人物だ。
悟空は「試合」として相手を上回ることが自身の矜持であり、悟飯もその価値観に沿ってくれると思い込んでいた。しかし悟飯はそうではなかった。

そして悟空はピッコロに過ちを指摘されることで、この瞬間に「試合」へのこだわり、つまり自身の最大の価値観を息子のために捨てたのである。

このシーンについてはこちらで詳しく述べているが、

そのピッコロに諭され、悟空は子供にとっての「親」とはどういう存在なのか、どうあるべきなのかを初めて知った。
そしてこの瞬間、サイヤ人の孫悟空であることよりも、父親の孫悟空であることを選んだのである。

悟空は幼少期から、「人間」としてはほとんど完璧な人物である。飽くなき向上心と絶対に折れない心を持ち、誰よりも素直で優しく、我欲とは無縁。自らのあり方に悩んだり、背負った重荷に苦悩することは一切無い。
そんな完璧な悟空だからこそ、劇中で人間的な成長が表現されることは殆ど無い。その数少ない成長の場面がこのシーンだと思うのだ。

そしてもう一つの好きな場面は、魔人ブウ編、ベジータとの一騎打ちでの台詞である。

出典:ドラゴンボール完全版31巻

ベジータはバビディに魂を売り、かつての邪悪な自分に戻る。これで残忍で冷酷なサイヤ人として何も気にせず貴様と戦うことができる、おかげでいい気分だぜ、そう宣うベジータへの返しの一言である。

普通の主人公なら、お前はそんなやつじゃないと否定するか、わざと悪に染まったベジータに怒りをぶつけるか、もしくは悲しみや憐れみを抱くのかもしれない。
しかし、悟空は肯定も否定もせず、ただ「ほんとにそうか?」と投げかけただけだ。

事実として、ベジータは迷いを捨てられていなかった。自分はカカロットと戦って上回るためであれば平穏な日常など捨てられる。プライドすら捨てられる。何故ならそれこそがサイヤ人の王子としてのプライドだから。そう何度も自身に言い聞かせていた。

だが悟空は見抜いていた。ベジータはもう王子のプライドよりも家族や日常を大切にしてしまっていること。それをわかっていながら認められず、こんな行動を取るほどに追い詰められてしまったこと。

「・・・・・・・・・・・・ほんとにそうか?」

長い沈黙の後のこの問いかけは、ベジータの心の声である。
ほんとにそうか?、そう思っていたのは誰よりもベジータ自身に他ならない。悟空はこの短い一言でベジータの本質を表現したのである。

この言語能力の見事さ。悟空はレスバに強いとよく言われているが、やはり悟空の本質を突く能力と、それを表現するセンスは特筆するものがある。

フリーザやセルに対してもそうだったが、悟空は相手の心の機微にも敏感だ。短い対話から本質をズバッと突ける。
しかし距離が近すぎた故か、息子にそれができなかったのは、ある意味リアルな親子関係と言えるかもしれない。


※余談だが、このシーンはPS2のドラゴンボールZ2で再現された際、「ほんとにそうかぁ???」と気楽な演技になってしまっていた。
聞いた時は、そ・・・そりゃねえだろ~!と思ったのだが、Z3(Sparkingだったかも)ではちゃんとドスの効いた演技に変更されていていて一安心だった。

※少し間が空いた次の場面では、悟空は改めて直接的にベジータの発言を否定している。このシーンも超サイヤ人2の見た目と相まって、実にクールなのだ。

出典:ドラゴンボール完全版31巻

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