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初めて学校サボったときの話

 そうだ、海へ行こう。
 自転車の進路を、高校とは反対側の北西に変更した。
 空は薄暗い雲に覆われ、大気が湿り気を帯びていて重かった。初秋の冷えた向かい風が頬を打つ。通勤する人や車を横目にペダルを漕いだ。

 学校をサボるのは初めてだった。どちらかいうと親には甘やかされて育ったほうだが、学校には毎日行けと言われていた。休めるのは体温が37.9度を上回ったときなど条件があらかじめ決められていた。仮病を使うなど言語道断で、多少具合が悪くても出席する場合もあった。
 親に連絡がいったら困るなあと心配しつつも、その日は大丈夫な気がしていた。
 その日は球技大会で、大会の進行は生徒に任せられていた。朝に厳密な出席確認が行われるわけではない。教師のほうは、たまに体育館や校庭に顔を出して問題がないか確認する程度で、ほとんど一日中、職員室にこもっていた。溜まっていた業務でも消化していたのだろう。

 実家は北陸の沿岸部に位置していて、海までは20分程度しかかからない。しかし、最後に海を見たのは中学1年の夏だった。3年以上の空白がある。
 僕にとって、海はそれほど親しい存在ではなかった。濁っていて、水中にはどんな生きものが潜んでいるかわからない。そんななかに、ほぼ生まれたままの姿で身を投げ入れるのは怖かった。足が地面につく場所でも、海藻がくるぶしに絡まるのは気持ちが悪かった。どこまでもつづく地平線が、人間には絶対に管理しきれないものとして、幼い僕の目には映った。
 でも、眺めているぶんにはいい。
 小さいころは、砂浜に座って、寄せては返す波を帰るまで飽きずに見つめていた。水面に浮かぶ木片が、真夏の刺すような日差しに照らされて、つややかに光っていたのを覚えている。

 自転車を走らせながら、去年の球技大会を思い返す。
 劇的ななにかが起こったわけではない。ただ、運動ができないゆえの漠然とした疎外感を終始覚えていた。ちぐはぐな僕の動きを周囲が笑っているような気がした。そういう負の感情に苛まれつづけた僕の精神は、たった1日で大きくすり減ってしまった。昨年の憂鬱を思い出すと、学校に行く気分にはなれない。夜、そんな思索にふけっているうちに太陽がのぼった。通学路で急に進路を海に変えたのは、そんな鬱屈した感情が積もりに積もって臨界点を越えたからだろう。今回、学校をサボったのは、「決断」というより「反射」といったほうが近い。

 畦道を通り、高架下を抜けると、砂浜が広がった。散らばっている小石やペットボトルを上から踏みつけると、それらは心地よく地面に沈んでいった。風は強く、制服の裾を乱暴にはためかせる。
 海は荒れていた。絶え間なく押し寄せる波は、整然と並べられたテトラポットに打ちつけられ、白い飛沫を鉛色の空に吐き散らしていた。潮の香りがツンと鼻の奥を刺激した。
 そういえば、夏以外の季節に海に来た記憶がなかった。海がこれほどまでに荒々しい表情を持っていると、それまで知らなかった。

 砂浜に腰を下ろして海を眺めていたら、ポケットで携帯電話が震えた。着信をとると、クラスメイトからだった。
「お前、今日休み?」
「うん」
「男子9人しかいないんだが」
 クラスの男子が参加する競技はサッカーだった。もともと10人しかいないクラスがサッカーに参加するのも変だが、今さら1人減ったところで変わらないだろう。
「朝から吐き気がして」
「どこにいるんだよ」
 風の音が電話越しに聞こえているのかもしれない。家にいないのを不審に思ったようだ。
「病院に向かってる」
「そうか」
「そうだよ」
 苦笑いしているクラスメイトの表情が見えるようだった。仮病であるのは承知しているにちがいない。
 その後、二、三言葉を交わしてから電話を切った。
 あんまり怒ってなかったな、と思う。まあ、いてもいなくても大差ない存在だ。彼らは彼らなりに上手く学校生活を営むはずだ。
 風が落ち着き、波は少し穏やかになっていた。

 僕は立ち上がって、砂浜をあとにした。
 帰ったらなにをしよう。なんだってできる。なにもかも自分で決められる。今度は「反射」ではなく「決断」ができるにちがいない。



















僕は、その日、二度寝することを決断した。




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