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レンガの中の未来(四)

(四)策略

 三か月に一度の休暇が翌日となった。三日間ということになっているが、休暇前日の午後は給与支払等があるので、実質的に三日と半日が休暇となっている。休暇の使い方は人それぞれである。

只管身体を休める者、家族の元に帰る者、買い出しに行く者等など。休暇中は作業宿舎の隣にある施設で過ごすことになるが、その期間は労働は全くなく、自由な時間を過ごす事が出来る。

 シノーはこの休暇では、弟がいる約二十キロ離れた所まで行く事になっていた。給与の一部で何か買ってやれる、その喜ぶ顔を頭に浮かべながら、シノーは給与を受け取りに事務所へ入って行った。

事務所に入ると、シノー以外の休暇取得者が既に給与を受け取る為に列を作っていた。約十分後、シノーの順番になった。

「はい、今回もご苦労だったね。」

「有難うございます。」

シノーは給与が入った布袋と共に受け取った照合札を近くにある箱に入れた。周りの給与を受け取った者たちは時に饒舌になり、翌日からの休暇プランを話し始める者もいた。

いつになっても給与をもらう時は嬉しい、シノーはそう思い早速中身を確認した。

「あれ…?」

いつもよりも額が少ない事に気づいた。重さでそれに気づいた。おかしい、一度も休む事はなかったし遅刻もしなかった。

もう一度確認してみたが、やはり少ない。給与を入れる布袋は使いまわされている為、係が正確な額を入れ忘れている可能性があった。

シノーは再び給与受取の列に加わった。十分後、再び同じ給与受け渡し係に話掛けた。

「すいません、私の給与ですが正確な額が入っていましたでしょうか。」

「はて、どうだったかね。お前さん以外にも給与をもらいに来る者は沢山いるから、詳しい事はわからないね。それはさっきの照合札を見れば判るんじゃないのかい。」

「はぁ、そうなのですが、照合札はあの箱に既に入れてしまいまして…。」

照合札を入れる箱の受け口は、その札が入る位の隙間しかなく、もう取り出す事は出来ない。しかも、その照合札には氏名が書いておらず、誰に該当するかは分からない。

「念のため、担当に聞いてみるから氏名を言いなさい。」

シノーは自分の名前を告げると、係の者は自分の右手を指さしてこう言った。

「あちらに出納課があるから、そっちで聞いてみなさい。」

シノーは出納課へ向かった。これまで課の存在は知っていたが、入るのは初めてである。早速近くにいた担当と思われる者に声を掛けた。

「すいません、私の今回の給与なのですが、いつもより少ないと思って確認に参りました。」

「それは照合札を見れば判る事じゃないのか?」

「そうなのですが、何時も給与をもらいますとその札は直ぐに回収箱に入れてしまいまして、確認が出来ないんです。」

「そうか。一応確認してみる。」

その者はシノーの名前を確認後に、そばに置いてある対照表の確認を始めた。そこには、各労働者の一覧があり、労働者は給与を受け取ると同時に小さな粘土札を渡され、出納課で対照表と確認する事が出来るシステムになっていた。

しかし、それはいつの間にか形骸化されていた。給与を受け取る場のすぐそばに照合札の回収箱が設置してあり、必然的にそこに札を入れて、その場を立ち去るのが当たり前になっていた。

その場で立ち止まっていると、後がつっかえる形になり、シノーもしっかり確認せずにその回収箱に入れていた。

 二人の遣り取りの場に、他の係の者がタバコをふかしながらやってきた。

「どうかしたのかい?」

「うん、この者が給与を確認したいと言っていて、今確認している所だ。」

「あ、例のメディアン教官の?あ…?」

「あ、しっ!余計な事を言わなくていい!」

二人の係の者はバツが悪そうに、その場を終わらせそうとした。

「メディアン教官?メディアン教官がどうかしたのですか?」
「いや、何でもない。確認が終わったら早く帰れ。」

「ちょっと待ってください。今回の給与は千八百ビースになっていますよ。前回は二千ビースだったのに、二百ビースも少ない。」

シノーは対照表の自分の箇所を指さした。

「それは我々が知る事ではない、病欠でもしていたんじゃないのか。」

「いえ、そんな事は決してありません。病欠も遅刻もしていません。」

「じゃあ、何かヘマでもしてそうなったんだろう、兎に角俺は知らない。」

係の一人は苦し紛れにそう言った。

「さっき、メディアン教官が何とかって言っていましたよね?あれは何の事なんですか?」

「ええい、煩い奴だな。」

そうこうしている内に、この三人の遣り取りに周囲がざわつき始めた。シノーは周囲を見渡した。

「あそこにメディアン教官がいるじゃないですか。」

その声は煙草をふかしていたメディアンの耳にも届いたようだが、シノーの顔が視界に入るとぷいと顔を背けた。

「本当に煩い奴だな、知らんと言ったら俺は何も知らん。」

その時だった。向こうを向いているメディアン教官が右手をすっと挙げた。こちらに来いという合図だった。シノーは他教官に気を使いながら、メディアンの近くへ向かった。

「すいません、メディアン教官。今月の僕の給料の件でお聞きしたい事があります。」

メディアンは後ろを向いたまま、水煙草を吸い続けた。

「あの、すいません。今月の給与の事で聞きたい事があるんです。」

「何の用だ、いきなり?」

メディアンは、やっと口を開いたが相変わらずシノーの顔を見ようとしない。

「はい、私の給与の件なのですが、前回は二千ビースでしたが、今回は千八百ビースになっています。欠勤はしていません。」

それは事実であった。確かに欠勤はしていないし、作業場でミスもしていない。今月も粉骨砕身に働いたつもりだった。何故二百ビースも少ないのか…。

メディアンはくるりと姿勢を変え、シノーと対峙した。

「だから何だい?そんな事でここまで態々来たのか。」

「はぁ、私に取りましては二百ビースは大きく…。」

シノーの頭の中に弟イリンの顔が浮かんだ。
メディアンは敢て面倒くさそうな表情を示した。そして、

「お前、就寝時間からほぼ毎日、そして休養施設ではほぼ終日共用ランプを使用していたそうじゃないか?だからだよ。特に作業宿舎においてみんな疲労困憊で寝ているというのに、お前だけのために貴重なランプが使われたんだ。そのランプで寝られない者も居たと耳にしている。そのランプ使用料が二百ビースだけだっただけでも有難いと思うことだ。」と手元にあった薄布キレに書いてあった内容を機械的に言い放った。

「そんな…。」

「ふん、当り前じゃないか、どうしてお前ひとりが使用しているランプ代をお前以外の寝ている者が払うんだい?私は至極当然の事を言っているつもりだがね。」

 シノーはその事が良く理解できなかった。確かに幹部候補選抜試験の為に、ランプを使用して勉強している。しかし、それはシノーだけではなかった。幹部を目指す労働者階級の同一施設にいる一部の者達とは、一緒に幹部となりセリョージャ一族の行く末を語った事もあった。

ランプを使用しているのは私だけではない、とシノーは口に出さなかった。

「不満なら、もっと言ってやろうか?そもそもセリョージャ一族の家訓は何だ?そう、完璧たれ、だ。だって来月には選抜試験が控えているから、とでも言いたいのかい?そんな事はみな同じだ。みな同じ条件の中で努力しているのだ。お前だけが特別ではないのだよ。」

それは大嘘であった。入族時に父兄が上納する私財により、厳格にランク付けされるという秘密裏が存在した。そして、適格試験での点数割増も。メディアンは国の馬車輪を一手に請け負う大商店の出であり、入族と共に幹部候補生に抜擢された。

幹部選抜試験も名ばかりであり、自分の名前を指定の箇所に書く事で幹部となったのだ。同時に入族、いや、入働したシノーとは全く状況が異なっていた。メディアンは自分より一つ年下のシノーのほうが自分より才覚がある事を自覚していた。

下手をしたら将来的に自分はシノーの部下になってしまう。それだけは避けなければいけない。セリョージャ一族も一筋縄ではいかない状況があった。戦時中は国から武器調達と製造を全て担っており、セリョージャ一族にとって戦争は大歓迎の状態であった。

しかし、平定の今の世の中では安定財源が最優先事項である。身分を問わない幹部採用と謳いつつ、縁故による資金援助も重要である。所謂ダブルスタンダードである。

再程シノーに対応した出納係二名も縁故採用者であったが、彼らはセリョージャ一族の負意識により蝕ばまれていた。その一例が先程の照合札回収箱である。当初は照合札回収箱は、給与受取場から離れた場所に置いてあった。

ところが、労働者が給与の照合札を見ずに回収箱へ入れているというのが監視係から二人に上がってきた。それであれば少し位給与袋に入っている額と照合札が違っていても大丈夫なのではないか?という考えが二人を横切った。

その差額は塵も積もれば莫大なものになる。それにより出納課の有力幹部になれる…。

 シノーはメディアンに一礼し、事務室を出た。そして、明日の出発の準備を始めた。照合札は容易に箱に入れるべからずと思い。


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