「暗記」と「論理」は対義という話

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ずっと言ってるんだが、中々周知されない事実。
「暗記」と「論理」は対義。
正確には違うが、結果的にこうなる筈だ。

これを認めない人が多いのは、高学歴に暗記人間が多いから。
プライドの高い暗記人間に論理が理解できるワケもなく、まず認めない。
権威主義の体育会系、トップダウンの似非知性。
思考力が無いのに「賢い」という評価を先に得てしまっていると。
つまり彼等は、

「バカなのに地位が高いから」。


オウムに高学歴が多いのは当り前で、暗記人間は洗脳されやすいのだ。
権威を求める人間は答えを誰かが持っていると思ってる、アテにする。
誰かの示す「正解」に取りついて、そのカサを着てマウントを取ると。

これが「知識人」って奴の正体。


暗記が上手いだけの動物、人工無能、前例主義、思考停止のパクラ―。
これもうAIに取って代わられるでしょう。
彼等は物理的労働力として肉体以外の価値が無くなるんで。
AIのおかげでようやく言える雰囲気だ。

暗記人間の行動は全部演技なの。
善意も知性も趣味嗜好、愛情すらそこに実体がない、ファッションだ。
つまり、

「ときめきメモリアル」の恋愛だ。


場当たりの演技、「こう振舞えば賢い」とか、「こういえば大人」とか、
そういう表面上の芝居をするだけのコミュニケーション。
論理が無いのですぐにダブスタが発生し、一貫性を失うと。
彼等の知性というモノは、全てが上っ面の綺麗ごと、欺瞞になる、
結果ボロが出る、根っこが利己とバレてくる。
大声が正義、受け売りが知性、聞いてるフリ、考えてるフリ。
彼等の得意げな態度、自信満々の失態に、気まずくて誰も指摘できず、
皆去ってゆく、同類だけが共感する。
互いのウソを褒め合いながら、大根役者のサークルが出来ると。
肥大した自己評価をくすぐってやれば操れる、工作員に使えるのだ。
今の政治家見りゃ判る。

物事はニュアンスの複合体、完璧な正解など殆どない。
シロもクロも無く、全てがグレーのグラデーションだ。

数学だって10進数で計れるとも限らず、穴がある気がするワケだ。
片手が4本指の知生体は8進数で考える。
そういう常識の余白には一体何が隠れているやら。

そこまで掘り下げて原点まで近づかなければAIはヒトに替われない。
ロジックの無いAIはデータ通りの正解しか出せない気がする。
暗記人間と同じだろうし、彼等に知性は見当たらないのだ。

同じ事をして同じ評価を得られる道理はどこにもない。

得意満面の受け売りなんてピエロだろう。
コピーしたってオリジナルと同じ物にはなり得ない。
論理なんてイレギュラーを開拓する事に他ならないのだ。
この時点で自分個人しか頼れない。
嘘まみれの知識をひけらかす前に、そのウソも含めて考察しろと。
作為を見抜き、誰の利益の知識かと。
その作為から情報の有効性、信ぴょう性を作り出す。
ワードというパッケージから中身を想像して初めて論理だ。

知識偏重の東京三大学出身の父親は、オリジナルを否定する。
子供のアイディア、論理を弾圧し、NHKやら新聞を真実だと強いて来た。
権威の裏付けがあれば鵜呑みにする、真に受ける、詐欺に引っかかる。
暗記人間はカルト信者であり、外部に主体がある狂人だ。
とっとと病院行けばいい。

そう、知識偏重の人間は早々にプライドを捨てるべきだろう。
それは自分の利益にしかならない、周りに意味をもたらさない。
知識を詐欺にしか使えない。
オリジナルが自分であり、論理が本体、アイディンティティだ。

そういやオウムの上祐氏が「あー言えば上祐」と言われていたが、
彼の発言は論理的で筋が通っていた気がする。
アレを屁理屈と受け止める方が劣等感に満ちて知能が低そうだった。
多分、麻原は敢えて彼には真実を知らせなかったのだろう。
自分の犯罪計画を上祐氏が知れば離れていくと気付いていた。
上祐氏も同様にうっすらと教団の闇を嗅ぎ取り、踏み入れなかったのかも。
つまりこれがグレーという事だ。
気付いている、気付いていないの境界線もグレー、
知ってると知らないの境界もグレー、敵と味方もグレーだと。
誰だってそんなもんだ。

暗記人間はどうもその事が理解できないらしい、絶対正義を妄信する。
この根拠不明な受け売りを「洗脳」と言い、カルト信者の思考である。
論理が無いという事だ。

いつだって正義を掲げた宗教戦争は非道な事をする。
思考停止の暴力行為のギミックであり、感情のみの原始人を作り出す。
これは「一般論」というカルト、或いは学校教育を真に受けたらそうなる。

狂人を作り出すのが暗記洗脳に他ならない。


狂人にならない為には暗記を辞め、論理を身に付ける以外ないと。
何らかの知識を得たら、オリジナルに派生させる、分岐を作る。
その部分「だけ」が自分の領分、自分の考察であり、自分の真実だ。
元の知識自体の信ぴょう性は五分、つまり是非が決定されない。
ウソかホントか判断するのも自分であり、ウソからも学べると。
自分の中で論理を発生させてようやく真実に近づくという事。

知識自体は論理と程遠いモノだという事だ。


知識偏重の丸暗記はパブロフの犬に過ぎず、まるで賢くはない。
何人も観て来たが、情緒的で悪意に満ちたケモノである。
いくら勉強してもまるで成長せず、プライドだけが肥大する。
暗記人間ほど他者と比べ、悪意に満ちた行動をとるのだ。
基準が他人に向かい、オリジナルが無く何一つ生み出せない。

自分も、小学校時代同級生、東大生の息子も虐待を受けていた。
他責他罰の不満に満ちたルーチンワーカー。
これが一般で「賢い」と言われる人種の正体だ。

マトモになりたいならとっとと「暗記」を辞めるべきだろう。
ただ「賢い演技」が上手くなるだけ、残酷で卑怯で愚かになる。
弱者を基準に内弁慶の憂さ晴らしを続ける人生だ。

論理があればいくらでも成長する、失敗を経験にできる。
一から百を派生させる、思考の分岐は無限にある。

逆に暗記の理解力は1を知っても1にすらならないのだ。

興味が無い勉強は興味が湧くまで保留でいい。
大量の読書より、一冊から多くを学んだ方がよほど得られるだろう。
理解力を深めなければ、知識をどんなに得ても焼け石に水だ。
暗記とはそのくらい役に立たない。
勉強するほどケモノに近づく羽目になると、

まぁこれを理解出来るなら、元から論理がある人だけなので、
理解出来る人はこの記事を読む必要すらないと。
逆に本来理解すべき方々にはいくら言ってもまるで理解できない気がする。ひょっとしたら意味が無いかもしれないね。

このジレンマよ。


おしまい。

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