「トータルリソース」の概念


エーテルというモノは人が生み出せると思っている。

存在する「価値の総量」をいかに増やすか?


おそらくこの辺が自分のモチベの正体なのだろう。
物理的な発展の他にも精神的な発展がありそれが「文化」というモノだ。
楽しい、嬉しい、エロい、怖い、そういった生活スパイスへの欲求。

例えば「死霊のはらわた」という映画はスプラッター映画の起点だろう。
これまでの抑えられた表現からのメリハリによる落差での恐怖演出を、
サ・ライミ監督はそのカウンターで「描写を大げさに盛る事」によって、
さらなるギャップを生み出した。
これでホラー映画の可能性「トータルリソース」は増えたことになる。

「新しい価値観」が発生したと。


その後お手軽なホラー演出としてこのパイをこぞって奪い合うのだが、
ブームに乗った後追い作品はそれ以上の価値を生み出すことは無かった。
自分が知る範囲ではサム・ライミの意図をくみ取った作品はほぼ無く、
まるで「同じ事をすれば同じ評価が得られるだろう」と、
血のりの手抜き演出を求めたおかげでロクな作品は現れなかった。

これ良かった作品を敢えて上げるなら
「ブレイン・デッド」が同じベクトルで価値を生み出した印象がある。
(この監督は追ってないのでどうなったか知らないが。)

一方のサム・ライミはエンタメの追求をしていって、
「ダークマン」「死霊のはらわたⅡ」と徐々に方向性を明確にして行った。
彼はその後「スパイダーマン」というビッグタイトルに抜擢され、
メジャー監督の一員になるのだ。

もっとも有名なスピルバーグも最初はしょうもないホラー映画を
撮っていたといわれているが、タイトルは消されているかもしれない。
昔この作品を深夜映画枠で観たような気がするが、真偽不明だ。
(瓶詰の妙なのが赤ん坊の声で鳴くようなホラーだった)

ターミネーターのキャメロン監督もまた新しい事をやっていた。
日本の漫画文化に詳しいらしい彼は日本の文化を応用し、
ハリウッドを開拓したことになる。

個人的に創作分野に於いてこの「トータルリソースを増やす人」と、
同じ事をやれば同じ成果が得られると思い込む人は真逆だと思っている。
他人と同じパイを奪うのは飽和現象を生み、モチベが「利己」に変化する。
そこには承認欲求があるだけ、これはむしろ消費者側の思考だろうし、
そんな競合母数が増えるほどにリソースの全体量はむしろ減りかねない。

オリジナルの応用として派生させ、初めて価値が発生し、ようやく増える。
文化的ロジックの木の枝が派生し、全体が得した気分になるのだ。
文化というのもまたフラクタルな原理で築かれるのだろう。

「カウンターカルチャ」ーという反骨心はギャップを産む手法だろう。
これは主流の文化にワザと逆らう事で発生する価値だが、
一時期手抜き手法の「バカゲー、ヘタウマ」というモノが発生した。

バカゲーとしては「たけしの挑戦状」や「チェルノブ」なんかが有名だが、
基本的にはスキルが及ばない部分をチョイスして持ち上げただけだろう。
極論ならチンパンジーの描いた絵を「希少価値がある」としただけだ。

根本敬や蛭子能収などのトンチンカンな漫画の面白味も、
結局はレアリティの価値観であって、レアだから意味があったワケだ。

こういうのを面白がってピックアップしていくうちに、
その需要を後追いで意図的に求める流れがあった。
こういうのはフェイクだろう。

そもそもがこの手のカウンターカルチャーなんてのは、
2番手以降は手抜きの口実にしかならない。
本来なら派生しない分岐であり、そこに後追いで乗るのは虚無だ。
なぜなら価値が発生しない、トータルリソースが増えないからだ。

この手のカウンターに便乗するのはクリエイターとは程遠い、
他人と同じ事をしても同じ成果は生まれないのだ。
むしろ、パイオニアの需要に損害を与えかねないハズである。

かつて四コマブームに乗って、
ちょろちょろとつまらない手抜き漫画が多発した時期があるが、
この手の作家?は自己愛が強いだけでむしろセンスに乏しいのだ。
開拓する気がなく他人の畑を荒らすだけ、にもかかわらず、
やれデヴィッドリンチだ花輪和一だのと他人の名詞をかざすのである。

「他人のパイを奪って」飽和させてどうすんだ?と。


自分の為に他者の需要を減らすんなら真逆の位置に行くだけだ。
商業的で利己的な「カウンターカルチャー」という詭弁、
この手の似非クリエイターは情弱素人を騙くらかして、
他人のオリジナルを主張する、主体性の無い無個性の盗人だろう。
これ会話すれば一発で判る、圧は強いが中身は無い。

自分は「いがらしみきお」も「デヴィッドリンチ」も「花輪和一」も、
「楳図かずお」も「ゼビウス」も「ストⅡ」も好きだが、
誰もが極力そのパイを奪う事は避けるべきだと思っている。

「同じ事をすればトータルで損害を生み出す」からだ。


それはただのルーチンワーク、マッチポンプビジネスになってゆく。
いずれは全体に損をさせ、自分が一時的に得するだけになるし、
最終的には自分までもが損をするのだ。
そういうのはクリエイターとは真逆だろうし、

猿蟹合戦のサルである。


という嫌われ者の考え方。
(自分の方が正しいとしか思ってない)が。


そういう話。

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